第80話 逃避行
喉に冷えた塊が詰まったように、息が止まる。
青の差す翠の瞳が、真っ直ぐイフレニィを見据えている。
王に連なる血筋、まさか本当に、それだけの理由なのかと呆然と見返していた。
――ただ、それだけで、他人の人生に土足で踏み込むのか。
出かかった文句を飲み込むために歯を食いしばっていた。
「そうか……見つかると、いいな」
態度で、言葉に含まれた意図を理解したことは知られただろう。それでも馬鹿みたいに、他人のことだというように同じ言葉を繰り返す。気が抜けたように力のない声が出ていた。幾ら無関係だとイフレニィが訴えようとも、聞き入れはしない相手と思えば、言葉にするだけ空しくなったのだ。
次には窓枠を飛び越えていた。
全てを振りきり、遠ざかるために。夕闇を分断するように白、紅、紺の帯が交差し、金の粉が降る。世界が揺らぐような感覚のまま、空を仰ぎ見た。歩きながら夜気を吸い込む。ようやく、呼吸ができた気がした。
眩暈にも似た動揺を落ち着けて目を通りへと戻すが、食堂を出たところで行く当てもなく、体は宿への道を辿っていた。
未だ、刺すような視線が瞼の裏に絡みつくように残っている。
嫌な予感は、正しく起きたのだ。
以前、陰謀でもあるのかなんてことを考えはした。イフレニィが過去に知る騎士とも共通する、狂信めいたものは端々に現れてもいた。それでも、まさか、そこまで拘っているなどとは信じていなかった。イフレニィより二、三は年上に見えるが、その程度の差であり、互いに子供だったはずだというのに。どこで、それほど違ってしまったというのだろう。
もちろん、その理由の一端も知らされはした。半端に跡地が残っているらしきことや、生き残った者が多いということで、国を建て直すなどという妄執に囚われたのだと。
だが、回廊には危機がある。それを、あの女騎士も見ていてさえ諦めていない。あんなものの側に、国を建て直すなど正気とは思えなかった。反吐が出るとでもいうように、苦みを噛み潰す。
再興――そのために担ぎ上げる生贄を探している。
自然と己の白く艶のない髪に手をやり、そのまま引き千切りたくなっていた。主王の血筋であるという一番の特徴が、これほど疎ましく思ったことはない。
「待ってよー。もうちょっと食べたかったのに」
最近では馴染み始めている間の抜けた声に振り返る。走って追ってきたらしく、セラとバルジーが息を切らしていた。
「すまなかった。妙な奴らが周りをうろついてるが、危害は加えないはずだ」
多分、と心で付け加える。イフレニィに対しては、定かではない。
あの様子であれば、簡単には諦めることはないだろう。心底うんざりしていたが、それこそ無関係の二人には訳の分からない会合だったのだから、言い訳の一つでもしておくべきかもしれない。また三人で歩き出しながら、どう手短に話そうか考えていると、バルジーは真剣な顔を向けてくる。
「ううん……会っておいて良かったと思う」
問題の中心に近いイフレニィでは、気付けなかったことでもあるのだろうか。なんせ獣並の勘を持つ女だ。真剣に耳を傾けた。
「お店でのまともな食事なんて、久しぶりだったし。ね、ユリッツさん」
「うむ、最後に良い食事が摂れて良かったな」
こいつ食欲も獣並みかよ。期待した俺が馬鹿だったと、イフレニィは項垂れた。少なくとも今までは、真面目な顔をした時だけは、それなりの話ができたというのに。
「さっさと寝るぞ」
「また、ふくれてる」
イフレニィはバルジーの声を無視して足を早めた。
薄明るい光が、朝の到来を告げる。荷物は昨晩の内に整頓し詰めてある。身支度を整え、イフレニィは独房もどきの部屋を出る。二人の部屋へ行くと、こちらも準備はできていた。
「符に関するもんに、漏れはないんだな?」
念のため確認する。
「原料さえあれば、後はどこでも調達できるものだよ」
半地下の部屋からセラは荷車を引いて、緩やかな上り坂となっている通路を外へと向かう。おかしな細工がしてあると言われたとおりに、荷台を押す必要がないことを不思議に思いながら後に続く。水を確保すると、イフレニィは一度振り返って黒ずんだ建物を目に留め、岩窟亭を後にした。
――こんな宿は、二度と御免だ。
警備兵達に止められることもなく、鉱山都市オーアを出た。
街道に乗ると、自然と急ぎ足になっていた。イフレニィにとっては久々の、二人には脅威の速度だ。街から出来るだけ離れようとの気持ちの表れだった。
結局イフレニィは、自分からはセラに断りを入れないまま旅に混ざっている。バルジーが何かしら話したことによって、同行するものとして予定を聞かされたし、なし崩しだった。何がどう伝わってるかは心配だが、今は聞く場合でもない。好きで付きまとうような嫌な真似しているのではないと、それだけが伝わってくれればいいのだが。言い訳がましく聞こえるだろうか。ともかく、また長い暇な時間がある。機会を見つけて話してみればいいだろう。
もう言い訳を考えるのも、誤魔化すのも疲れきっていた。
「それにしても、本当に色んな、とんでもないお友だちがいるのね」
心なしか、遠い目をしながらバルジーが言う。
「嫌味を言うな。あんな奴らと誰が近づきたいんだ」
会う度に威圧してくるような連中だ。同じ場にいるだけで、居心地が悪いなんてものではない。
「せっかくだから、仕事でも都合つけてもらえばいいのに」
「確かに、今より良い暮らしは出来るんじゃないか」
二人は勝手ことを言っている。そんな気安い関係ではないし、なりたくもなかった。
「旅への同行が迷惑だったなら、悪かったと思っている」
大きな溜息が、二人から同時に聞こえてきた。
「相変わらず、呆けてるよね。私達が一緒に出ようって言ったの忘れたの」
イフレニィの渾身の謝意をバルジーは無下に切り捨てた。そこは、いつものことだから気にしないのだが、セラからも余計な一言がつく。
「俺も別に構わんが、きちんと地に足をつけて働いたほうがいいぞ」
――そんなことお前らには言われたくない!
思わぬ話の方向に、内心で叫んだイフレニィだった。
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