第3章 レンタルショップにて#2

「やだ、店長。そんなふうに見てたんですか?」


笑って言ったけれど、本当にやる気はなかった。


「どうだ?今度この会社の就職試験、受けてみたら?」


「ここの会社の?」



なぜか店長の方が、興奮していた。


「いつまでもフラフラとアルバイトばっかじゃ、生活だって安定しないし。履歴書見たけれど、他のバイトは3か月くらいで辞めてるけれど、ウチは1年になるじゃないか。嫌いじゃないだろう?この仕事。」


「ええ、まあ……」


「だったら、真剣に考えろよ。」


思わぬ提案に、頭が混乱する。


恋愛がダメになると、仕事もダメになる時があるのに、恋愛が始まりだすと、仕事も上手くいく時がある。


だから、人生は面白い。



その日も、小宮山さんはレンタルショップを訪れていた。


ずっと恋愛物の棚を、見つめている。


「小宮山さん。」


振り向いた小宮山さんは、笑顔で迎えてくれた。


「今日はどんな物をお探しですか?」


「う~ん…なんだろねぇ。」


「えっ?」


やけに他人事のような返事。


「なんかさ、昔の恋愛映画が観たいって、言いだしてさ。」



誰が?


そう思った時だ



「ここにいたの?剛。」


一人の女性が、小宮山さんに近づいてきた。


小宮さんと同じ年代くらいの人。


でも彼女は、スーツに肌ざわりが良さそうなコート、左手には高そうな時計をしていた。


マニキュアだって、さりげないくらいの透明なピンク。


一目でキャリアウーマンだって、わかった。



「あった?お目当てのDVD。」


「うん、あったわ。」


二人が見つめ合った瞬間、私にはわかった。



この二人は、付き合っているんだって。



「ありがとう、探すまでもなかったみたいだ。」


振り向いた小宮山さんは、いつもと違う優しい眼差しをしていた。


「この店員さんに、聞いてたの?」


「うん。いつもだよ。」


なっ!っていう表情を、私に向けた小宮山さんは、泣きそうな顔をした私にハッとしたのかもしれない。



「美波。早くレジに行って来いよ。」


「うん……剛は行かないの?」


「俺、もう少しここで見てる。」


「わかったわ。」



小宮山さんから会員証を渡されて、レジに行った彼女さん。


棚の角を曲がる時に、私をチラッと見て行った。


しばらくの沈黙の後、口を開いたのは、小宮山さんの方だった。



「…あのさ。泣かないでくれる?」


小宮山さんの言葉に、ズキッと胸が痛んだ。


「いえ、泣いてないですよ。」


「そう?だったら安心した。俺、女の子に泣かれるの、苦手なんだよね。」


下を向きながら、並んで立つ二人。


傍目には、どんなふうに映ってるんだろう。



「彼女さんは、泣いたりしないんですか?」


「ん?うん……俺、あいつが泣いているのって、一度しか見たことないし。」



“あいつ”


