第1章 会社にて#2
久々に見た。
周平のクシャクシャの笑顔。
「あ~あ、周平が結婚かぁ。実感湧かないな~。」
「だろ?俺が結婚だぜ?笑っちまうよな!」
周平に釣られて、私も思いっきり笑う。
「もう、私もそんな歳か!」
「大丈夫、大丈夫!」
今度は周平が、私の背中をバシッと叩く。
「美波ちゃんには、いい相手がみつかるよ。」
「なにそれ。」
「俺なりの激励。」
「やだあ!」
私は、無理に笑顔を作った。
「嫌とはなんだ!人がせっかく励ましてんのに!」
「はいはい。ありがとう。」
一通りふざけ終わると、周平は席を立った。
「じゃあ、そろそろ、俺行くわ。愛美が待ってるからさ。」
そう言って周平は、コートを羽織った。
「うん。ありがとうね、ミルクティー。」
「こちらこそ。結婚の話、できてよかった。」
私は心とは裏腹に、作り笑いを浮かべる。
「じゃ!お疲れ。」
「お疲れ様。」
周平の背中を見送るのも、これで最後だ。
「あっ、そうそう。」
帰りがけに、周平は身体半分だけ、振り返った。
「さっきの、いい相手が見つかるって言ったこと。」
「ん?」
「ウソじゃない。本当にそう思うよ。」
私は小さく、頷いた。
「信じろって。夏目のこと、好きだった俺が言うんだから、間違いないって。」
「えっ?」
私はその場で、立ち上がった。
「ウソ……」
「本当本当。しかもかなり本気で。」
言葉を失って、立ちつくす私を見ずに、周平は背中を向けてしまった。
「また明日な。美波ちゃん。」
そして周平は、暗い廊下へと、消えて行った。
「何よ、それ……」
私は、クラクラと目の前の世界が周り、一気に倒れそうになった。
だって、何?
周平が、私の事を本気だった?
「じゃあ、なんで……言ってくれなかったのよぉ……」
私も好きだった。
私も本気だった。
その答えを聞かずに、周平は行ってしまった。
「いらっしゃい、夏目さん。」
「親方……」
気づけば知らない間に、行きつけの店の目の前に立っていた。
「どうぞ。」
誘われて入ると、店の中は誰もいなかった。
「……私、一人?」
「そうですよ。今日は月曜日ですからね。」
そう言って親方は、温かいおしぼりを出してくれた。
「生でいいですか?」
「はい。」
親方がビールを注いでくれている間に、カウンターのど真ん中の席に、ストンッと座る。
「はい!ビールね!!」
ゴトンと置かれたジョッキ。
泡がフワフワしている。
そう言えば、一緒に飲みにくると、周平。
口の周りに、よくビールの泡付けてたっけ。
思い出して、ボロッと涙がこぼれた。
「夏目さん?」
慌てた親方が、もう一枚おしぼりを出す。
「親方……」
「はい?」
「私の、好きな人……結婚するんだって。」
親方は、小さな声でえっ!と驚いた。
「相手は、ウチの会社の受付の子なの。」
俯いた親方。
こんな話、嫌だよね。
いくら常連の客だからって。
「……で?夏目さんは、相手に気持ち伝えたんですか?」
私は首を横に振った。
しばらく無言が続いた後、親方は急に、カウンターを飛び出して、表の暖簾を店の中にしまい込んだ。
「親方?」
「今日はもう店閉めましたんで。他に、客来ないですから。」
って、まだ店開けて、30分も経っていないのに?
「だから我慢しないで、思う存分飲み食いしてください。俺のおごりです。」
そして、親方はまたカウンターの中に入ると、ビールを注いでくれた。
「親方……」
「あっ、なにかつまみ、出しますね。待っててください。」
親方は冷蔵庫の中を、ゴソゴソと探し始めた。
「あっ、あった。ありましたよ、夏目さんの好きなイカの塩辛。」
私の好きな“親方お手製”イカの塩辛を、嬉しそうに見せてくれた時、私の顔はと言うと、涙でもうグチャグチャになっていた。
「親方、私、私ねっ……」
拭いても拭いても、涙が止まらない。
「どこかで、周平も、私のこと好きなんじゃないかって……そう思ってたの。」
周平は、時々私のことを、優しい瞳で見つめてくれた。
周りの女の子には、そんなことしないのに、お菓子くれたり、落ち込んでると、必ず励ましてくれたり。
そうだよ。
周平の『好きだったよ。』発言は、ウソなんかじゃない。
私と周平は、確かに……
好き同士だった。
「それなのに、言えなかった……」
“好き”だって言うタイミングは、何度もあったはずなのに。
「言って、私の勘違いだったらって思うと、好きって言えなかった……」
何度も何度も、一緒に飲みに行って。
何度も何度も、二人っきりになったこともあるのに。
「ねえ…親方。“付き合う”って、契約みたいなものなのかな。」
「契約、ですか?」
親方の返しに、大きく頷いた。
「どんなにお互いがお互いを想っていても、“付き合おう”って言わないと、自分のものにはならない。」
そうだよ、周平。
一言、それを言っていれば、私と周平は今頃、結ばれていたはずなのに。
悔しくて、悲しくて。
涙は、とめどなく流れてくる。
「飲みましょう、今日は。」
そう言って、いつの間にか隣に座った親方。
「飲んで飲んで飲んで。それで周平さんとの事、忘れましょう。」
親方は自分のコップにも、ビールを注いだ。
「きっと、周平さんよりもいい人が現れるからって、神様がくっつけなかったんですよ。」
「やだ。なにそれ。」
そして、私のコップへもビールを注いだ親方は、ドンッとビール瓶をテーブルに置いた。
「大体、好きな女に『付き合え』とも言えず、挙句に他の女とくっ付くとは、俺には納得がいかねえ。」
急に酔いが回ったのか、いつもとは違う口調。
「夏目さん!」
「はい!!」
親方は、据わった目で私を見た。
「夏目さんには、もっといい男ができますよ。俺が保障します!!」
どこかで聞いたような言葉に、私は噴き出した。
「それ、周平にも言われました。」
「あれ?」
さっきまでの親方の真面目な顔が、途端に崩れて、それと一緒に私の奥に引っかかっていたモノも、取れたような気がした。
「よし!新しい恋に乾杯!!」
「いや、まだ新しい恋、してないし。」
と言いつつ、親方の持ち上げられたグラスに、乾杯せざるを得なかった。
そうだね。
今はまだ、周平の事を忘れられないけれど。
もし、また新しい恋愛ができるようになったら、今度は迷わずに、好きだって言おう。
掴んだ恋を、離さないように。
― Fin ―
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