針子の乙女

ゼロキ/ファミ通文庫

第1話 蜘蛛と針


 一五歳の私の持ち物は数着の古着と、蜘蛛と針だけだった。


 前世の名前は紬。今世の名はユイ。

 ヌィール・ユイ。

 私は地球の日本で生まれ、一八歳の記憶を残したまま、異世界で生まれかわった人間である。

 まだこの世界のことも、家の特色も詳しくは知らない赤子時代。

 その小さな精霊は、傷ついていてシクシク泣いていて、服もズタボロだった。

 そんな精霊は、時々見かけた。

 この世界に産まれてから、私の目はそういうモノが『視』えるようになっていた。さらに色々と試してみたら自分の魔力っぽいモノも操れるようになった。

 赤ちゃんは暇だ。

 私が私として覚醒したのは、悲しいことに生まれて間もなくだった。

 いや、羊水の中だったかもしれない……なんとなくまどろんでいたような記憶が残っている。

 出産時周辺の記憶は飛んでいるのだ。前世の記憶は飛んでいかなかったが。

 だからこそ自我のある赤ちゃん期は、本当に暇で苦痛だった。

 まだ言葉も分からない状況だったが、私の世話をまかされているようなメイドっぽい人達から、愛情の欠片も感じなかったし。

 おざなりな世話のせいで、泣き喚いて下の処理やらミルクをせがまないといけないのも辛かった。

 かなり放置されたしね!

 そのせいで、言語を覚えるのが遅かったわ!

 正直、この家が貴族の家だと気づくのも遅かった。精霊や魔力っぽいもののおかげで、異世界に生まれかわったと認識はしていたけど。

 前世にテレビとかで目にした中世ヨーロッパのアンティーク家具っぽいのがあったけど、手入れがいきとどいてなくて薄汚れていたし、白かっただろう壁紙は黄ばんでいて所々めくれていたし、重そうなカーテンは、もう何年も洗ってないみたいで、ほこりにまみれていた。

 子供部屋で、こんな状態なのだ。

 メイドがいても、没落した商家かな? と、思っていた。

 ちなみに、この推測は……一〇歳までついていた家庭教師にこの世界の言語を教えられるまで続いた。

 私の生まれた家は、ヌィール家という家名で、衣服に加護(?) を縫い込める力をもっているらしい。

 前世で友人に借りた本のように、男爵とか伯爵とかそんな称号はない。王族があって、貴族は等級で区別されていた。

 ヌィール家は私が生まれた頃は、まだ二等級貴族だったらしい。

 貴族の中で二番目くらいに偉いってことで、分かりやすくていいなと思った。

 先代……つまり私の祖父が当主の時に、一等級から二等級に落とされたという話なので、豚っぽい容姿の父親は、よく自分達の家が本当は一等級なのだと喚いていたのを覚えている。


 そんな家で大半の時間を寝て過ごしていたが、前世の記憶があり自我のある私には、思い通りに動けないのはストレスだった。

 ボロボロになった状態の精霊が視え、魔力っぽいものが視え、魔力が操れなかったら……ストレスで人格が壊れていたかもしれない。

 だから暇つぶしと言ったら悪いが、糸っぽく伸ばした魔力を操って、その精霊さんの服を簡単に繕ってみたのだ。

 最初は伸びてきた魔力に怯えた精霊さんだったが、ソレが自分の服を繕うのに驚き、目を輝かせて喜んだ。

 繕い終えて魔力の糸をプチリと切ったが、繕った糸は消えず、精霊さんの衣服をキラめかせていた。

 精霊さんは私の頬にキスをすると、楽しそうに嬉しそうに飛んでいった。


 それから私の魔力はほとんどを精霊さん達に使われ続けた。他に使おうという意識も湧かなかった。そう、ずっとずっと、一〇年間。

 一〇歳の誕生日に蜘蛛と針をプレゼントされ、加護縫いをするように命じられて……普通の服は普通に、蜘蛛の糸というのは普通じゃなかったが……まあ、普通に縫ったつもりだった。