その距離感が、私の胸を余計に、締め付けた。


「DVD好きなのって、彼女さんの方だったんですね。」


「うん……」


「だからあんなに、熱心に……」



止せばいいのに、墓穴を掘り続ける私。


でも泣けない。


これは仕事。


小宮山さんの対応は、仕事上のこと。



「その事で、君に礼を言わなきゃ、俺。」


「お礼?」


少し高い場所からの、斜め目線。


私が小宮山さんを見つめる、最高の角度。


「君が相談に乗ってくれたお陰で、俺、今の彼女と付き合えるようになったんだよ。」


そう言って、少しだけ笑顔になった小宮山さん。


「ありがとな。」


声を出したら、涙がこぼれそうだったから、その変わり激しく首を横に振った。


それを見た小宮山さんは、『またな。』と言って、私の頭の上をグリグリと撫でて行く。



その日の夜、遅番だった私は、夜10:00に職場を後にした。


私を社員にすると、すっかりはりきっている店長は、連休に入る私に、10数枚もDVDを渡してきた。


それを持って、人も少ない地下鉄へと乗り込む。


座席は空き放題。


その中でも、一番端に私は腰を降ろした。



『ありがとな。』



小宮山さんの少し遠慮しがちな笑顔が、思い浮かぶ。


あの笑顔が好きだった。


本気で、映画の事を聞いてくる小宮山さんが、大好きだった。



でも、よく考えてみれば、私、小宮山さんと付き合ってなかったんだし。


思い出も、一か月分しかないし。


うん、しばらくすれば、忘れられるよ。


そして、また好きな人ができるんだ。



小宮山さんよりも笑顔が素敵で、


小宮山さんよりも優しくて、


小宮山さんよりも


小宮山さんよりも……



「……っ」


ああ、ダメだ。


私、相当な勢いで、小宮山さんのこと、好きだったみたい。



――――………

―――……

――…



『そろそろ、こっちに戻ってきた方がいいじゃないの?結婚もしないで、フラフラしてばっかりいて。ほら、同級生の美香ちゃんなんか、もう二人目の赤ちゃん、産んだのよ。』


久しぶりに掛ってきた母親の電話に、うんざりする私。


ことある事に、実家に帰って来い。


結婚は?彼氏はいるの?


同級生はもう、何人目の子供が生まれた。


そんな話ばっかり。



でもそんな話も、今日はなぜか最後まで聞いてしまった。


「うん。私、実家に戻ろうかな。」


『え?本当に?』


「うん、本当に。」


頭を抱えながら、返事をした私。



このまま東京にいても、もう恋をする事はないだろうと思ったから。


働いていた店の店長は、すごく残念がっていた


【もう少し、頑張ってみたらどうだ? 俺、応援するから】


そのまま、私、襲われるんじゃないかっていうくらいの勢いで、真剣に見つめられて説得された。



でも、店長じゃあ 私は無理。


だって店長、頭の半分、髪がないし。



それに私、アルバイトだったから、社員である同僚の店員さん達とは、本音で付き合うことはなかった分、この店に執着心はなかった。


ここにいると、変に小宮山さんの事も、思い出しちゃうしね。



そうそう。


あの後、小宮山さんとは一度だけ会った。


彼女さんが借りた、DVDを返しに来たんだ。



「お姉ちゃん、なんか疲れてんね。」


「そりゃあ、仕事してますから。」


梯子の上に乗ってた私に、お構いなく声を掛けてきた小宮山さん。


「よし!じゃあ今度、美味い飯でも食わしてやるよ。」


「やった!私、焼肉が食べたいです!」


「ははは!ゲンキンな奴!」


もちろん、今月いっぱいで仕事を辞めることも、実家に帰ることも言えなかった。



1週間後、私はアパートの契約終了も待たずに、引越しを始めた。


実家に帰るって言った途端、引越しの費用は、全部親が負担してくれたしね。


驚いたのは、自分の荷物の少なさ。


10年近く住んでいたって言うのに、意外に何にもなくて、自分が東京にいた証って、こんなものかぁって思った。



荷物は頼んだ引越し業者に全部お任せして、私は一人新幹線に乗る為に、いつもの地下鉄に乗った。


ああ、そうか。


この地下鉄に乗るのも、今日が最後か。


今後、東京に遊びに来たって、大した観光地でもないから、ここに来ることもないし。



あっけなかったなぁ。


そんなことを思いながら、やってきた地下鉄に、乗りこもうとした時だ。


グイッと、誰かに腕を掴まれた。


「ヒャッ!」


びっくりして、変な声を出してしまった。



「ごめん!」


振り向いて、私の腕を掴んだ人を見たけれど、全然知らない人だった。



「そんな荷物持って、どこへ行くの?」


真剣な顔。


「まさか、いなくなったりしないよね?」


目の前にいる、私の腕を掴んだ人は、見た事もない真剣な顔で、私の顔をじっと見つめた。


「あの……」


私の混乱した様子を見た、その人はようやく、私の腕を離してくれた。


見れば、私と同じ年代くらいの、サラリーマン風の男性。



なんだろう。


なんでこの人、私にそんなこと言ってくるんだろう。



「あの…お節介もかもしれないけれど。」


その男性は、緊張した感じで、少しだけ私に近づいた。


「どんなに辛いことがあっても、乗り越えられないことは何一つないと思う。」



えっ!?



「影で努力した結果は、必ず現れるよ!!だから、ここで逃げちゃダメなんじゃないか?」



ウソ…


なんで、私知らない男の人に、説教されてんの?


