第65話 覚えた後のこと

 咄嗟に目を庇ってはいたが、隙間から入り込む光は真昼の日差しを受けているようで、目を閉じていてさえ眩んだ。

 光が引くのを感じるとすぐに目を開いたが、そのときには既に、燃えつきる火の粉のような光の粒子が舞い落ちているだけだった。ただし、視界一面に降る火の粉だ。

 詰めていた息を吐き出すも、胸を叩く不安まで拭い去れるわけではない。後ずさった背に木が当たり、そのまま頽れるように根元に座り込んだ。中空に虚ろな視線を漂わせる。

 イフレニィの精霊力は、意識を向けずとも魔術式を紡いだ。それは記憶したものを自動的に反映するということなのだろうか。

 冷や汗が伝う。媒介物を用いず、身一つで本来の符よりも強力な効果を放つことができる人間など、どのような扱いを受けるか考えたくもない。あまりに恐ろしい変化だ。

 頭は必死に不利な点を探し、定まらない視線を辺りへと彷徨わせる。

 そうだ、初めは記憶を頼りに時間をかけて書いた。自在に扱えるというわけではない。

 ――書いたものを、写し取った?

 一度書けば記録されるというのも便利に過ぎるが、どうだろうと、考え込む。何かが、引っ掛かる。今までの行動から、既に答えは出ているはずという気はするのだが、それが言葉にならない。

 もう一度、魔術式が発動するまでの行動。印に精霊力を通したところまで、行動を逆戻りに思い返す。

 手から伸ばした光。意識を向けずとも、糸状に変化していた――ここだ。

 そう直感した。光の魔術式、その構成要素を、今のところは記憶している。イフレニィの頭にそれが浮かんだ上で、「こうしよう」と決めた場合だ。行動へ移そうと意識を向ける前、心に決めた時点で即座に形となって表れている。イフレニィの中に答えが存在する必要があるということならば。

 例えば、他の式を自動的に使おうと、本を片手に綴ったところで記録はされないだろう。それどころか、どうにか覚えた光の式だろうと、忘れてしまえば使えなくなる可能性が高い。

 きちんと記憶し見本を一度提示すれば省略できる、それだけと思っておいた方がいいと、ひとまずの結論を付けた。

 ――発動はできた。成功と言える。

 そう呟こうとも、全く喜びなど湧いては来ない。結局、制御が利かないのはどうにもならないのだろうかと、いつものぼやきが戻ってくるだけだった。

 気の抜けきっていた耳に、遠くから葉をゆすり、枝を踏み折る音が届く。

「ちょっとー、大丈夫なの!」

 うるさいのが来たと、イフレニィは体に力が入ることを確認して、ゆっくりと立ち上がり尻の土を払う。さすがに、これだけの精霊力の動きをバルジーに気付かれないはずはない。視線を向けたところで、丁度、木々の合間から二人が顔を見せた。

「なんでもない」

 白々しく告げたイフレニィに、珍しくバルジーは膨れなかった。代わりに、暗い目と無表情が張り付いている。符を使うのとは異質の精霊力が、光の魔術式を紡いでいた。印を通した精霊力が嫌いなようだし、何をしたかまで感付かれたのだろうか。それも、仕方ないとは思っていた。

 しかし、いつ終わるとも知れない旅の中で全てを後回しにしていれば、試すのがいつになるか分からない。

 セラは不思議そうに、バルジーとイフレニィを見ている。やはり精霊力が感じられないなら何も気付かず、慌てるバルジーを追ってきただけなのだろう。

「待たせて悪い。出かけようか」

 イフレニィは二人から視線を外したまま側を通り過ぎながら、荷車の元へと促した。


 日が昇り、景色を照らし始めている。

 街道に乗り、出発すると、バルジーが暗い表情のまま隣に来て呟いた。

「別に変な力使ってもいい。でも、今度から教えて。お願い」

 この女の場合どこまでが嫌味で、どこからが本気なのか分かりづらいのだが、珍しく棘のない言葉に、よほど気分が悪いものなのだと認識を改めた。イフレニィの痛みに起きたように、バルジーの不快感にも、原因の動きによって段々と増すものなのかもしれないと思い至ったのだ。

