第151話 足踏み
髭面は、証書を丁寧に揃えてセラへと返した。
「工房を開けると、前親方から認められたほどの腕がある。それは分かった。初めに戻るが、職人は設計などしない。専門が違う。理について学びはしても、製作で時間を取られ、研究の時間など取れないと聞く」
女騎士も続けた。
「元老院ではそういった連携をする部門もあるようですが、民間で個人でというのは、難しいでしょうね」
そんなにお偉方が気にするほど珍しいものというのは、思いもよらなかったことだ。イフレニィは頭を抱えたくなっていた。
バルジーのことも忘れてはいまい。恐らく、異変の中心を見た唯一の、生きた証人なのだ。妄言だと断じることもできるが、頭の片隅には残しておくだろう。
あの妙な精霊力による傷の治りの早さを目にしていなければ、イフレニィなどは信じることなどなかっただろうが、国の中枢に関わる者が捨て置くとも思えなかった。
バルジーの特殊な身の上に加えて、セラまで目を付けられる事態など避けたくはあった。すでに、迷惑をかけたどころか巻き込み過ぎているというのに――そんな気持ちを知ってか知らずか、セラは一言で全てを片付けた。
「趣味」
まるでイフレニィと髭面の間にある不穏な緊張感など見えないように、いつもの暢気な声だ。
髭面は無精髭を撫でながら訝しげに目を眇めるも、すぐに苦笑を漏らした。
「色々な人間がいるものだ。そろそろ移動しようか」
それだけで、一応は解放された。
しかし、この様子では髭面の頭に刻まれたのは間違いないだろう。
変わり者だからと、その技術まで軽く見たつもりはなかったのだが、それ以上にセラの才能は高いということだろう。前知識のないイフレニィには、判断が難しいのは痛いところだった。
しかし、なぜ、唐突に問い詰めてきたのだろうか。
思わぬところで使える人材を発見できたのだ。国の為に勧誘するつもりなのだろうとは思えた。
ふと視線を上げると、女騎士が笑みを向けた。
そこで、やはり自分が中心なのだと思わざるを得なかった。
わずかに後悔が胸を過る。仮にでも護衛契約を結んでおけば、こうも調べようとはしなかったと思えたのだ。契約もなく旅を共にしているからこそ、別の何かによって関係が成り立っているのだと思わせる結果になった。これまで、それらについても窺っていたのだ。今回、直接的に問い詰める理由を得たから踏み込んだだけで。
ただ気が合ったから、などという言い訳は、彼らのような者にとって戯言に過ぎない。
「ぷふばぁー!」
おかしな音が背後で弾けて出た。と、同時に頭に軽い衝撃を受ける。
「いてっ」
何かが側頭部に当たって落ちた。それを目で追い、指先ほどの黒っぽいそれを拾い認識した瞬間、全力で以って投げ返していた。
「気持ちの悪いもん投げつけてんじゃねえぞ!」
投げられ、投げ返したのは、甲虫の抜け殻。
もちろん、バルジーの仕業だ。イフレニィは外套の外から紐を括ったのだが、当然軽くだったため自力で脱出したらしい。
イフレニィが投げ返すと同時に、また飛んでくる。バルジーの手元を見ると、道具袋から取り出していた。
「なんてもの集めてやがる!」
イフレニィの悲鳴のような叫びが上がった。心で叫んだはずだが声に出ていた。
「零れた命の雫だもん。気持ち悪くない!」
「だから、それが気持ち悪いんだ、よ!」
投げつけられるそれらを、全て手で叩き返していく。
「ふ、服の裾を踏んでる……げぶうッ!」
「オルギー!」
「荷台で暴れないでくれ。俺の荷物」
バルジーが荷台で膝立ちしたまま両手で投げ始めると、傍らに詰められていた小僧にぶつかり、小僧は背中から引っくり返って荷物の狭間でもがきはじめる。
髭面は片手で頭を押さえていたが、頭痛がしてきた気がするのは俺の方だとイフレニィは言いたかった。
「捨てろ」
「いや」
バルジーの不気味な道具袋を、なんとか手放させようとイフレニィは問答する。
「変なもんが繁殖しても知らんぞ」
「虫が、繁殖……蠱毒の使い手。かっこいい」
だというのに、なぜかバルジーは目をぎらつかせて悦びを見せる。だが次には真顔になり、バルジーは両手で、イフレニィの眼前に麻の道具袋を掲げた。
「この道具袋は、私の絶対不可侵領域。あなたには――手が出せない」
イフレニィは舌打ちを堪えた。
人の持ち物に触れる気はない。相手が不快感を与えるからなどという気持ちで幾ら正当化しようとも、勝手に人の物を捨てるなどすれば、それは侵害行為だ。といった、イフレニィの信条を逆手に取られているのだ。
――小賢しい真似を。
歯軋りをして睨むしかなかったが、バルジーの蛮行もそこまでだった。
「ピログラメッジ、それ以上荷車に近付かないでくれ。積荷に妙なものが付いても困る」
セラの一声により、バルジーは道具袋の中身を街道沿いにぶちまけた。物言いはともかくとして、セラに弱いのは事実なのだ。
――ざまあみろ。
思わず出た胸中で呟いてしまったのは、情けない言葉だ。
バルジーは涙目で口を尖らせ、虫の抜け殻を振り返った。
「待ってて。私も、すぐに後を追うから……」
わざとらしいほどに未練たらたらだ。つい先ほどまで投げ捨てていた態度ではない。
「旅程を変更した方が良さそうだな」
髭面が困ったように口の端を上げて言いながら、地図を取り出した。それにはイフレニィも同意するしかない。
バルジーのせいで、とんだ時間の無駄だ。
――なんでこいつは、俺に辛辣なんだろうな。
そう思いつつバルジーを横目に窺えば、ふいと顔を逸らされた。
少しばかりの気まずさにイフレニィは口元を歪める。今回は珍しく――いや、初めてだろうか。イフレニィが強硬手段を取ったのだ。
さきほど、人の持ち物をどうこうすることはしないと考えたが、人に対しては尚更そうだった。
バルジーとセラの前では、随分と気が緩んでいる自分に気付いた。そんな風に、他人との距離を詰める。
それは、甘えというものではなかったか。
――参ったな。
気持ちの置場に戸惑い、イフレニィは片手で口を覆った。
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