相手の声の大きさに、周りはジロジロと、私達を見て行く。


うわぁ、すごく恥ずかしい。


こういう時は、早々に引き上げるのが一番。



「ありがとうございます。でも、もう田舎に帰るって決めたので……」


そう言って、軽くお辞儀をして、地下鉄に乗ろうとした。


「俺、君の事をずっと見ていた。」


振り向いた私を置いて、地下鉄のドアは閉まり、ゆっくりと去って行った。


「仕事遅くまでして、疲れて眠ってるところとか、乗り過ごしそうになって、起こしてあげた事もあった。」


「あっ……」


そう言えばあった。



最終に乗ったのに、私、眠ってしまって。


誰かに肩を叩かれて、急いで起きて、そのまま地下鉄のホームに走るように降りたこと。


「痴漢に遭っている君を、助けた時もあった。」



あっ、あの時!


助けてくれた人!?


お礼を言おうと思ったけれど、顔を覚えていなくて、話しかけられるのをずっと待っていたのに!


「DVD抱えながら、泣いている君の隣に、ずっと座っていた事もあったよ。」


あの時も。


小宮山さんに失恋して、泣いていた時も。



この人が……


この人が……


ずっと私の傍にいてくれたなんて。



私の目からは、次から次へと涙が流れ落ちた。


「泣かせちゃったね。」


そう言って、目の前にいる彼は、そっと私の涙を拭ってくれた。


「ありがとうございます。」


お礼を言うと、彼の表情は崩れるように、笑顔になった。



「なんか君の涙って、温かいね。」


「だって、あなたの気持ちが温かいから……」



本当だよ。


私、今まで冷たい涙しか、流したことがなかった。


辛くて、寂しくて、情けなくて。


そんな涙ばかり。



でも、今は違う。


こんなにも温かい人が、この世にいるんだって思うだけで、嬉しくて嬉しくて、涙が自然にこぼれ落ちる。



「抱きしめてもいい?」


彼はそう質問したのに、私の返事を待たないで、ぎゅうっと抱きしめてくれた。


「ダメなのかな、俺達。ここから始められないのかな。」


その言葉を聞いて私も、彼をぎゅっと抱きしめた。


そして、私の口から出てきたのは……


「ごめんなさい……」


謝罪の言葉だった。



「ごめんなさい…ごめんなさい……」


もう、それしか言えなくて、私はひたすら謝った。


「もういいよ。わかったから。」


顔を覗かせて、また優しい言葉をくれる。



「謝る必要なんてないんだ。俺が勝手に引き留めたんだから。」


「ごめんなさい。」


「ほら、また謝る。」


そのテンポのいい突っ込みに、私は笑ってしまった。



「そうだよなあ。引越しの手続きも終わってるんだろうし。新しい生活に、気持ちも片寄ってるもんなぁ。」


彼は自分に言い聞かせるように、地下鉄の天井を見上げた。


「あっ、もう少しで次が来る。」


電光掲示板に表示された時間に、彼は時計と見比べた。



「田舎に帰るんだよね。」


「はい。」


「あっちに行っても、元気で頑張って。」


あんなに私を引き止めた割には、あっさりとした別れの挨拶。


でもそれは、私が行きやすいようにって言う、彼の優しさだってわかる。


そして見える、次の電車のライト。



「ありがとう。」


私は彼の目を見つめて言った。


「私、あなたに出会えてよかった。」


正直な私の気持ち。


「あなたと出会えた東京に来て、本当によかった!」



さっきまで、色褪せて見えた地下のホームが、突然色付き始める。


思い出も全部消し去って、また一から田舎で、やり直すんだって、そんな事も思ってた。



次の瞬間、音を立ててホームに停まった地下鉄のドアが、勢いよく開く。


私は荷物を持って、地下鉄に乗った


「バイバイ。」


笑顔でさよならを言った。


「気をつけて。」


彼も笑顔で、手を振ってくれた。


そして、二人を振り切るかのように、ドアが閉まる。



これが最後。


私をずっと見守ってくれていた彼を眺めながら、地下鉄は走りだした。


どんどん遠ざかる彼に、10年近く暮らした東京が重なった。


私をずっと見ていてくれたという彼と、新しい恋が始まらなかったように、ずっと私を見守ってくれていた東京に、戻ることはない。



だけど、不思議に涙は出なかった。


たぶん、土壇場で私を引き止めてくれた彼のおかげだと思う。



誰も私なんて、必要じゃないんだと思っていたのに、彼だけは、私を思わず引き止めてしまう程、必要だと思ってくれていたのに、違いない。


そう考えた途端、自分も捨てたもんじゃないなって思った。



うん。


田舎に帰ったら、もう一度頑張ってみよう。


途中で諦めた、美容師をまたやってみるのもいいかもしれない。


そんな事を思った、田舎への帰り路だった。




― Fin ―

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