 加護縫いというのが、自分の蜘蛛の糸に魔力を込めることだと、事前に教わらなかったから。

 私の精密な魔力操作は、通常かけらも魔力をもらさないので、糸に魔力がこもるわけがなかった。

 私の手は、他の誰よりも綺麗に早く……下手すると前世のミシンよりも早く綺麗に縫い物を仕上げていたが、この家ではそんなモノは無価値だと分かった時には遅かった。

 罵られる日々。

 粗末な食事。

 みそっかすな子供と笑い、邪魔者扱いする家族。

 一〇歳の子供を、嬉々としていじめる使用人。

 ……最悪な環境だった。


 翌年、縫い目がガタガタで、でも魔力を込められる一つ下の妹がいたことが、さらに私の立場を悪いものとした。

 妹は、ちょっと勉強嫌いな所もあるが、普通の甘えん坊な子供だった。

 一〇歳の誕生日に蜘蛛を受け取って、加護縫いができるどうか試すまでは。

 面倒を見ていたのはほとんど私だったし、姉妹仲は良かったはずだった。

 でも、一〇歳の子供がいきなりチヤホヤされるようになり、時には叱ることもある姉よりも立場が上になって、歪まないはずがなかった。

 一年間私の扱いを見て怯えていた子供は、その瞬間……私をいじめる側を選んだのだ。

 あんな環境では、仕方ない。

 その日から、これまで確かにあったはずの姉妹の情は消え失せることとなったのである。

 私の手を離れ……勉強嫌いでわがままで、気に入らないことがあるとヒステリーを起こす両親そっくりに育ってしまったしね。

 私はその間も観察を続け、気がついた。普通の人は、魔力を糸のように操作できたりしないらしい。

 そもそも、魔力や精霊さん達も見えないらしい。

 ただ家の血族は特殊な蜘蛛と契約し、その糸に魔力を宿して加護を縫い込む力があった。

 本当は私も、そう縫おうとすれば縫えるのだが、ソレが分かった頃には、もうこの家のために価値あるものを生み出す意欲など、すっかり削られてしまっていた。

 まぁ、元々ろくでもない家族だったし、どうも私は前世から、血縁関係の家族には恵まれない運命でも背負っているのかもしれない。

 未来の家族には希望を持ちたい。


 そして私は一五歳の春、家から出された。


 私の手による作品を見た方が、その美しさに見惚れて私の腕を欲しがったのだ。

 その方とはカロスティーラ・ロダン様という文官で、四年前に三等級から二等級貴族に取り立てられた人だ。


 この国では、貴族の位は結構簡単に上がったり下がったりする。

 高い能力や技術を持つ者は、その人一代に限って二等級貴族になれる。その技術や能力を長く継承できる家が一等級貴族になれるのだ。

 もちろん、長く続いた一等級貴族も能力や技術が落ちれば、等級も落とされる。……ヌィール家のことである。

 当主である父親は、同じ時期に二等級から三等級に落ちて、ロダン様を一方的に嫌っていた。

 もちろん逆恨みだ。……世情に疎い私が知っているほど若くて美形で優秀な人を、なにか汚い手段で等級を上げたのだと、妬んで喚いていた。


 私がロダン様に引き取られることを聞いた妹はとても不機嫌だった(なぜなら都でも評判の美形貴族であり、彼女の中では婿候補の大本命だったからだ)のだが、針子としていくのだと知ると一転して上機嫌になり、将来は私が奥様となってあなたを働かせてあげるんだから敬いなさいよねとか、ふざけたことを言っていた。

