第150話 画策
意識を取り戻した小僧は、荷台でぐったりしている。とはいっても、驚愕から回復し安堵したために力が抜けたようだ。
それを見て胸をなでおろしたイフレニィは、改めてセラへと抗議の目を向けた。
――何か試したいなら、別の機会にしろ。
「ふくれ面。ユリッツさん、針でつついてみようよ」
セラは頷いて道具を取り出そうとする。イフレニィに対しては、バルジーを止める気はないらしい。
示し合わせたように楽観的な二人の雰囲気に、共謀していたことが窺えた。こんな機会がなくとも、いずれは使わせるべく画策していたのだろう。符に関して手を貸すと約束していたからには、そこは問題ではない。
イフレニィは唸るように言葉を絞り出す。
「幾ら鬱陶しい小僧とはいえ、相手は人間なんだぞ」
怒気を込めて二人を睨めば、バルジーはセラの背後に隠れて頭だけ覗かせた。そのくせ反論してくる。
「時間も資源も有限。有効利用しないと。こめかみに土中のうねうね虫飼ってる場合じゃないよ」
わずかに眉間を寄せたイフレニィは、血管のことらしいと気付いた。相変わらず気味の悪い例え方をするバルジーに辟易していると、セラが取り繕うように言葉を挟む。
「設計に、問題はなかったんだ」
セラすら言い訳をするなら、全く堪えていない。
さらに説教臭い言葉を吐きそうになり、イフレニィは口を閉じた。
そもそも、おかしな効果を出し得る原因が、己にあることくらい分かってはいるのだ。尤もらしい理由でセラ達に文句をぶつけるのは、苛立ちからの八つ当たりだ。余計な同行者が増えてからは精霊力を使う機会はなく、久々に胸に湧いた不快感だった。
イフレニィが口を閉じることで訪れた静けさが、険のある声に断たれる。
「よろしいかしら」
女騎士がこちらを向いて腕を組み、じっと見つめている。いつもの柔らかな微笑を浮かべてはいるが纏う空気は硬い。イフレニィらは口を閉じたまま並ぶと、大人しく向き直った。
「それで、これはどういうことでしょう」
明確な態度ではなくとも、怒りは伝わった。
「説明しろ」
イフレニィが横目にセラへと指示すると、焦りからか早口に理屈が垂れ流される。
「精霊力の制御機構を式に組み込んだ。ただ抑制するだけのもので効果は従来のまま発するようなものだ。そのために流れを抑制しつつ段階的に開放する方式を採用したんだ。そうすれば精霊力の流れを制御しつつも効果は最大限発揮される筈、だった……それで」
「はず、だった」
女騎士の微笑が固まり、視線が鋭さを増す。
「すまない」
「ごめんなさい」
「悪かった」
セラ、バルジー、イフレニィと、反射的に謝っていた。
――確かに符を使ったが、なんで俺まで謝ってる。
内心ではそんな風にこぼしつつも、セラの加工のせいだけではないと知っているため、わずかな罪悪感が言葉を押し出した。
「それにしても、面白い試みですわね」
それだけで満足したのか、女騎士は特に引き摺るでもなく、普段の雰囲気に戻って呟いた。片手を頬に添え僅かに首を傾げる。何か考え事があるという仕草だ。
「設計と言いましたね。この符を作ったのですか。商人と伺ってましたが」
それにはバルジーが顔を輝かせて手を上げ、飛び跳ねながら言った。
「今は商人なんかに身をやつしてるけど、その実は凄腕の符作り職人さんだよ」
また我が事のように胸を張って言っているが、まるで褒めているようではない。
「それはもう色々と暗躍してるんだかびゃー! ちょっとなにするの」
イフレニィはバルジーの外套の首元にまとめてあった頭部の覆いを引き摺りだし、勢い良くバルジーの頭に被せていた。
「ややこしくなるから、黙ってろ」
そのまま蓑虫にして抱えると、荷台の小僧の横に詰めた。
「ぐわっ……な、なんだこれは、ひぃ!」
魚網の中で暴れる魚のように、ばたんばたんとのたうっている。気味が悪い。
「ただの特大蓑虫だ。害はない」
何もなかったように小僧から向き直ると、女騎士は混乱したのか眉を顰めている。その側に髭面が立ち、質問を重ねた。
「ただの職人は、設計などしない」
真剣な様子だ。イフレニィは舌打ちを飲み込む。
余計な気を引いてしまった。自らが招き寄せた者に、二人が疑われ言いがかりをつけられるようなことがあって欲しくはなかった。これまでもセラは道中で、呪文のような理論らしきものをイフレニィへと語っていたが、ただの凝り性と言い張れなくもなかった。しかし、独自に開発し、形にしてみせられたとなれば別だろう。商人が自ら扱っている商品について、職人と対等に会話出来るほど知識をつけるのは普通のことではある。そのため、これまでは様子を窺っていたのかもしれない。あえて今、問いただすのは、良い機会だとでも考えたのだろう。自然とセラを庇うように一歩、前に立つ。
「俺を調べるついでに、こいつらのことも調べ済みのはずだろ」
正面からイフレニィの刺すような視線を受けた髭面は、自嘲気味に笑った。
「その通りだが、生憎時間がなくてな。調べたのは表面だけだ。君らの間に、依頼契約は存在しなかった」
含みがあるような物言いはいつものことであるし、イフレニィの方が目的であるのは互いに理解している。旅人の同行者である商人のことなど、組合で資料を参照されただけということなのだろう。
「現身分の仕事上の記録を調べはしたが、過去までは遡らなかった。そこまで我らも万能ではないということだ」
イフレニィは髭面を見据えたまま、セラへと声を上げる。
「許可証」
荷車に飛びつくようにセラは動き、今は小僧が背もたれにしている木箱を漁るのを、呆れて思わず目を向けてしまった。
――大事なもんくらい、身に付けておけよ。
誤魔化すように、セラに代わって説明する。
「元が職人らしい。工房を開く申請に帝都へ向かうついでに、符を売って資金を稼ぐため、商人身分で移動してたんだと」
あれで、かなりの腕があるというのは意外なことだろう。女騎士は戸惑いつつも、感心してみせた。
「そんな歳には、見えませんね」
イフレニィより、二、三は年上という程度だ。一人前と認められただけでなく、工房を持つには早すぎる。しかし、故郷の村で一人親方やってる分には問題ないだろうと思えるのだが、イフレニィの認識よりも大したことなのかもしれない。
そこにセラが戻り、幾つもの証書を髭面に手渡す。
「複数の免許申請を、こんな短期間でこなしたのか」
髭面は眉間に皺を寄せてはいるが、信じがたい気持ちを声に滲ませる。
「急いでいたとはいえ、調べが甘かったようだ。もう少し早く、いや過ぎたことだな」
言いかけた何か腹黒いことは、恐らく許可を滞らせてやれば良かったとか、そんなところだろう。疑いに目を眇めれば、髭面は忌々しい笑みを浮かべた。
「心配無用だ。もうその必要はない」
それはそれで不安だが、必要ではないことに納得もできた。帝都にいた頃とは、すっかり状況が変化している。周囲で画策する段階は過ぎて、旅を共にしているまでになっているのだから。
思い返せば、ただ歩いているだけだったというのに。不思議なものだと、イフレニィは皮肉に思った。
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