とある夫の10分間のリベンジ KAC3
ゆうすけ
夫が真剣にリベンジを挑む休日の夕方
土曜日の午後5時45分。
ある夫婦のマンションのダイニングには、二人が向かい合って座っていた。
そこはかとない緊張感が漂い始める。
これはその夫婦が毎週末行っている真剣勝負だった。
「ねえ、あなた?」
「よし、始めるか」
「というよりね、いい加減そろそろ諦めたら? もう私、2ヶ月も土曜の夜、晩御飯作ってないけど。今日は私が作ってあげるから。ね?」
連敗を7まで伸ばしている夫は妻を恨めしそうににらむ。
「何を言うか。7連敗で負けっぱなしで情けをかけられたなんて、男の沽券にかかわる。今日は絶対勝つ!」
「もうやめておきなよ。今日は私が作るから、あなたテレビでも見てて?」
妻は夫にそう言って立ち上がろうとした。そんな妻を手で制して、夫はまなじりを決して言い放つ。
「なにを言うんだ!俺は、俺は、…… 勝っておまえのメシを食うんだ!」
「…… ホントにいいの? 今ならまだ引き返せるのよ?」
妻は夫の瞳をまっすぐ見つめる。妻は言い出したら聞かない夫の性分を十分理解していた。もはや説得は不可能だろう。
「もちろんだ。今日こそは絶対勝つ! ははあ、おまえ、さてはネタ切れなんだな? 負けそうなのがイヤなんだろ?」
夫は妻を見てニヤリと笑う。どうやら今日の夫は十分な勝算があるらしい。
そこまで挑発されては妻も黙ってはいられない。彼女はため息をついて夫に告げる。
「…… しょうがない、分かったわ。やりましょう。後悔しても知らないからね」
「おまえこそ覚悟しろよ。まずは時間の確認だ」
「17時49分30秒ね」
「OK。俺の先攻でいいか?」
「いいわよ」
妻は勝負師の目になって言う。
「やるからには全力でやるわ」
手を抜く気はまったくない。
「手加減しないからな」
夫は言った。
妻は当然よ、と視線で答える。
夫婦の真剣勝負のゴングが今、また高らかに鳴った。
「おまえさ」
「なに?」
「最近、やらなくなったの?あのダイエット体操」
妻が露骨に狼狽した。よし、行ける。夫は2ヶ月ぶりの勝利に向かう手ごたえを感じていた。
妻はウェイトコントロールに、ここしばらくホットマットを敷いて体操をするのが週末の恒例になっていた。
「…… 風邪ひいて体重落ちてたから、わざわざダイエットする必要ないかなと思って」
「え、でも風邪直ったあともしばらくやってだろ?」
「んー、そのー、…… ちょっと最近忙しかったからね。またそのうち、ううん、来週からでも始めるわよ」
「…… それだけ?」
「なによ」
「俺に何か言うことあるんじゃないの?」
「……」
「ほう。うちの妻は夫にナイショごとする卑怯なやつだったのか」
夫は勝ち誇った。これはかなり深いダメージを妻に与えたはずだ。ふふふ、今日こそ妻の料理が食べられる。夫の頬は自然と緩んでいた。
「違うわよ!あれは事故だったの!」
「ほうほう。体操していてギター蹴り飛ばすのは、確かに事故だな。…… ただな、妻よ。事故は事故処理されて始めて事故として許されるんだ」
夫は勝利目前の余裕からか、よく考えると意味の分からないことをカッコつけて言った。そして諭すように続ける。
「おまえ、そのままギター立てかけて、知らん顔してただろ。気付かれないと思ったんだろうけど、ギターはな、雨が降るだけでチューニング狂うんだよ。蹴飛ばされたギターのチューニングのずれに気が付かないギタリストなんかいない」
「…… ごめんなさい。傷もついてなかったんだもん。よかったー、と思って元に戻しておいたの」
「…… 妻よ。まだあるよな?」
妻は諦め顔になって言った。
「……はい。ごめんなさい。将棋倒しで他の2本も倒しちゃいました」
「そもそもさ、ギター3本蹴り飛ばすとか、どんな体操やってんの?」
「いいの!そんなのは。ダイエットに必要なの!だいたいあなたがあんなところにギタースタンド置いておくのが悪いんじゃない。しかも3本も置いておくから!」
「あ、おまえ、逆ギレは反則だぞ!」
妻はしゅんとして肩をすくめ、か細い声で言った。
「……はい。あなた、ごめんなさい。私の負けです」
現在、17時55分45秒。
時間的にはもう1プレイ入るかどうか。このまま夫の勝ちになる可能性が高い。
「ふふふ、おまえの作るメシが楽しみだな」
しかし。
妻はまだ死んでいなかった。
再び顔をあげた妻は決意を込めた顔で言う。
「私のターンでいい?」
夫はまだやるのか、という顔で妻を見る。
「もちろん。ただし、時間がないぞ?早くしないと時間切れで俺の勝ちだぜ?」
「あなた、最近、私が寝てから何やってるの?」
「?」
妻の予想外の攻撃に夫はとっさに対応できない。いや、これはホントに攻撃なんだろうか?
