第6話 さざめく想い

 あれから数日後、ヒロの部屋。

「おー!? そういえば今日、小島に会ったぞ」

 椅子に座ってノートパソコンと睨めっこしてたヒロが急に振り返って話し出した。

 ドキッとした。

「へー、どこで?」

 ヒロのベットに仰向けになりながら、漫画を天井に指し示すように見ていたあたしは、一瞬、天井の小さなシミと目が合う。

「帰り道で」

 頭の中に地図が浮かび上がった。

「あんた、どこに帰ろうとしてたの?」

「ここだが?」

「……どこで会ったの?」

「いつも通りの帰り道で、だが……?」

 ページが進まない……。

「ほー」

「小島、めがね止めたみたいぞ」

「えっ!?」

 あたしは思わずヒロに顔を向ける。

「コンタクトにしったって」

 あの時の、ヒロの言葉が瞬く間に蘇る。

「……へー」

「今度、チーの家にでも遊びに来いって誘っといた」

「ほー……」

「……なんだよ?」

 あたしは気付かないうちに相当、不機嫌になっていたようだ。

「いや、驚いてるだけ」

 そう、美咲ちゃんのその行動に……。

 ヒロが「?」という表情であたしを見ていたけど、それどころじゃなかった。

 あたしは、中学時代の美咲ちゃんのことを思い出しながら「本気なんだ……」と、焦点の合わない漫画に目を戻した後、ポツリと呟いた――。


 その日は眠れなかった。

『どうしよう……』

 ただそれだけ。

 どうしようといっても、どうしようもない。

 それなのに、どうしようが止まらない。

 ヒロと美咲ちゃんを別々に思い浮かべる。

 二人が次第に近づいていく……そして最後には、一緒にいるところを想像してしまう。


「んっ!!!!」


 頭を強く振って、消し去ろうとする。

 何度も同じことを繰り返している。

 ――だんだん、壊れそうになっていた。


「ヒロ……」


 あたしは目の前にある写真に、あたしには似合わない、か細い声で囁きかけた――。


 翌日。

 学校から帰ると、あたしはどんよりと曇った気持ちが表れないように、後ろ髪を一束にキュッ!と結い上げ、パンパン!と頬を叩いてから、直ぐにヒロの部屋へ向かった。

 体は急いでるのに『どんな顔したらいいんだろう……』と、気を緩めると弱い自分が直ぐに顔を出す。


 そして結局なんの答えも出ないまま、ヒロの顔が早く見たいという思いだけで、そのドアを飛び込むように開いた――。


「よー、先生♪ はかどっとるかい?」

「ん!? ま、まぁまぁだな!」

 先生は明らかに動揺している(笑)。

 ちょっとだけ心が和んだ。

「3ヶ月なんて、あっという間だからね~」

 ヒロに悟られないように、あたしは何気なくテレビを点けて、ベットの端を背もたれに脚を抱え込みながらゲームを始めた。

 でも、心が落ち着かない……

 ヒロとの距離感が、イマイチつかみづらくなってる……

「ところでヒロ」

「ん?」

「あんた、好きな人とかいるの?」

 あたしのどこかにあったものが、するりと顔をのぞかせてしまった。

 弱いだけじゃなくて、厭らしさも合わせ持った【あたし】。

「は?」

「気になる人とかは?」

「へ?」

「……なんでもない」

 なんとか押し留めた。

「……なんだそりゃ?」

 だけど、一度も聞いたことがなかったことを聞いてしまった。

 今まで聞く必要がなかったこと。

 聞きたくなかったこと……。


 ヒロが【どした?】という雰囲気で、あたしの横で胡座〔あぐら〕をかく。

 心の高鳴り、不安、動揺、そういったものが伝わらないか心配になる……。

「執筆が進むぐらいだから、好きな人でも出来たのかなって……思って」

『言うな千尋!』

「そんなのいなくても、オレ様なら書けるわ!」

「そっか。さすがオールマイティな男は違うね~!」

「あたぼーよ!」

 ヒロがゲームに参戦する。

 あたしは全く集中できない。

「ねー、ヒロ……」

 あたしはもう、自分とは思えない【あたし】に乗っ取られていた。

「うん?」

「もし、あたしに好きな人ができたらどうする?」

「どうって?」

「んー……イヤ? 付き合って欲しくない?」

「それはオレがとやかく言うことじゃないだろ? でも、仮になんか言うとすれば、チーが選んだヤツだろ? それっていいヤツなんじゃないか?」

「嫌じゃないの?」

『……嫌って言って欲しい』

「嫌もなにも、チーが決めることだろ?」

「……うん」

「チーがいいやつだって思うなら、応援するよ」

 心が砕ける音が聴こえてきた――

『応援……』

 あたしは、見えない何かにすがり付こうとする。

「じゃあ、もしその人が、〈ヒロと仲良くするな〉とか、〈家を行き来するな〉とか言ったら?」

「それは寂しいけど、チーにとってそれが大事なことなら仕方ないよ」

「じゃ、もし、あたしが悲しむようなことがあったら?」

「そいつをタダじゃおかない」

 最後のその答えは分かってた。

 でも、聞かずにはいられなかった……。

「ヒロは【いいヤツ】だ♪」

 精一杯の想いでつづってみる。

「当たり前だ!(笑)」

 ヒロらしい答えが返ってきた。

「そうだね♪……さて」


「……」


 あたしは立ち上がり、「じゃね」と言って、早々に退散することにした。

 ヒロの部屋のドアを閉めた後、鉛のように重い体と、フッ!と吹けば薄汚く舞い上がる煤だらけの心でドアに寄りかかった。

 さっきまでの会話が、頭の中を通り過ぎては戻り、走り去っては引き返してくる。

 すると――、

『ぁ……』

 帰り際のヒロの視線を思い出した――。

『絶対に心配してる!』

 あたしは反射的にもう一度ドアを開けた!

「そーそー、いくら幼馴染のあたしでも、そのパソコンに打ち込んでる、【ああああああああぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁあああああああああああ】っていう文章は、全く意味わかんないから♪」と、おちゃらけた姿を見せてから、軽やかにドアを閉めた。


『長瀬千尋! ヒロを守るのが1番大事! 不安にさせちゃダメ!!』

 あたしは自分にきつく言い聞かせて、【たのしく】ウチへと帰る……。

 ヒロの家の玄関を出ると、二階の窓から「チーッ!」という、どこか探し物をするようなヒロの声が降って来た。

『あたしは愉しく帰ってる……』

 リズムよく左右に流れる後ろ髪と、ピンと伸ばした右手を軽やかに揺り動かすことで、それを出来るだけアピールする。

「振り返らない……」

 あたしは呟いた。                                 

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