第155話 嫌厭

 バルジーの細かい嫌がらせは続いていた。

 本人は暇で遊んでいるだけのつもりだろうが、旅に影響するなら話は別だ。苛立ちも限度を超え、これ以上は看過できないとイフレニィは声を上げていた。

「いい加減にしろ」

 本気の度合いが伝わったのか、その場では口を閉じ奇怪な行動も治まったが、それで怯むような女ではない。ふいとイフレニィから目を逸らして、隣を歩くバルジーの横顔は澄ましたものだ。そこに反省の色はなく、かといってもう悪戯を企んでいるような節も見えない。

 旅程の通りに進んでいないどころか遅れているのは、旅に不慣れな者が増えたためだけではない。バルジーが増えた同行者にやたらとまとわりついていたのは、イフレニィが加わったときもそうだったため初めは気が付けないでいた。好奇心もあるにしろ、あれは彼女なりに対象人物に不審な点がないかと観察を行っているのだ。とはいえ、これまでのバルジーの行動から比しても行き過ぎている。

 なにか意図が、あるはずだった。

 バルジーにも秘めた強い感情があるのだと知れたところで、それが影響しているのだと短絡的に結びつけるわけにもいかず、そういった類ならばこの場で問い詰めることもできない。その障害となっている面々に自然と目が向く。ならば、今は考えても仕方のないことである。軽く頭を振り、イフレニィは髭面に声をかけた。

 髭面と地図を確認すれば、遅れは予想以上だった。これならば、手前の集落にでも寄っていれば良かったと思うほどに。改めて野営地点を決め直すはめになったことで、やはりとイフレニィは確信する。

 その後は静かだったのだが、たまに様子を窺えば、バルジーは時折小石を蹴りながら、ふて腐れた様子で歩いていたりもする。行動を起こす気でいるようではなくとも、今日のところはやめたといった風であり懲りているようではない。

 バルジーの表情には、まだ何かしでかしそうな気配があった。

 イフレニィとしては、他人がおかしな趣味を持っていようと行動が突飛だろうと一向に構わなかった。当たり前ながら、それは自身のみならず周囲に迷惑がかからなければの話だ。今はただ、頼むから心静かな旅を送らせてくれと胸中でこぼすしかない。


 日が傾き、街道沿いの森の中へと野営地を定める。結局は、昨日の遅れ分すら維持できずじまいだ。

 小僧のこともあるからセラ速度でものんびりと進んではいたが、それでも普段通りなら、もっと先へ到達していただろう。イフレニィら三人だけだったならば、バルジーの気紛れに多少は付き合うのも構わなかった。その理由を問い詰めることも、すぐにできたためだ。やはり人が増えれば、自然と気を引き締めなくてはと考えてしまうのは性分なのだろう。実際、これ以上遅れると物資にも影響する。言葉は通じるとはいえ国が違う。拠点は少なく、補給するにも帝国ほど融通が利くわけではない。

 イフレニィは視界の端に頭痛の種を捉えると、思わず詰めていた息を吐く。食事を済ませたイフレニィは気持ちを落ち着けようと、焚き火の輪から外れて剣を磨きながら浮かぶ考えに身を任せていた。今夜は女に見張りをさせないほうがいいか。いや、これ以上無駄に元気を出されても困る。逆に見張り時間を長引かせ気力を削ぐべきか――などとイフレニィが苦心しているというのに、人の気も知らず、当のバルジーはすっかり元の調子を取り戻したようだ。

 髭面、女騎士、小僧が扇状にバルジーを囲んで向かい合っている。聴衆の背の間に垣間見えたバルジーは黒い目をさらに翳らせていたが、口の両端は大きく持ち上げられ、厭らしい笑みを作っていた。大げさな身振りで、何事かを披露しているようだ。

 どうせ奇妙な話だろう。虫を拾ってくるよりはましだと、さして興味も湧かず、剣を鞘に戻し道具を戻すため己の鞄に伸ばした手が固まる。静かな空間を断ち切るように、興に乗ったバルジーの声が届いたのだ。