「……パソコン打ったり、スマホ見たりだけど。別におまえに迷惑かけたりしてないぞ?」
さすがに妻が寝静まったらギターを弾くようなことはしない。夫はそれぐらいの常識は弁えている。
「ふうん」
「それがどうしたんだ?」
「パソコンで何を打っているの?」
「そりゃ、仕事の資料打ってたこともあったけど、会社の資料管理が厳しくなってそれできなくなったからな。最近はだいたいネットサーフィンかな」
「ネットサーフィンにしてはキーボードの音が結構するのね」
(何を言っているんだこいつは)
夫は正体の知れないものに対する恐怖感のような何かがこみ上げてきていた。
妻は涼やかに微笑んでいる。まるで獲物を捕らえるのを確信した猛禽類のようなその笑顔。
怖い。
これは何かヤバいことが起こる。
夫は恐怖にすくむ身体に鞭を打って声を出す。
「まあな。テ、テキストを打つこともあるからな」
「…… あなた、昔から物語を作るの、好きだったよね?」
夫の顔は一瞬にして蒼白になった。
これはヤバい。まずい。この流れはかなり危険だ。
「見てもいい?あなたのパソコン」
ああ、これはダメだ。
厳しい。
厳しすぎる。
急所を突いている。
早く逃げろ、という声が夫の脳内に響き渡る。
「い、いや、し、仕事の資料とか入ってるし……」
「会社の資料管理厳しくなったんじゃなかったの?」
「あ、そ、そうだった。い、い、いや、エ、エッチな動画とかあるから」
「別に今さらエッチな動画の一本や二本で驚かないわよ。じゃあ見せてね、今から」
「………」
「持って来るからね、あなたのノートパソコン」
妻は立ち上がって書斎へと歩き出した。
夫は妻の後を追って腕を掴む。その表情は必死だった。
そして……
「お、おい妻よ、……ギ」
妻は怪訝な顔で夫を見返した。妻の頭は既に勝敗から、夫のパソコンの中身の方に関心が移っている。
「ぎ?」
「…… ギブアップだ。…… 負けました」
17時58分45秒。
1分15秒残しての夫のギブアップ宣言。
勝負は妻の勝ちで終わった。
「えー、私の負けでいいから、見せなさいよ! 何書いてるのよ、あなた! どうせあなたのことだから絶妙なウソが混じったホントの話とか、絶妙なホントが混じったウソの話とか書いてるんでしょう。この詐欺野郎!」
妻の罵倒を聞き流しながら夫は黙ってエプロンを付け、キッチンに向かう。
メニューはあらかじめ餃子と決まっていた。
妻は、仕方ないわね、テレビでも見てるわ、と言ってリビングに向かい、ソファに腰を下ろした。つい今しがたまでスネ気味だったのを忘れたかのように、バラエティ番組を見てからからと笑い始める。
「あなた、おろしにんにく忘れないでねー」
「またおろすのかよ!ちくしょう!」
夫は、勝負に破れた悔しさに歯をかみしめる。
「…… 俺にはこの勝負は向いていないのかもしれない」
夫の嘆きは、妻には、やはり届かない。
おわり
とある夫の10分間のリベンジ KAC3 ゆうすけ @Hasahina214
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