第2話初めての高鳴り
それは公務からの帰り道のことでした。
わたくしは侯爵家の長女として、隣街の教会へ来期予算の打ち合わせに出向きました。隣には幼馴染であり我が街随一の魔法使い、ロザリーが共にいます。
このロザリーは元は国王陛下直属の宮廷魔導士に最年少で着任した天才です。
それが何故聖職者の恰好をしているかと言うと、それは彼女が宮廷魔導士になって1年が経ったころの事。
幼いころから全属性の魔法を使え、魔力量も桁違いだった彼女は元来の勝気な性格もあり、瞬く間に魔導士としての地位を高めていきました。しかし年端もいかない少女に蹴落とされた魔導士たちはそれが気に入らなかったのです。
最初は軽いいじめから始まったと聞いています。ですがそれは徐々にエスカレートし、ついには食事に麻痺薬を盛られて男たちが襲い掛かりました。
「イヤ…!やめて!」
そう叫ぶと頬を張られ、服をはぎ取られます。
ですが偶然、これも神の思し召しでしょうか、わたくしが彼女に用があって城へと出向いていたのが幸いしました。彼女が穢される直前に助けに入ることが出来たから。
当然、我が家の全権力を持って加担した者たちは放逐し、裏で始末しましたが彼女が負った心の傷はとても深いものでした。
「あ…あ、あの…!」
「どうしたロザリー?」
「イヤぁ!!ち、近付かないで!!」
重度の男性恐怖症。
懇意にされ、娘のように可愛がってくれていた国王陛下にまでそれは及びました。
事態を重く見た陛下の好意により、わたくしの実家、ベルシュタイン領にある教会でシスターへと転身することとなり、彼女の輝かしい未来は奪われてしまったのです。
悲しい事ですが、シスターに身を置く女性たちはそう言った経験がある者が多く、彼女も今の場所で満足しているようですけど…。
この子の実力を知っているわたくしは正直気に食わないのが本音です。だってこの子は、その気になればもっと大舞台に立てるだけの力を秘めているのですから。
「…お嬢様。」
「ひっ…!」
御者をしてくれているセバスが小窓越しに声をかけてきても、それだけでビクッとするロザリー。
わたくしは「大丈夫よ」と彼女の膝に手を置いて返事をした。
「失礼しました。……もう間もなくお屋敷へと到着いたします。ですがこの先、森を抜ける際にしばし揺れが続くかと思われます。」
「ええ、分かったわ。ありがとう。」
こういった細かい気配りが出来るセバスは得難い執事。わたくしが生まれる前から家に仕えてくれている大ベテランでもある。
「うぐぁ…!」
直後。そんな彼の、聞いたこともないくぐもった声。
途端に喧騒が激しくなる馬車の外。
「貴様ら!どこの手の者だ!」
「くくっ、んなもん知ってどうすんだよ。」
護衛の存在をロザリーに感じさせないように締め切っていたカーテンを開けて、わたくしはようやく敵襲を悟った。
ロザリーは恐怖が蘇ったのか、硬直し、蹲る。
「おいテメェら!今日は上物を抱けるぞ!」
汚らわしい言葉に沸く襲撃者たち。
そのリーダーと思わしき男の首にかかっているのは冒険者ギルドでA等級を示すネームタグと、その不名誉除隊を示す十字傷。
隊長のグレゴリー率いる護衛たちは騎士学校を出ているとはいえ、A等級相手では分が悪すぎる。
「っ…!」
こんな時、本当なら一番頼りになるはずのロザリーを見ると、今にも戻してしまいそうな表情。
わたくしが何とかしなくちゃ!私だってロザリーほどじゃ無いにせよ、子供の頃は彼女のライバルだった。
学校に通い始めても差が開く一方だったけど、それでもその背中を一番近くで追いかけてきたのだから!
「目標、補足。」
私にはロザリーにも負けたことが無い武器が一つだけある。それは混戦においても正確に目標を捉えることが出来る【ターゲット】のスキル。
これに魔法をエンチャントして…
「地の聖霊よ、我が願いに応え捕縛せよ!『
「馬鹿が!【マジックレジスト】!」
A等級の男は腕輪を掲げると、私の魔法は霧散した。
「そんな…!」
アレは…レジストアイテム!?なんであんな奴が持っていますの!?
