日常茶飯事

tolico

それは、しあわせ太りというもので


「よし、ご飯食べる量を少なくしよう!」


 唐突にそう言いだしたのは、付き合って十年になる愛しの彼女。



千子ちこさん、急にどうしたの?」

悠一郎ゆういちろうさん! ちょっとダイエットしよう! ほら、これ!」


 そう言って彼女は自分のお腹をわしっとつまみ、俺のほっぺたもむにむにと撫で回す。


 三十歳も半ばになれば代謝が悪くなり、脂肪も落ちにくくなってくる。加えて定期的な運動をしていないため、筋肉による脂肪燃焼効果も薄い。確かに、付き合い始めた頃より着実に体重を増やし続けている。

 それは彼女も同じで、健康診断の度にお腹周りが増えたと言っていたり、むっちりとした太ももを残念そうにつかんでは、定期的にちょっとした筋トレを始めたりする。

 しかし長くは続かなくて、毎度体重を減らすまでには至っていないようだった。


 でも、と俺は言う。


「千子さん別に太ってないじゃない」


 すると彼女は笑顔ながら、ぷるぷると小刻みに顔を震わせる。


「そう言ってくれるのは嬉しいけど。ここ数年で体重増えたし、昔と違ってちょっと筋トレしたくらいじゃ全然減らないし、気を付けないとおデブまっしぐらだよ! 適度に痩せてる方が良いですよ!」


 まあね。


 いざとなれば俺は三日くらい食べなくても全然平気だったりするけど。言っても学生時代は運動部。元々付いている筋肉と普段の動作に気を配る事によって、ある程度の筋力を維持してはいる。

 しかし彼女は、今までこれといった運動をしていなかったらしい。小柄で筋力があまり無く、その割にはよく食べるし最近はお酒もよく飲むようになったので、なおさら痩せにくくなっているのだろう。

 定期的な運動は習慣になるまで続けないと意味がない。簡単に出来て比較的無理がなく、反動が少ないという意味で、食べる量を減らすというのは有効な手段であろう。


「悠一郎さん協力してね! ちょっとくらい痩せようね!」

「そうね。千子さんもあんまり俺に食べさせないでね」




 彼女は休みの日に遊びに来る。


「職場でね、お昼はご飯を出来るだけ少なくして、ドレッシングとかも使わないようにしてるの!」


 今日は何を食べた、という話をよくする彼女。社食で決まった量が出るため、残すのは勿体ないけど、ご飯を減らす事は出来る、と揚々と話す。


「悠一郎さんは、昨日は何食べたの?」

「俺? 食べてないよ」

「一日中!? それは良くないよ!?」


 しれっと言う俺に千子さんが身を乗り出して抗議する。


「だってお腹空かないもん」

「そぉれは、まぁそ~うなんでしょうけども~」


 身も蓋もないが事実を述べると、彼女は苦笑しながらも若干納得いかない様子である。しかし食べなければ増えない。それだけだ。


「うーん。よし、買い物行こう。お昼だし」

「お腹空いたの?」

「空いてないの? いや、空いてないのか」


「入るよ」

「それは、食べない方が良いね? いやあんまり良くないけどさ」


「でも、千子さんお腹空いたんでしょ? なら食べた方が良いよ」

「悠一郎さん食べないなら食べなくて良い」

「食べるよ」

「うん。うん、はい」


 終始半笑いの彼女とにこにこ笑顔の俺。


 そんなわけで買い物に出かけた。





 キャベツを手に取り、どちらが重いかと渡して聞いてくる彼女。


「野菜いっぱい食べたいね! ポトフ作る」

「肉肉野菜、肉野菜」

「お肉は入れないよ」


 そう言いつつウィンナーは入った方が良い、と、野菜売り場から移動する千子さん。ポトフにはウィンナー欲しいですよね。うんうん。わかる。

 俺はじゃがいもをカゴに放り込み、あとに続く。



 早々ウィンナーを選び、乳製品コーナーを過ぎた辺りで彼女が足早に商品棚に近づいて行った。


「おおぉ、美味しそう! ケーキ~良いなぁ!」


 身体を屈めて顔を近付け、目をキラキラと輝かせてそこに並ぶ品々を眺めている。


「ひとつ買ったら?」

「う~、でもね~ダイエット~」


 うんうんと唸りぶつぶつ呟いている。そうしてしばらく迷っているようだったが、すたすたと先に歩いていた俺の持つカゴには、いつの間にかちゃっかりティラミスが入れられていた。




 家に帰ると部屋着に着替えて、早速買い物袋から野菜を取り出す千子さん。鍋に湯を張り沸かす。その間にささっとじゃがいもを洗い、縦割り四つにした俺。沸かされた鍋に塩を入れ、当然のようにじゃがいもを放り込む。


 ちらっとそれに目をやり、俺に顔を向ける彼女。無表情。からのニヤリ。

 一呼吸の後、もう一つ鍋に湯を用意して、マイペースに。洗った野菜たちをざく切りしたり、ちぎったりして放り込んでいる。にこにこと鼻歌も交じりだした。


 じゃがいもに火が通るまで彼女の様子を見ながら、おもむろに冷凍庫から棒アイスを取り出して袋を開ける。

 千子さんがじっと見て来るので差し出すと、一瞬ためらった後、あぐとひと口。こくこくこく、と、キツツキのごとく首を縦に振っている。美味うまいらしい。俺も残りを食べる。


 固めに茹で上がったじゃがいもをざるに取り冷ます。中華鍋に油を用意して熱する。ポトフの鍋から水分が飛んだのか、パンッポンッと油が爆ぜる音がしてきた。

 すると、すかさず千子さんが数本のウィンナーを油に投じる。肉が焦げる良い匂いと、じゅわじゅわと食欲をそそる音が広がった。


 さっと揚がったそれをキッチンペーパーに取り出し、じゃがいもを入れた。お互いにウィンナーをかじりつつ、それぞれの料理を進めていく。




 暫くすると、何人前を想定したのか鍋一杯に溢れんばかりのポトフと、山盛りのフライドポテトが出来上がった。



「凄い量だね」

「野菜いっぱい食べたかったからね! 全部食べる必要はないんだよ?」


 どや顔で笑顔を向けてくる彼女。まあ、入るんだけど。



 案の定、鍋一杯だったポトフはおかわりの末、あと一食分無いくらいにまで減る。美味しいからね。仕方ないね。



 「ポテトは美味いの~困るの~」


 ハの字眉でポテトを口に運ぶ千子さん。もぐもぐと、そろそろ飲み込むかというタイミングで俺は次のポテトを彼女の口元に差し出す。

 ごくんと飲み込んで、差し出したポテトが開いた口に吸い込まれた。すかさずもう一つ。しゅぽっと音を立てる勢いでそれも彼女の口内へ消える。

 もう一つ、もう一つ、と、だんだん楽しくなってきて俺も彼女も笑い出す。





「これじゃあダイエットは無理だね~」

「明日から本気出す!」



 呑気な俺に、ふんすと拳を握る千子さん。ソレ、結局ダメなヤツデスヨネー。







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