第156話 匍匐前進

 立ちつくしているわけにもいかず、イフレニィは焚き火の傍へと戻った。

「良からぬことを考えているようだな」

 戻るなり、何事かを話しかけてきた小僧に目を向けた。

 元老院に企みごとがあったとして、これまでの態度をみるに小僧がその一端を担っているようには思えないでいた。横柄で傲慢かと思えば、やけに素直でもある。世間知らずなだけなのだろう。

「おい聞いているのか」

「そうだな。まあ助かった」

「聞いてないではないかッ!」

 目を尖らせ、頭に血を上らせている小僧に背を向け、はたと立ち止まる。単純ですぐに態度に出るからといって、悪巧みができないということはない。腹立たしい気持ちであれば、すぐに態度に出るバルジーでさえ肝心なことをはぐらかし続けてきた。

 何を知っているか、こちらが知らないのだから、問い詰めようがないということもある。

 それに、小僧単体で考えてよいものだろうか。女騎士と髭面が視界を掠る。

 幸いなことなのか、元老院と帝国の思惑も交差しているようで、爺共も企みが順調に進んではいないようだった。

 進みが遅い――今の旅も、思ったように進めていない。

 街道に出てからのことを思い返し、気付いた。遅れの原因はバルジーだ。元から奇行が多いとはいえ、ここのところの行動は目に余る。

 自信は無いが、水などの備蓄に手を付けるような迷惑をかけたことはなかったはずだった。ともかく、もし遅らせたい意図があるなら、それを確かめ説得しなければならないだろう。

 今日のところは寝てしまおうと、手近な木に寄ると声をかけられた。

「少し、よろしいですか」

 女騎士の声だ。嫌々振り返れば髭面も側にいた。

「なんだ」

 うんざりする気持ちを隠しきれず、つい声音に表れてしまった。八つ当たりするなと自身を戒めつつ向き直り、頷く。

「以前、お尋ねしたことを覚えてらっしゃるかしら。行軍を共にした後に、天幕でのこと」

 一々そんなこと覚えてられるか――内心で吐き捨てた言葉は飲み込み、単に否定を示して先を促す。

「いいや」

「回廊へ向かってから、精霊力が増したと思いませんか――そう、お尋ねしたと思います」

 それに髭面が頷いた。

「確かに、そう尋ねていたと記憶している」

 今さら持ち出されたことへの警戒心から、疑わしい目を二人に向ける。

「いつからですか。彼女の話では……」

 その続きを遮るように、思わず手を翳していた。やはりバルジーの話は彼らの気を引くものであり、イフレニィの警戒心は正しかったということだ。

「あいつの大げさな与太話を、まともに聞くな」

「しかし、オルギーとの手合わせにて、貴方の力を私達も目にしています」

 あれのどこが、手合わせだというのか。こうして煩わされることに苛立ちは募り、こんな切っ掛けを作ったバルジーへの腹立ちも強まる。ただでさえ緊張状態の続く旅の中で、疲労困憊だった。

「悪いが、予定通り進まず疲れてる。休ませてくれ」

 本心だった。今さら、わざと無下にしたいわけではない。どうせまだ暫くの間は、行動を一にする。厄介事を明日へ持ち越したところで、面倒がなくなるはずもないのだが、そうと分かっていても今は休みたかった。



 夜明け前に目覚めたイフレニィは、手早く仕度を済ませる。よほど眠りが深かったのか、昨夜の気疲れはすっかり取れており、昨晩の気懸かりを払拭すべく行動を開始した。早めで悪いと思いつつ、バルジーを揺り起こす。

 焚き火の傍らに座る見張り番は、髭面とセラだ。

「やけに急ぐな」

 声の主、髭面に答える。

「これ以上、遅れたくないだろ」

 だから何も言うな――そう意図を込めて。

 正しく伝わったらしく、髭面は苦笑だけを残した。

「打ち合わせだ」

 そうセラにも声をかけ、眠そうにぐずついているバルジーを急かしながら、その場を離れる。

 木々の狭間に入り込み、焚き火が見えなくなる程度に移動すると足を止めた。のっそり歩くセラが釣られて足を止め、飛び跳ねながら付いてきていたバルジーが、勢い余ってセラの背にぶつかって転がる。