「ひゅ~!依頼主が太っ腹で助かったぜ。」
依頼主?それは一体…
「お、お嬢様…お逃げくだされ…!」
胸に矢が刺さったセバスは何とか意識を保ちながらそう進言する。
でも、ロザリーが居る中でこの包囲網を突破するのは無理よ。ざっと見回しても30人くらいで囲まれてる。もしかしたらもっと隠れているかもしれない。
「…わ、私が、なんとか、する!」
「ロザリー?!」
震える手で錫杖を構えるロザリー。
でも、いくら彼女の魔力をもってしてもこの精神状態じゃ魔法なんて正確に扱えない。
そうこうしているうちに、護衛たちは劣勢を強いられジリジリと後退していく。
その時、
「た、隊長!何を…うがっ!」
護衛部隊の隊長だったグレゴリーが突如兵士に斬りかかった。
「おいおい、まどろっこしい事してんじゃねーよ。」
「ああ?こちとら玩具に傷がつかねぇように慎重にやってんじゃねぇか。テメェこそ、このまま裏切らねぇんじゃねぇかと思ったぜ。」
「そんな…!グレゴリー!何をしていますの!?」
わたくしは怒りのあまり叫んだ。
グレゴリーが裏切り?そんな素振り一度も見せたことなかったのに!
「悪いね嬢ちゃん。嬢ちゃんたちはかなり金になるって聞いてな。こちらとら王都近衛軍から外されてこの方、博打で負けた借金でヤベェんだ。」
「隊長…いや、グレゴリー!貴様あ!!」
グレゴリーの副官だった女性、リースリット・ノエルが叫ぶ。
「言い忘れてたがお前も売り物だからな。あの時俺に靡いてりゃ、こんな目に遭わなかったのによ。馬鹿な女だぜ。」
「下郎が…!」
「【ブースト】」
グレゴリーがスピードを高めるスキルを行使したかと思うと、わたくしの首にグレゴリーの手がかかった。
「…一度嬢ちゃんのデカ乳を好きにしてみたかったんだ。このドレスも中々ソソるじゃねぇか。」
「オイ!傷はつけんなよ!全員で楽しむんだからよ!」
なんて汚らわしい!
こんな男にわたくしは…!ロザリーまでも!
ああ、とそこでようやく分かった。彼女がどれほどの恐怖と嫌悪を味わったかを。
でもここには助けなんて来ないし、絶望しか待っていない。
「た、助けて…!」
ロザリーがかき消えそうな声で叫ぶ。男たちは何がそんなに楽しいのか、へたり込んだ彼女を見てニタニタと笑う。
ところが、そこで不思議なことが起こった。
チラチラと舞う雪のような光が降り注ぎ、それは次第に一か所へ収束していく。男たちは魔法を警戒してレジストアイテムを用意した。
そして、一閃。
光りが抜き身の剣を持った一人の男の姿を形作る。
体躯は190にもなろうかという大柄で、雑多に切られた頭髪、白い鎧とマントはどこか古の聖騎士を思わせる出で立ち。
剣から血が一滴滴った。
「…へ?」
グレゴリーは自らの首をしきりに触りだす。
その首が振り向いたと同時に、ポトリと地に落ちた。
聖騎士は周囲を見渡す。
「な…なんだテメェは!」
何のスキルも使った形跡が無いにも関わらず、一瞬にして周囲の男たちは腹部を割かれていた。
なに…?一体何が起こってるの?
