第140話 神代の木霊

 不穏分子がすぐ側にいることで、気分的に落ち着きはしないが、歩き出してしまえば静かな時を過ごせるのではないかと思っていた。

「次は、いつ休憩するのだ」

 だが間を置かずして、小僧が細かなことを誰にとはなしに口にし、傍らを歩く女騎士がご丁寧に答えていく。

「暗くなる前よ。野営の準備があるので早めに休みます」

 荷車の背後を歩くイフレニィは、荷車の脇を歩く前の二人を窺い見る。小僧は目を見開いて、女騎士を凝視した。

「まさか、このまま歩き続けるのか」

 女騎士は穏やかに頷く。

「その通りです」

「そんな馬鹿な、人がそんなに歩き続けられるわけ……」

「皆こうして、旅をするのです」

 女騎士がやや強めの調子で言い切ると、小僧は黙り込んだ。見る間に青褪めていく。そんな覚悟もなく出てきたのかと、イフレニィは呆れを見せる。

 しかし女騎士も酷なことを言う。集団移動でもなければ、歩きの方が珍しいものだ。行商人だけでなく、街周辺の村などから収穫物を持って行き来する者も荷馬車である。共通点は、荷があるからだろう。この商人が、ちょっと変わりものなだけだ。もちろん、そんなことを教えてやる義理はないから黙っていた。

 そんな様子を意識から追いやると、さきほどの問いについて思案する。女騎士らは人探しに、魔術式具を使用したとは直接的に言いはしなかったが、王族を探すことになんらかの方法を試していたと認めはした。単に遠見の魔術具や転話具のようなもののことを指しているのかもしれないし、例えば髭面が言っていた景色を絵のように写し取る魔術具など、一般人には馴染みのない程度で、通常の道具の範囲にある物かもしれない。地道に訪ね歩いたのも事実だろうが、その際に、そういった物を使っている可能性はある。

 だとしても、イフレニィが想定するものであれば、持ち歩けるようなもののはずはない。それにバルジーの目的地は、元老院ではなかったのだ。

 では、大掛かりな仕掛けがあると考えたこと自体が見当はずれなのだろうか。他に、そこまでのことができる場所があるかどうかより、セラの旅程から外れることが問題だった。幸い、せっかくだからとこちらの大陸も巡ることになったため、もうしばらくの間は探ることができる。

 バルジーの目標が移動している可能性は低い。バルジーから詳細が判明したとき以来、方角の変化はほぼなかった。イフレニィに対してバルジーは言葉を濁している節はあるが、雇い主であるセラを巻き込んでいる以上、旅の行き先にまで及ぶ迷惑をかけるとは思えない。それらしい態度かは別として、バルジーがセラに感謝しているらしいのは、イフレニィにも感じ取れるのだ。

「ねえねえ、手合わせしよう」

 当の女は、相変わらず暢気なものだ。

 バルジーは不気味な笑みを顔に貼り付け、鉈に頬ずりしながら小僧ににじり寄る。小僧の肩が大きく震えた。怯えているようだ。

 ――よくやった。

「え、いや、わ、私は剣を嗜んではいないので。その……」

 他の誰に対しても尊大な小僧が、いやに腰が引けている。イフレニィも不気味だと思っているが、そこまで青くなるほどだろうか。あれが普通の反応なのかもしれないが、すっかり慣れてしまった。

 意図せず口元が緩みそうになるのを抑える。これを利用しない手はない。今度から小僧がうるさい時は、バルジーに任せようと決めた。


 余計な人員は増えたが、予定からそう遅れることもなく街道を進んだ。渓谷まで一日を残す距離で、野営のために足を止めた。森の中、木々の狭間で休むわけだが。バルジーは疲れたのか、食後すぐに蓑虫形態に変化し、木の幹に巻きつくように丸まった。それを見た小僧の、驚愕と絶望の表情は見物だった。

「あ、あれはなんだ。伝承に聞いた、老いた杉のうろに住むと言われる神代の化け物か……」

 そう言った瞬間、バルジーはごろんと寝返り、外套から目だけを覗かせて小僧を睨む。小僧は飛び上がって女騎士の背後に隠れ、震えていた。情けない姿だ。

「し、失礼した。そうではなく、こんな湿った地面に、横たわるなど考えもしなかっただけで……」

 またバルジーは、ごろんと幹側へ反転した。不意にイフレニィは、小僧の話に納得しそうになる。それなら、人間離れしているのも頷けるというものだ。

 その日は、皆が早々に休むことにしたようだ。慌しく出てきたことも、慣れない者らとの同行のせいもあるだろう、それぞれの顔には疲れが見て取れる。イフレニィは、また初めに見張りをすると伝えてある。別の三人組の方は小僧の見張りを免除し、髭面と女騎士で交代するとの話だ。面倒な者と一緒になる可能性がなくなり、ほっとする。どのみち、日中はうるさいのだから、夜くらい静けさが欲しいのだ。

 翌朝、案の定、起きるなり小僧が文句を垂れる。

「うぐ……体のあちこちが痛い。よく、こんなところで眠れるな」

 言いながら、なぜか恨めしげにイフレニィを見上げてきた。

 ――なんで俺を見る。みんな同じ条件だろうが。

 ともかく、寝る前以上にくたびれて見える。そのお陰で小僧はだいぶ静かになった。

 一晩様子を見てイフレニィは、小僧が旅慣れていないことは心配の種だが、旅程を変更する気はないと予め伝えた。その代わりに、渓谷では長めに休むことで同意を得る。多少急いでいるとはいえ、これでもセラの歩調に合わせてのんびりしている方だ。本来は、もっと速いぞと脅したら、小僧も素直に同意した。

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