 イフレニィは焚き火の方向へ視線を向けつつ、その場の木の根に座る。

「言われることは分かっているな」

 まだ蓑虫形態で転がっているバルジーに、これから大切な話をするのだと念を押す。

 バルジーはわざとらしく顔を顰めて見せたが、起き上がると外套裾と襟元の紐を解いて人型に戻ると、大人しく近くに腰を下ろした。イフレニィから目を逸らすように水筒を取り出し、口をすすぐ。

「なんの打ち合わせだ」

 それを見てセラは、問いながらも近くの木の根に腰を下ろした。

「気付いてるだろ。こいつは、わざと遅れるように行動している」

 セラは眉尻を下げ、困ったように頭を掻いた。

 さすがにセラに気付かれていたのは気まずいのだろう。バルジーは、口に含んでいた水を飲み下すと俯いた。

 やはり意図的な行動だったのだと確信できたところで、理由を問う。

「俺のことを、うじうじ虫だのと言えないよな。さすがに今回は、やりすぎだ」

 咄嗟に見上げてきたバルジーの瞳は、暗く沈んでいる。

「もう誤魔化さずに、原因を探ると話しただろ」

 ここで決着をつけようというイフレニィの意思が伝わったのか、バルジーは顔を強張らせた。

「分かってる。けど、どうしようもなくて」

 何故嫌がるのかと、困惑した。謎の精霊力について、原因があるものなら知りたいのは、バルジーも同じはずだった。子供の頃からというのだから、イフレニィなどよりも知りたい気持ちが強くたっておかしくないくらいだ。

 それが戸惑うということは、今こうしている間にも、何かの信号を受けているのかもしれない。イフレニィは必死で、聞くべきこと、言うべき事について考えを巡らす。

「何か、悪いことでも起こりそうだとか、そんな勘なのか?」

 バルジーは首を振って否定した。観念したのか、理由も続く。

「期待、なのかな。緊張するの……。原因が分かるかもしれない、でも、やっぱり無駄なのかもしれないって。確かなのは、それと距離を縮めていることだけ」

 さらっと告げられたことに、イフレニィの鼓動は高鳴った。

 近付いている。これまで誤魔化すようにしてきたバルジーが、そう、はっきりと言葉にしたのだ。ようやく、という気もないではないが、本当に辿りつけそうだという期待が膨らむ。

 これまでの、未知への苛立ちが、現実味を帯びて期待に変わるということ。確かに気持ちは逸るし、痛いほどに待ちきれないというなら理解もできる。

 しかし、逆にバルジーの気持ちは沈んでいる。

「ユリッツさん、本当にごめんなさい。契約した以上、役に立たなくても動いてくれればそれでいいって、言ってくれたのに……」

 バルジーは表情を曇らせた。今にも泣き出すのではないか、そんな目を伏せる。

「でも、もう……期待なんか、したくないから」

 近付くほどに期待――バルジーの場合は不安、それが増すということのようだ。

「すでに、それなりの距離を移動している。他の同行者もいる。道中で留まることはできない」

 セラは、淡々と現状を語るだけだ。

「何も起こらないかもしれないだろ。覚悟しろ」

 片やイフレニィは、少し追い詰めすぎだろうかと口にしてから思う。しかし、今さら諦めたところで、どちらの為にもならないだろう。

「分かってる。もう、本当に邪魔しない」

 バルジーは、気力を振り絞るようにして顔を上げた。覚悟を決めた真剣な眼差しだ。

「もし、今度邪魔したら、縛って荷車の後ろに括りつけて、引き回しの刑にしていい」

「うーん、どうだろうな。重量物を一点に繋いで、支えられる箇所があったかな」

 気の抜けるバルジーの宣言に、真剣に答えるセラをみて、イフレニィの肩は落ちる。不安は残るが、ひとまずは言質を取った。これ以上話しても、今は意味が無いだろう。おかしな話に逸れていく二人をイフレニィは止めた。

「分かったならいい。今日からは予定通りに進むぞ。なら、次の話に移りたい」

 その言葉に、二人は嫌そうな顔を見せた。

「まだ怒られるの」

 バルジーの呟きに、それだけの自覚があるようで何よりだと思いつつ、イフレニィはセラへと向き直る。

 女騎士らを牽制するために、セラの力が必要だった。

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