第4章 地下鉄にて #1

お節介だとわかっていても

その手を掴んだのは

やっぱり君のことを

放っておけなかったから



22:00の地下鉄の電車の中。


席がちらほらと空いているこの状況の中で、電車に揺られながら立っている俺。


その目の前で、席に座りながら、眠っている彼女。



おそらく疲れているんだろう。


それはわかっている。


問題は、彼女が降りる駅が、間もなくやってくることだ。



俺の名前は下林一護(シモバヤシ イチゴ)。


会社で残業して、地下鉄で帰るところ。



そこへぐらっと、大きく揺れる電車。


それに合わせて、前に大きく倒れる彼女。


チャンスだ。


彼女の肩を、ポンポンと叩く。


目を開ける彼女。


タイミング良く、駅に到着。



「ここ、あなたの降りる駅ですよ。」


「えっ!!」


彼女はホームにある、駅名が書かれた掲示板を見た。


「あっ!!」


荷物を抱えるようにして持ち、電車を走るように降りて行く彼女。


『あ~よかった~』という顔をして、全くこちらを見ない。


なんだよ。


礼の一つもなしかよ。


モヤモヤした気持ちだけが残る。



せっかく教えてやったのに、『ありがとう。』の一つもない。


親切な奴程、損をする。


だったらそんなお節介焼くなと、周りは言う。


やっぱりお節介なのかなと、これまたモヤモヤした気持ちが残る。



そんな事を思いながら仕事をしていると、昼休憩のチャイムが鳴った。


「ねえねえ、今日は外にランチを食べようよ。」


「うんうん。」


隣の女性社員が、ウキウキしながら、友達を話している。



女はいいよなぁ。


昼飯だけで、そんなに楽しくなれるなんて。



席を立つ隣の子をチラッと見ると、ストッキングの伝線を発見。


あ~あ、何で見つけちゃうんだよ、俺。


いやいや、このまま外に行ったら、困るのは彼女だろう。



またお節介焼く気か?


意外と『やだ、本当だ~。』とか、普通の反応が返ってくるかもしれないだろう?


自問自答を繰り返す俺。


結局、親切心が勝ってしまう。



「あの~お取り込み中、申し訳ないんだけど。君のストッキング、伝線してるよ。」


「えっ?」


隣の席の彼女は、自分の後ろ脚を見る。


「外に出る前でよかったね。」


俺が声を掛けると、鋭い目線が返ってきた。


「余計なお世話です!!」



はああああ???


心の中で、あり得ない程叫んだ。


肝心の彼女は、一緒にランチに行く女の子に、今の話をしている。



『やだぁ、どこ見てるの?』


『いやらしい。』


そんな声が聞こえてきた。


ウソだろう?


俺は親切に、教えてやったんだぞ?


ガクッと項垂れる。



何なんだ。


世の中、こんなものなのか?


そんなモヤモヤの気持ちを持ち続ける、俺の唯一の趣味は映画観賞。


もちろん、映画館で一人で観るのが俺のこだわり。


メンズデーになると、1,000円で観ることができるから、毎週通っている。



「大人一枚。」


いつものように、チケットを買う。


「はい。席はどうされますか?」


映画館の席の、配置図を見せられる。



「一番真ん中で。」


俺はいつもの場所を指さした。


後ろ過ぎず、前過ぎず。


左に寄り過ぎても、右に寄り過ぎても嫌だ。


「はい。それでは、ご希望のお席、お取りできました。」


そう言って、まだ若いお姉ちゃんが指さした場所は、ど真ん中もど真ん中。



おっ、よくやるじゃん。


他の人なら、多少ずれるのに。



「いつもこのお席をご指名なさいますよね。」


思いがけない言葉に、顔を上げる。


にこっと笑う、店員のお姉ちゃん。


「よく知ってるね。」


「はい。私、毎週この時間に、シフト入ってるので。」


「そうなんだ。夜の仕事は大変だね。」


「はい。でももう、慣れました。」


と言いつつも、俺には、毎週このお姉ちゃんと顔を合わせている記憶がない。



「お会計、1,000円になります。」


「はい。」


ポケットから、二つに折った千円札を取り出して、お姉ちゃんに渡す。


「こちらチケットですね。18:20からの回になります。」


「ありがとう。」


スッと帰ろうとして、俺は余計なことに、また気づく。



このお姉ちゃん、化粧を直さないで来たのか、鼻の上が油でテカッている。


おいおい。


気にするな、構うな、無視しろ、俺!!


そんなこと言ったって、またお節介なだけだ。



「あの…どうされました?」


いつまで経っても動かない俺に、案の定店員のお姉ちゃんが、顔を覗き込む。


「あのさ…」


「はい。」


眉毛の辺りをポリポリと掻く。


少しだけ気を使うか。


さっき、ど真ん中の席、取ってくれたからな。



俺は人差し指で、お姉ちゃんを近くに招き寄せた。


「お姉ちゃん、鼻の上、テカッてるよ。」


言った途端に、顔の下半分を、両手で覆い隠すお姉ちゃん。


「…ハハッ、ハハハハ……」


そして猛スピードで、俺の前から遠ざかって行った。



また失敗か。


なんでこう親切心がいつも、仇になるんだろう。


そして、影で言われるんだ。


『デリカシー、無さ過ぎ!!』って……


わかってる。


わかってるんだって!!


だけど、相手の為だと思ってしまうんだから、仕方ないだろう!!!!