「分かった」

 少しの間の後、イフレニィは素っ気なく返した。イフレニィにも目的がある。動けない程となれば別だが、二度とやらないとは言えない以上、伝えれば見逃してくれるというなら頷いておくに越したことはない。

 ふと、この女の精霊力が伝える行き先は、どうなっているのか気になった。今はイフレニィの勝手ばかりを言える雰囲気ではない。折を見て確認しなければと頭の端に書き留めると、バルジーのことはそこまでで、後は先程の結果についてに考えは移ろっていた。

 先ほどのことを踏まえて、セラの説明書きを読み直す。かさつく紙の音が聞こえたらしく、時々何か言いたそうに振り返るセラが視界に入る。視線は合わせず、バルジーよりも少しばかり後方に退き、その姿は目に入らなかったことにしておいた。

 注意書きにはやはり、三種の構成要素がうまく重なると光ると書いてある。重ならなければ何も起こらないのだろう。セラも、繋がらなければ動作しないと言っていたはずだ。

 ならば、イフレニィが精霊力で紡いだ魔術式を一瞬でも発動できたということは、重なり具合がおかしくて暴走した、などということはないだろう。

 イフレニィは、別の瑕疵がないかと考えていた。

 しかし何か責任転嫁できることはないかと目を皿のようにして見たところで、イフレニィが理解できるはずもない。

 長年研究され使用されてきたものより、まずは新しいものを疑うべきなのだ。異常があるとすればイフレニィの精霊力の方にあることは、間違いないのだろう。

 初めから分かっていたことではあった。我ながら諦めの悪い事だと思うのだが、渋々と現実を直視する。

 気が重くなるままに漏れる溜息くらいは、そのままにしておいた。

「移る」

 バルジーの呟きが聞こえた。いや、聞こえるように言われた。暗い気分が移るということだろう。いつも膨れてる奴が言うなと、心で返す。さらに後方へと退くが、敵もこれ以上の撤退を見逃してはくれなかった。

「おーい、あまり遅れるなよ」

 セラの気の抜けるような声と、振り返った顔つきで、その隠された意図は透けて見えた。イフレニィは覚悟を決めて、前線へ挑む。

「つい、熱中していた」

「うむ。教えた甲斐があったよ。そこまで真剣に取り組んでくれるとは思っていなかった」

 どうも雲行きが怪しい。

「書かれていることの意味も分からんし、見たままを覚えただけだ。この説明書きが、よく出来てるんだろう」

 あくまでイフレニィには理解できないものだと印象付けたかったのだが、セラは心なしか嬉しそうだった。そんな姿に気が引けるが、一つ、確実に理解できたことがある。

 イフレニィに、魔術式を学ぶ適正は壊滅的にない。

「そうか、なら次に」

「おかげで光の式は覚えられた。今後もこれを忘れないよう練習するつもりだ。無理を言って教えてもらったが本当に助かった。ありがとう」

 何かを言いかけたセラの言葉を遮って礼を告げると、定位置に下がった。一瞬、セラと目が合ったが、イフレニィから無理に頼んだ事実を思い出してくれたようで、それ以上は何の言葉もなく、肩を落としたように前を向いた。

「ほんとに馬鹿なんだから」

 隣から、またもバルジーの余計な一言が耳に届き苛立つも、そこで気付いた。

 ――全くだ。

 旅に同行するのに、魔術式を覚えるまでは付きまとうという流れだったのだ。それを自ら破棄したことになる。

 イフレニィは痛んでくる頭を片手で押さえる。今さらだと思いつつも、今後はどうしたものかと頭を悩ませないではいられなかった。

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