「精霊力がぶわあっとして、びかーっとしたら変な男が闖入してきてね。それで、悪党がばさーって背中を切りつけてきて!」

 どの時点の話をしているのか、見当はついた。バルジーらと遭遇した一件しかない。

 意識を向けた途端に、より明瞭となった声がイフレニィの鼓膜を打った。

「で、補助符を使ってくれたんだけど、それがびっくり。肉も削れたし、おっきい傷だったのに、痛みが全くなくなったの」

 冷や汗が、イフレニィの強張った手の平を伝い落ちる。

「ほう」

 髭面の声には、含みが滲んでいた。

 女騎士の体には、僅かな緊張が見えた。

 小僧だけが楽しそうに、大きく首を振って頷いている。

「やはりそうなのか。私もこの身に怪しげな符を受けたのだ。よく分かるぞ!」

 妙な連帯感が生まれたようだ。これで小僧からバルジーへの苦手意識は減ってしまったかもしれない。

「格好いい傷跡も残らなかったのは残念だけど」

「それは喜ぶところでは……?」

 が、そんなことはどうでもよい。拳を握り締めたイフレニィは、怒りを爆発させないようにと、ゆっくり立ち上がる。大きく息を吸いこむと、かけた声にだけは力を込めた。

「会議だ。今すぐ」

「いいとこなのに」

「来い」

 バルジーの首根っこを掴むと、道具の手入れをしていたかもしれないセラも引き摺り移動する。声の届かない、十分な距離を取ったと判断して足を止めた。

 腕を離すとバルジーを見おろす。睨まれて、なぜかセラと二人は慌てたように地面に座りなおした。バルジーが上目遣いに指をさす。

「鼻の穴、大きくなってる」

「何をしているか、分かっているのか」

 逆撫でするような物言いはわざとだろう。イフレニィを煽るようなことばかりする。そこで、気付いた。そうだ、イフレニィだけを煽っている。先ほどの話などは、他の三人の前では最も避けたい話題だった。

「俺がどれだけ嫌がっているか、知ってるだろ」

「そう言われたことはないよ」

 ――屁理屈を!

「もう言わない」

 真面目な顔を取り繕ってみせたが、バルジーの声音は伴っていなかった。

「本当に分かっているのか。髭面がいる。これ以上、巻き込まれるようなことをすれば、お前だって不自由な思いをすることになるかもしれないんだぞ。それは、もちろん商人もだ」

 女騎士と小僧に関してはイフレニィの出自に関することであり、旅が終わればバルジーらと関わることもないだろう。しかし、帝国を背負っている髭面だけは別だ。未だ行動の動機も理由も謎なままであり、別件上であろうと、このように繋がりができてしまった以上は、今後にどう関わるかもしれないのだ。

 常に、そこにいるだけといった髭面の態度。だが、セラの特異な面に興味を持ったことが不安として残っていた。

 バルジーは顔を顰め口をひん曲げた。イフレニィがセラを商人呼ばわりしたことへの言及は無い。それよりも、自分の話したことについて考えているのかもしれない。

「ユリッツさん、ごめんなさい」

 イフレニィに対して、その言葉は吐かれなかった。

 ――なんだよ一体。

 イフレニィは困惑する。もう無闇矢鱈に、女騎士達を忌避することはしていないつもりだった。他にも何か腹が立つことをしたのだろうかと、別の問題である可能性が持ち上がったのだ。

「それで、なんの話だ。怒られるようなことをしたか?」

 セラの戸惑う声に、イフレニィは我に返った。

「悪い。突然引き摺って」

 ようやくバルジーが話していたことについて掻い摘んで聞かせたものの、イフレニィ自身の問題であって、その件に関してセラは無関係だった。もちろんセラにも波及しうると考えてのことであると話しはしたが、ばつが悪くなったイフレニィは、もう一度謝っていた。

 頷きながら聞いていたセラだが、いつもの、どんなことでも大した問題ではないというように眠そうな目で一言。

「なるようにしかならん」

 それだけ残して立ち上がった。バルジーもイフレニィの顔色を窺うようにしながら、その背をこそこそと後を追うようにして逃げていく。

 その姿が見えなくなっても、イフレニィは立ち尽くしたまま眺めていた。

 ――妙だ。

 何がと問われれば答えようもないのだが。今までバルジーが、こんな回りくどいことをした記憶はない。

 真っ当な文句なら当然、ただ機嫌を損ねたというだけだろうが面と向かって発言してきたはずだ。相手の気持ちなどおかまいなく、それで嫌われようが反撃を受けようが、それも理解した上で恐れずに。

 一度、はっきり言葉にできない感情があると言った。もどかしい行動による訴えは、やはり、そこが関係するのだろう。

 夜に確かめようと考えていたのに聞きそびれてしまった自分に苛立ちながら、イフレニィも鈍い足を動かした。


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