と、言ってる矢先に、またあの子を地下鉄で発見。


今度は、立ちながら寝ている。


頭なんて、ガックンガックンなってるし。



目の前の席空いてるのに、なんで座らなかったんだよ。


って言うか、よく寝るな~。


この前も、寝過ごしそうになってるしさぁ。



ちらっとその子を見ると、大量のDVD。


えっ?なんで?


今からそんな時間、君にあるの?



「ん……」


俺の声が届いたのか、ちょっとばっかし、目を覚ます彼女。


気付かれないように、そっと反対側を向く俺。


電車の窓越しに見る彼女は、どう見たって同年代。


そして、仕事で疲れているのか、またスーッと夢の世界へと行ってしまう。



あ~あ。


なんで俺、この子が気になるんだろう。


名前も知らない、その子をまた窓越しに見る。


ん?


彼女の隣に、さっきまでいなかったオヤジ。


不自然な程に、彼女の横にピタッと張り付いている。



スッと伸びる右腕。


ハッと起きる彼女。


なんだ?


知り合いなのか?



でもその考えは、すぐに無くなった。


彼女の顔が、だんだん歪んでいったのだ。


まさか、痴漢???


俺は彼女の背中を見る。


そして、目を疑う光景を見た。


隣のオヤジの右手が、明らかに彼女の、お尻を撫でているのだ。



このオヤジ!!


みんなが見ている前で、公然と痴漢かよ!!


俺はすぐさま、オヤジの腕を掴んだ。


俺の方を見て、血の気がサーッと引いているオヤジ。



「何やってるんだよ。」


俺の言葉に、周りが振り向く。


「あっ、いや……その……」


逃げようとするオヤジの腕を、離さないように必死に握った。


そして、スーッと音もなく、駅のホームに電車が到着。


このまま警察に突き出すか、あの子にも聞いてみようか!!


「ねえ、お姉さん。」


だが俺の視界に、あの子がいない。



「えっ?」


辺りをキョロキョロすると、既にホームへ、走り去っているあの子を見つける。


「うそだろう?」


俺はまだ犯人を捕まえていて、その犯人は逃げようとしてるんだぞ!?


その隙に、スルッと抜けて行くオヤジ。


「ごめんなさい!!」


そう言って、俺の腕をすり抜けて行ったオヤジは、あの子の脇を通って、ものすごいスピードで逃げて行く。



それを見届けるかのように、ガシャンと扉の閉まる音。


プーっと音を鳴らして、あの子が降りた駅を、電車は走り去った。



何なんだよ。


何なんだよ!!


痴漢されてるのを助けてやったのに、また何もなかったかのように、行ってしまうのか!?


「だああああ!!だったら、どうすればよかったんだよ!!!」


仕事をする合間に思い出して、つい大きな声を出してしまう。



「どうしたんですか?下林さん。」


「あっ、いや……」


この前、ストッキングの伝線を指摘した隣の席の女の子が、心配そうに俺を見る。



「……悩みでもあるんですか?」


「え?」


じーっと疑いの目で見る彼女を、俺は信頼してもいいんだろうか。


「あのさ。」


「はい。」


「正直な気持ちを、聞かせて貰いたいんだけど…」


「ええ。」


俺は周りを見ながら、彼女の近くに寄る。



「俺のこと…」


「下林さんのこと?」


「どう思ってる?」


途端に噴き出す彼女。


「えっ?なに?何か可笑しい?」


「だってそれって、『俺は君のこと好きなんだけど、君は俺のこと好き?』って言ってるみたい。」



うわっ!


その勘違いはまずい!


「違うよ!俺、君のこと何とも思ってないし!!」


「知ってますよ。そのくらい。」


な~んだ。


両手を使って、全否定しなくてもよかった?


「そうだなぁ。下林さんって、よくデリカシーないって言われるでしょ?」


「ご名答。」


十中八九、そう言われる。



「だけどそれ、直そうと思ってない。」


「うん。って言うか、なんで知ってるの?」


あまりにも、俺の気持ちを読んだかのような発言。


隣の席の子は、エスパーか?


「だって下林さん、自分では優しさだと思って言ってるから。」


ニコニコ笑う隣の席の女の子は、俺を分析した結果を、さも嬉しそうに報告した



「結論、下林さんはいい人ですよ。」


「あっ、そう。」


いい人、俺がいい人。


そうだよね。


俺、やっぱいい人だよね。



「でもその優しさ、伝わるまで時間かかりますよ。」


俺は椅子から、落ちそうになった。



なんとか落ちる前に、自力で這い上がる。


「えっ?」


「うふふ。下林さんって面白い。」


俺の隣でクスクス笑っているのは、この前のストッキング事件の仕返し?



「この前、ランチに行く前に、下林さんにストッキング伝線してるって言われたましたよね。」


ほら まだ覚えてるし。


「あの時は、そんなところ見ないでよ!って恥ずかしさの方が大きかったですけど、」


「けど?」


「コンビニでストッキング買って、トイレで履き変えていたら、他の人に見られる前に教えてもらって、返ってよかったかなぁなんて、思ったりもして。」


俺の胸の中に、得体の知れない温かいものが、モアーっと広がった。



「だから今になってしてみれば、下林さんに感謝です。」


“感謝”


その言葉を俺はどれほど、待ち望んでいたんだろう。


「俺の方こそ、ありがとう。」


「ええ?」


思いがけない俺の言葉に、彼女はわざと聞き返した。



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