第68話 土煙る街角で

 昨晩は旅疲れもあって早々に寝入ったため、イフレニィは軽く予定を聞くために二人の部屋を訪れたのだが。

「まずは工房を訪ねてみる」

 そう言い残したセラは、珍しく早朝から出かけて行った。

 パンを齧っているバルジーの向かいに座ったイフレニィは、持ってきた荷物から朝食を取り出す。

「お前は、どうする」

「……組合に決まってる」

 お前と言ったところで、ぎろりと睨まれたが、起き抜けのためか言い返す気力はないらしい。予定は知れた。イフレニィも後は無言で携行食を口に押し込む。古い分から片づけるため、うんざりとしつつ水で流し込んだ。


 腹を満たしたイフレニィとバルジーは、宿の主人に場所を聞いて旅人組合へと向かう。組合はいつも、入口を全開にしてある。この場所も例に漏れずそうだった。

 一つ違うことといえば、扉自体が無い。

 面倒になったのなら、ある意味潔いのだが、荒っぽい街ならば破壊された可能性を考えて、やや慎重に室内へと踏み込んだ。室内は、薄汚れたむき出しの板一色。集う者は、格好もイフレニィ達以上に粗末だ。それなりに人が集まり一見繁盛しているように見えたが、そう広くない場所に、幾つか人の輪が出来ているせいで狭く感じられるようだった。

 鉱山の仕事が主だからなのか、大柄で軽装の男達ばかりが目に付く。その連中が、大声で仕事の相談だか雑談だかを交わしていた。その隙間も大股で行き交う者がいる。幾つか視線は向けられたものの、会話に興じており、特に新顔へと時間を割きたい者はいないようだった。受付へ向かうべく、その狭間を進む。

「おう気ぃつけろ、ねーちゃん」

 イフレニィのすぐ後ろで、低く咎める声が聞こえた。

 立ち話の連中が、じっとその場に立ち尽くしているわけでもない。時に大振りの動作で相槌を打った男の一人が、その際にバルジーにぶつかったのだろう。バルジーは平均的な身長ではあるが、大柄の男の陰では目に入らない。難癖をつけたのが男の方なのはイフレニィの目にも明らかだ。真っ直ぐ歩いていたバルジーへと、男は背を向けていたのだから。だが勢いよく振り返る。

「なんだその目付きは、あ? 気が強そうでイイねえ!」

 片手で顔を抑えて不運を内心で罵りつつ、溜息を飲み込む。

 どう割り込もうかと振り返ると、話していた男達の輪が開いて、バルジーと絡む男を囲んだ。面白がって手を叩き、囃し立てる。

「来たばかりか? 見たことねぇよなあ? 飲みに行かねえか!」

 瞬く間に話題の中心となった男は、馴れ馴れしくバルジーの肩に腕を回した。面倒くさいが、こういった手合いはどこにでもいる。バルジーも旅人なら酒場への出入りもするだろう。この程度の対処くらい、慣れていなければ情報交換も難しいものだ。

 それならばと、どういなすのかお手並み拝見といった気分になっていた。イフレニィも遠巻きの輪に混ざって成り行きを見守る。

 それまでバルジーは、無表情で突っ立っていた。

 だが、無造作に肩に置かれた手に視線を落とすと、みるみる顔は歪み憎悪を剥き出しにする。同時に、ふっと力を抜き腰を落とした。不意の事で男の腕は宙を彷徨う。抜け出したバルジーは即座に飛び退り、反転。腕を上げながら男へと向き合ったのは、わずかな時間。

「ふおっなんッ」

 男らが状況を把握しきって動き出す前に、バルジーは躊躇無く自慢の鉈を革製の鞘から引き抜くや、前傾姿勢で前に。驚愕に顔色を変えた男へと凶刃が迫り――待てと叫んだのは心中でだ。先に伸ばしていた手がバルジーの首根っこを押さえていた。

「ぎゅう」

「なに、考えてんだ……!」

 我ながらよく反応したと思いつつ、イフレニィは引き寄せた耳元で小さく叫んでいた。

「おいおいあれ見ろよ」

「うっわ、物騒な武器持ってやがんなー……」

 一気に冷えた空気が室内を覆い、ひそひそ声が聞こえてくる。己の行動は棚に上げて、絡もうとした男どもの方が思いきり引いていた。荒っぽい雰囲気に反して、やけに腰が引けているとよく見れば、誰も武器を携帯していないようだった。街を渡る旅人は多くないということだろうか。それでも慎重に動きを見ながら後ずさる。背後から、さらに遠巻きに見ていた者が集まり始めていた。たとえ武器がなかろうと、こちらが害をなすのであれば、数で取り押さえるくらいの気概はあるのだろう。

「出るぞ」

 だから大人しくしてろとの意図を込めてバルジーに囁く。人垣を押しのけるように掻き分け、未だ鉈をぶら下げたままのバルジーを引き摺るようにして外へ出た。

「くるしい」

 組合を出て建物の脇道まで来ると、突き飛ばす勢いで手を離す。

「俺たちの方が捕まるだろうが!」

 抑えていた声がつい大きくなっていた。バルジーの、不貞腐れて両耳を押さえている姿が油を注ぐ。その片腕を引き剥がした。

「お前な、仕事出来なくなったらどうする気だ」

「あれくらいで、おおげさ」

 あれくらい――この感覚は矯正する必要がある。

「お前一人出入り禁止になろうが知ったこっちゃないが、商人にだって迷惑かけるんだぞ」

 そこでようやくバルジーは眉間に皺を寄せ、落ち込んだように目を伏せた。

「そんなの、あなたに言われる筋合いない」

 口をひん曲げているのはイフレニィに対してだろうが、少しは態度を省みてくれてはいるようだった。

「でも、あの態度見たでしょ。初めが肝心だから」

 確かに、もうあんな絡まれ方はしないだろうが、気を取り直すのが早すぎる。

「もう大丈夫だよ、多分。行こう」

 また室内へと戻っていく背を、本当に反省してくれたのかと溜息交じりに追う。今度があれば止めようと、心に固く誓った。

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