 本当に、ほんの数年で妹は馬鹿に磨きをかけていた。

 退化したと言ってもいいだろう。

 この家の人達ってば、自分達が特別なことを鼻にかけていて、だいたいこんな感じなのだ。

 げっそりする。

 しかしあの父親が、ヌィール家にとって無価値とはいえよく私を彼に差し出す気になったものだという疑問が浮かんだのだが、それもすぐ解けた。

 一応ヌィール家の一員として、針子として雇うとはいえ、カロスティーラ・ロダン様は結構なお金を出したらしい。

 父親がニヤニヤして、どこからか届いた物や硬貨の音のする袋を覗いていたので、察した。

 支度金ともいえるソレが私に渡されることは当然なかった、私の持ち物は、数点の古着と蜘蛛と針だけ。

 カロスティーラ家で繕い物を一手に引き受けるおば様(私の上司)は、私のやせ細った姿と手荷物の少なさに涙ぐんだ。

 でも予想されていたのだろう、私に支度金の行方などを尋ねる人はいなかった。


 カロスティーラ・ロダン様は、妹のミーハーな言動ももっともなくらい、若くて美形だった。青い目に茶金色の髪、細身だが長身。モデルのようにスタイルのよい人だった。

 屋敷はヌィール家より小さかったが、隅々まで手入れがいきとどいていて、清潔で明るく、息がしやすい。楽しそうな精霊がそれなりに存在していて、嬉しい。

 ヌィール家では衣服が破れて悲しそうな精霊と、その精霊達をこそこそっと私のもとに連れてきてくれる精霊、あとは私につねについてくれている精霊達しかいなかった。ロダン家でのびのびとしている精霊達の姿はとても自然で、これが本来の姿なのだなと分かった。

「本当に、ヌィール・ユイなのか?」

 私を見て、肩にいた蜘蛛を確認して、カロスティーラ・ロダン様は涙ぐんだ。

「加護縫いができないとはいえ、ひどい」

 私が驚いてアワアワしてる間に、今日はゆっくり休むように言われて頭を撫でられ、顔合わせは終わった。


 当主のカロスティーラ・ロダン様と面談後は風呂に入れられ、磨きこまれ、おば様の娘のお古(でも新品同然)を着せてもらい、食堂でちゃんとした食事を出されたのだった。

「あったか、い」

 久しぶりに喋ったら、喉が上手く開かなくて、声はかすれて小さかった。

 ついでに今世、この世界の言語を忘れかけていた。一〇歳から五年間、まともに声を出さなかったからだ。

 幼少期の言葉の遅れの弊害と、あのヌィール家の人達と会話を試みる気力がなかったこともある。それに脳内では日本語だったからなぁ~。

「美味いか?」

 久しぶりの温かく、しかも私の体調を気遣った優しい味。小さく柔らかく煮込まれた具だくさんのリゾットだ。精霊がいつものように、だが、こっそりとでなく堂々と温泉に浸かるように入っていて、笑ってしまった。

 今世で、家庭教師の先生にこっそり貰ったお菓子のように、幸せの味だった。

「おいしぃ」

 夢中になって、食べた。が、すぐにお腹いっぱいになってしまった。

 胃が小さくなっていて、ほとんど食べられなかった。

 美味しいか聞いてくれ、食べるのを見守ってくれていた料理長に謝ると、強面の料理長のおじさままで涙ぐんでしまった。

「謝らなくていいぞ。だいたいの食べられる量を知りたくて、少し多めに出したんだしな。次は適量出してやるから、少しずつ食べられるように増やしていこうな」

 体はガリッガリで一五のはずなのに一〇歳程度にしか見えず、髪も肌も栄養不足でガッサガサ……難民キャンプから拾われてきたようにしか見えない私(一応貴族のはしくれ)に、実家での扱いが簡単に想像できて、カロスティーラ家の皆さまは一気に私を歓迎することにしたらしい。

 ロダン様を目の敵にして色々と嫌がらせをしてくるヌィール家から人が来るのは、当初あまり歓迎されなかった。しかし来たのは見るからに虐待されていた子供だったので、彼らは私に優しく接してくれたのだった。

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