「い、今だ!攻勢に出るぞ!」
リースリットの一声で護衛たちは攻勢に転じ、瞬く間に男たちを屠っていく。劣勢に見えた戦場は形勢逆転の様相へと変わる。
だが…
「くっ…こいつ!」
「俺をそこらの雑魚と一緒にするなよ?テメェらなんぞ俺一人でも十分よ!」
ひと薙ぎで周囲の兵士を弾き飛ばすA等級の男。
死んだグレゴリーを除けば一番の腕であるリースリットさえ手も足も出ない。
「…俺が行こう。君たちはあちらを頼む。あの執事は早く治療しないと手遅れになるぞ。」
聖騎士が対面に立ち、こちらを顎でしゃくった。
「……
A等級は一対一の状況となり薄く微笑んだ。大盾とアックスを手にするその男にとって、この状況は有り難かった。
男の一番の武器は何よりその怪力。そして片手剣相手の一対一だと盾を持った方が遥かに有利だ。
絶望的とも思えた対峙の最中、わたくしはひっそりと【鑑定】スキルを行使した。
なぜそんなことをしようと思ったのかは分からない。
ゾクリ
わたくしの背中を冷たいものが走ったのをよく覚えている。
名前はレナード・アーヴィング。
そのステータスは、A等級の男のそれを倍近くも凌駕していた。
人なのかと疑いたくなるそれの前では、スキルだの有利不利だのが児戯に等しい。
「…お前、A等級か。」
「ああん?なんだ、今更ビビったのか?そうさ、俺様は元A…」
レナードは消えた。
いや、それほど凄まじいスピードで眼前へと突っ込んだ。
咄嗟に盾を構える。
「俺は、SS等級だった。」
その言葉と同時に、素手で一撃を与えられる。
ダグダは遥か後方まで吹き飛び、大木に激突することでようやく止まった。
そこには拉げた盾と人の形を成していない物体だけが残されていた。
まるでドラゴンが薙いだ跡のような痕跡に、一味の男たちは武器を落とし降参を示したのだった。
わたくしは目の前で起こったことが信じられなかった。
きっとそれは兵士たちも同じだろう。セバスの治療をしているリースリットもその手を止めずに男を見ていた。
…
SS等級は200年ほど前、“勇者の惨劇”で共に命を落とした聖騎士が最後の存在。
登録名を、レノ。
一人の孤児が冒険者から聖騎士と成りあがり、悲劇の現場となった封印の儀式でも勇者の末裔を守るべく魔族と戦ったという言い伝えは、誰もが子供の頃に聞かされる寝物語。
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
私はあの日の光景をフラッシュバックしていた。
男たちの手が私に伸び、服を剥ぎ、口を押さえつけるあの感覚が蘇って吐き気を催す。
「【ブースト】」
「あぐっ…!」
恩人でもあり、親友でもあるアメリアの首に男の手がかかった。
今度は私が彼女を助ける番。なのに私の体はちっともいう事を聞いてくれない。
立とうと思っているのに尻もちをつき、呪文を唱えたいのに口から漏れるのはガチガチと歯を打ち合う音。
これは悪い夢?こんな酷い顛末、現実なわけないよね?
「…一度嬢ちゃんのデカ乳を好きにしてみたかったんだ。このドレスも中々ソソるじゃねぇか。」
「オイ!傷はつけんなよ!全員で楽しむんだからよ!」
憎しみが沸々と沸いてくるけど、それ以上に恐怖が勝ってしまう。
でも今は、今だけは、どうか助けてほしいと願う。
私の事なんてどうなって良いから、アメリアだけはどうか…
「た、助けて…!」
声が出てくれた。
震えた声だったけど確かに出てくれた。
するとその直後、それは起こった。
光りが舞い降りたと思えば目の前に見知らぬ男の姿。
…助けてくれるの?
いいえ、騙されてはダメ!
こいつも男なのよ?
アメリアを捕まえていた男が死ぬ。
…助けてくれた?
騙されちゃダメだったら!
この男もきっと私たちを穢そうとするに違いないんだから!
私の葛藤を余所に、その男は相手のリーダー各の男を一撃で仕留めた。
何が起こっているの?分からない。理解が及ばない。
そうか、きっと私たちを独り占めしようとしただけね。
ほら見なさい!私の方へ一直線に歩いて来て…
「…無事で良かった。」
そう言った。
仏頂面に、かすかに浮かべる笑顔が私の心にスッと染み込んだ。
ドキっ
騙されるな!
胸の鼓動が止まらない。
…騙されるな!
ドキっ、ドキっ
寝物語で読んだ王子様なんてどこにもいないんだから!
ドキっ、ドキっ、ドキっ
コイツだって今にも私たちを……
「安心してくれ。俺が必ず君を守るから。」
顔が熱いのは、胸の鼓動が煩いのは、きっと恐怖のせい。
そうに違いないのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます