第69話 依頼の準備

 危うく組合内で問題を起こしそうだった事など、何もなかった。

 そう自身に言い聞かせながらイフレニィは、先を歩くバルジーの後に続いて改めて入口をくぐる。すでに元通りの空気が戻っていたが、時々ひそめた声が混じるのを聞き逃さなかった。冷静さを取り繕いつつも、周囲へ警戒を向けていたが、丁度良いことに誰かが出発の声を上げる。ほとんどの集まりは現場に向かうらしく、入れ違いに出て行ってくれた。知らず、こわばっていた肩から力を抜いた。

 受付となっている場所に目を向けると、こちらも室内に劣らずぞんざいなものだった。木箱を柱に、そこらの板切れを渡しただけといったありさまだ。気だるそうに、椅子の背にもたれていた受付嬢へと声をかける。

「登録したい」

 すぐに、そのがっしりした体と鋭い目付きがこちらを向き、イフレニィとバルジーを睨み据えて言った。

「たまには面白いけど、もう止めてね」

 顔を覚えたぞという含みのある声音。これは警告だ。二度目はないだろう。

 しかしイフレニィは止めた側だ。なぜ一緒くたにされねばならんのだと、不服な気持ちを堪えて隣の女を横目に睨んだ。 

 まるで自分には関係ないかのような、すまし顔がそこにあった。さらには、職員からの言葉など何も聞こえなかったかのように用件を告げる。

「登録お願い」

 少しばかり表情に険しさを増した受付から、無言で板切れの上に登録用紙が差し出された。名前と所属拠点等の項目があるだけだ。手早く埋めて紙を差し戻す。

 次が、問題だった。

「書き漏れは、ないね。照会するから待ってな」

 受付が裏手へ引っ込む背を見る。

 イフレニィはコルディリーだけでなく、直前に帝都に滞在していたことも書いた。少しでも依頼を請け負う空白期間は少ない方が良いものだ。加えて、別の懸念について知れるかと考えてもいた。

 まず問題となるのは、またコルディリーからの連絡があるのではないかということだ。帝都で照会したときのように、ここでも確認のために面倒なやり取りをしなければならないのであれば、今後も続く可能性は高い。

 もう一つは、そういった確認が帝都からもあるのではないかということだった。

 本部に予定を知られないように出てきはしたが、馬でも駆ければ、この鉱山街まで一日で着くような距離だ。とはいえ、連れ戻されるとは考えていない。本気で帝都に足止めする気なら門で止められたはずであり、居所を知っておきたいだけなのだろうという想像は間違いではないと思っている。その場合は直接話す理由などないのだから、照会があったという事実だけで用を成す。ただ、緩い監視の理由というのが分からず気味が悪いから、もし転話で直接確認したいと言われるようなことがあるなら、はっきりして気分的にありがたいというだけのことだった。

 身じろぎもせずに待つ。さして待たされることもなく受付係は戻ってきたのだが、渡した書類を手にしたままだ。

「ふぅん、帝都から来たの」

 イフレニィらの前に置かれた書類に、職員が確認したのだろうことを書き足していく。ここまで堂々と出されては、目の前の職員に特別なことが告げられたとは思えない。話し込むような長い時間でもなかった。

「意外ね。なにも問題なかったから登録は終わり。後は精々働いてちょうだい」

 いつも考えすぎるところがあると自覚はしている。余計なことを口走らないよう、会釈で返して掲示板へ向かった。それに、すっかり心証は良くない。お喋りに付き合ってくれるとは思えなかった。

 ――大人しくしてるさ。俺はな。

 ここでは一人で依頼を受けようと思っていたのだが、この女を放置してよいものかと、少しばかり考える。とばっちりを受けたくないし、こんなところで旅が終わるのも困る。帝都では特に問題なく、何かしらの依頼をこなしていたようだが、その種類などは聞いていない。依頼次第とはいえ、できるだけ同じ仕事を受けられるよう努力してみるべきだろうかと考えていると、ぼそりと呟く声が真横から届く。

「面白いことなかったね」

 バルジーも、同じことを考えていたらしい。

 言われて気付いた。そうだ、一つの形は見えたのだ。

 これで前回のオグゼルの行動が、本来の対応とは違ったといえるだろう。伝言の件といい、無駄に考えを深めてみたことだが、確かに意図はあったといえる。ただし、帝都から出ろと言いたかったのではないかと、曖昧な結論しかイフレニィには出せなかった。肝心の「何故そんなことを伝えるのか」ということが分からないため、結局なんだったのかと頭の隅に追いやっているのだが。

 今回、呼びかけはなかったが、居所については通達されていると思っている。

 だから初めは、いっそ依頼を受けずに過ごそうかとも考えた。

 しかし、相手が居場所を知りたいだけなら、行方をくらました方が余計な気を引くだろう。そのせいで行動を制限されることを恐れた。

 あの時、出来るだけ臨時依頼を受けると伝えた手前もある、というのは個人的な理由だ。手を貸したかった。今はそんなことしか出来ないからこそ。

「やめたほうがいいんじゃない?」

 イフレニィが依頼を流し見ている横で、依頼を探す気があるのかどうか、バルジーは話しかけてくる。

「どかーんって、なったらどうするの」

 何を言ってるのかと怪訝に思い、イフレニィは視線の先にあった依頼を見た。通常依頼は、ほとんどが鉱山内部での運搬仕事だ。

 言われてみれば、坑内で爆発事故が起きたといった話を聞いたことはある。だが、バルジーは気の抜けたような顔つきだ。そんな稀な例で他人を心配するはずがない。なんのつもりかと見れば、短い答えが返ってくる。

「精霊力」

 それだけで言いたいことは理解できた。ここは原料を採掘するための鉱山だ。

 しかし幾ら通し易い物質といえども精製前であり、魔術式を仕込んでなければただの石だ。先日、精霊力のみで編んだ式を発動させようとして、暴発したことが気掛かりなのだろうか。あれは実際の符を介しておらず、顔料など用いていない。それに爆発したように見えるが、光るだけで火属性の符のような熱量はなかったのは確認している。

 洞穴のように黒い目が見上げてきた。真面目に考えろというのだろう。なにやら不安になってくるが、あくまでも印によるものといった感覚は強かった。

「あれを使わなければ、問題ない」

 そのはずだと言い聞かせるように、それだけを伝え、改めて掲示板に目を向けた。

 バルジーの言葉が気になったこともあるが、他に安全に受けられそうなものがあればそれでもいいかと思い直す。

 ――自分の身体が信用ならないってのも、嫌なもんだな。

 掲示板には、北へ向けた臨時依頼もあった。ここでは、物資面ではなく人材の募集が多い。職人などの募集ではなく、護衛や掃討依頼だ。

 こんなところにまで募集をかけるほど北方への人員は足りないのかと、気持ちは沈む。

 南へ、南へと、イフレニィは問題の場所から遠ざかっていくしかない。

 歯痒さを飲み込んで、結局、イフレニィは通常依頼を受けた。今以上に、符は幾らでも必要だろう。この仕事なら手助けの内に入る。そう心を宥めるためでもあったが、実のところ、イフレニィ向けの力仕事というのが、ほとんど鉱山の管轄だったため仕方なくだ。

「街、壊さないでね」

 鉱山内部の依頼を受けたことに対して、バルジーは本気で不安そうに言う。

 逆にイフレニィが不安だったバルジーの依頼先だが、野菜売りの店で客とのやりとりもない雑用ということで、少しは安心できるものだった。

 依頼は明朝からだ。今日の内に街の事情を掴んでおくことにした。

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