第74話 交差

「やっぱり、元老院に興味あるのか」

 セラの趣味で海を渡るとなれば、魔術式の研究機関である元老院を無視するはずはないだろう。セラは当然といったように頷く。

「興味はあるさ。どれだけ知識が蓄えられているのかとね」

「なら、それが海を渡る理由なんだな」

 しかしセラは、考え込むように俯く。すぐに意識は戻ってきた。

「いや、興味はあるが、訪れる機会は得られないだろう。そうだな、目的は直轄の工房の方だ。そこでは、実際に確立された最新の技術を目の当たりに出来るという話だ。一職人の俺には、そっちの方が現実的なことだよ」

 工房の方は仕事で、元老院の方は憧れといったところだろうか。セラの意図した違いか定かではないが、趣味として元老院に興味はあるが、将来のためには工房の方が必要ということだろうか。イフレニィは、腹黒そうな奴らの巣食う場所、くらいにしか考えていなかった。

 とはいえ、世の中に魔術式の研究機関として認められているのだ。それを扱うセラに、仕事とは全く無縁とは思えない。

「才能あるやつは、片っ端から引っこ抜いていくと聞いたことがある。あんたも声をかけられるんじゃないか」

 セラは細い目を伏せた。

「俺には、縁のない場所だ。精霊力がないからな」

 うっかりしていたと、イフレニィは気まずさを誤魔化すように果物を口に放り込む。バルジーの罵るような視線から目を逸らした。

 元老院の最大の判断基準は、精霊力の多寡。

 その馬鹿らしさに首を振った。自分のように精霊力だけあったところで、なんになるのかと痛感しているのだ。それを使用できるようにするのは、魔術式だ。そこは、異常なほどに精霊力が高まった体でも変わりない。雇うために基準は必要なのだろうが、杓子定規では、こういった男の存在を見逃すことになるだろう。

 過大評価なのかもしれない。他に職人を知らず、セラの実力がどの程度かなど、判断する知識を持ち合わせていないのだから。あくまでも、一般常識に照らし合わせれば、外れた能力を発揮していると知っているだけだ。一職人がやらないような魔術式を構築するだとか、親方にも認められて独り立ちする実力はあるというだけでも、大したことに思える。

 無論、上には上がいるだろう。同じような才能がある者から選ばなければならないなら、精霊力持ちがいいという判断も分からなくはない。しかし、こんな男が何人もいるようには思えなかった。というよりも、思いたくないというのが正直なところだ。今までも集めているとなると、元老院にはこういった類の人間がひしめいているのだろうか。黙々と違う世界に浸っているかと思えば、ぶつぶつと式について呟いている。それが一つ所に。

 嫌な想像を払って話を変える。行き先変更の理由は聞いた。次は旅立つ日程だ。

「符の方は目処がついたか。いつ出る」

 符の作成具合に依ると聞いていた。最も重要な原料は手に入ったのだし予定は立つだろう。

 ――しまったな。

 遠まわしに他の情報を絡めつつ尋ねようと思っていたはずが、面倒になって直接的に聞いていた。もう、今さらだろうか。迂闊なことを聞いたと思ったが、思わぬ方向に面倒なことになった。セラの目がわずかに開いて輝く。

「ここには大小各種の精製釜が幾つかある。予備に空けている窯を借りることができてな。少し配合具合を試したいことがあるんだが」

「それが終わり次第だな?」

 反射的に遮ると、はっとしたようにセラは頷いた。

「少量だから一日で済むんだ。ただ何種類か頼んである。その目処が立ち次第ということになるが、三日もあれば十分だろう」

 帝都でのように数日後ではなく、すぐに結論を引き出せたことに安堵した。最低三日。その間ずっと山にこもっていようかと、己の予定を立てていく。

「明日、早速試すつもりだ。うまく行けば顔料の準備はそれで終わるよ」

 思わず顔を向けた。精製して顔料になり、ようやく符を作る準備が整うのだ。

「符自体は、いざとなれば移動中でも作れる」

 うんざりした気持ちが顔に表れていたのだろうか、セラはそう付け足した。それも意外なことだった。もっと広い作業台のある場所が必要ではないかと、想像していたのだ。

 その後しばらく、台紙用の紙やら道具についてやらと、必要な材料の解説が続いてしまう。尋ねてばかりだから、お返しにと我慢して聞いていたのだが、まるで途切れる様子がなく逃げるように話を切り上げていた。


 眠くてたまらない。予定は分かったのだから良しとして部屋を出ると、バルジーも出てきた。眠さで相手をするのが面倒なこともあり、怪訝に見る。

「小用」

 溜息を隠すように背を向けた。普通の宿屋で言えば二部屋分は距離のある、隣部屋へ向かい扉を開くと、室内に差し込む月明かりが、青白く女の姿を浮かび上がらせる。不気味だ。苛立ちが募り、話があるなら早くしろと睨んだ。

「ユリッツさんの予定は分かったと思うけど、結局あなたからは何も言ってない」

 視線による圧力は、それを話せということだったらしい。お前らの謎言語が他人にも通用すると思うなよと項垂れながらも、理由を問う。

「口添えはありがたいが、どう話した」

 そんな情報もないままでは、迂闊に何も言えないだろうとの意図を込めて、じっと見る。

「ありのまま」

 まさか全部かと驚く。もちろん、その危険も込みで印を見せた。しかし、人体に直接刻んだ魔術式を利用できるなどと知ったにしては、セラの態度が変わらないことに説明がつかない。バルジーは唸る様に呟く。

「もちろん、あの気持ち悪いのは、べつ」

 失礼な理由でだったが、印の件だけは伏せてくれたらしい。

 しかし、イフレニィの件を正しく伝えるなら、バルジーも己の異常は明らかにせざるを得なかったろう。それも、どこまで話しているのか。

「お前のことは」

「以前、話してあげたのに」

 なんのことか考えたが、バルジーがまともに話して聞かせてくれたことなど、帝都で、二人の出会いから現在までの苦労話を喋り倒していたことしかない。

「酷い目にあったって話したでしょ」

「どんなことか聞いた記憶はないが」

「言葉通りよ。昔、酷いことがあった。それだけ」

 それだけと言われようが、そんな「それだけ」にも人それぞれの事情がある。分かるはずもない。

「……それで、十分でしょ」

 弱々しい呟きに、肝心なところはセラにも話していないことが窺えた。

「別に俺は、お前がどうしてようが興味はない。この苛つく体の原因が分かればいいだけだ」

 バルジーは大きく頷いた。

「それは、しばらく見ていて分かったよ。いつも気が付いたらウジウジしてるもんね」

 ――黙れ。

 バルジーは意味ありげに一歩近づき、声を落とした。

「原因なんて、そもそもあるのかすら分からないけど、できれば私も知りたいから協力してるんだよ」

 そして、言いたいことだけ言うと、身を翻して走り去っていく。上階に向かったところを見ると、小用は本当だったらしい。

 含みのある言い方が始まったのは、協力すると決めてからだろうか。だったら何故、もっとはっきり言わないのかと腹立たしくさえ思う。

 ただ、最後の言葉は違った。

 そこだけは、立ち位置を明らかにすべく心の内を聞かせてきた。ようやく、互いの思惑が交差したようだった。

 とはいえ、その意図を汲むことさえも丸投げされたようでもある。考えることを増やしてくれるなと、イフレニィは苦みを噛みしめながら部屋へ戻った。

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