第31話 旅人の女

 しがない商人の護衛として雇われた旅人の女は、大鉈を構えて眼前を見据えていた。野盗に襲われているのだ。まさに本領を発揮する場面ではある。しかし、女は冷徹な現実を誤魔化す気はない。己の力量が並みなことくらいは心得ていた。複数の護衛と共にであれば、見劣りない働きをする自負はあったが、一人きりだ。雇い主さえ戦力に入れても、たった二人。対して相手は複数。

 倒せるなど考えはしない。ならば、せめて雇い主を逃がす可能性を探るべきだ。

「ユリッツさん、私が引きつける。その間に出来るだけ離れて」

 彼女は雇い主に指示するも、彼は聞き入れなかった。

「ピログラメッジ、君の腕がどれだけだろうと、数は無視できんよ。二手に分かれられたら同じだ。付き合うさ……いや俺の仕事だったな。付き合ってもらうが、悪く思うなよ」

 人生を諦観してしまったのか、いつも疲れ果てたような表情と淡々とした口調は、こんな時でも変わりない。

 だが人情を捨てたもんでもない、というのが彼の真情のようで、人が好過ぎるところは商人に不向きだ。

 ――だからこそ、この人が初めての雇い主で良かった。

 そして、最後の雇い主になろうとしている。


 旅人の女、バルジー・ピログラメッジは、人は良さそうだが疲れきって見える金のない一人きりの商人に雇われた。帝都へ行って返すだけの依頼だった筈だが、二人はもっと長い旅へ出た。彼は帝国中の街を見てみたいと思えど夢にすぎないと考えており、バルジーはそれを後押ししたのだ。無償同然で構わないからと、交渉の体で言い縋ったのにはいくつか理由がある。

 バルジーは護衛依頼の実績が欲しかったものの、旅人にさえなってからも日が浅く信用度が足りなかったことで、契約に至ったことはなかったのだ。ようやっと漕ぎつけた相手は、本当に商売をする気があるのかという愛想笑いさえ浮かべない男だった。身形からも分かるように資金にも乏しく、初めに荷車を引いただけの粗末な仕度で行商すると言われたときは面食らった。行商人が雇う護衛は、五人体制が一般的な最小構成だ。ほとんどは商人側も一人ではない。一人で行商など無謀も良いところだ。それは、たかが一人護衛を雇ったところで変わりはしないが、見張りの交代ができるだけましというものだろう。バルジーの雇い主は、どちらかといえば、それだけを期待していたようにも思えた。だが、だからこそ、バルジーのような実績の無い旅人でも雇うしかなかったわけだ。

 しかも雇われてみれば、気が弱いわけではないのだが態度に反して人が好く、自分の望みを叶えるためだけに利用されたような相手に、少しばかり罪悪感が沸いたこともある。この不可思議な縁に、少なからず感謝していたこともあり、お返しをしたくなっての提案でもあった。

「そうだな。どのみち、貧乏旅だ。少しくらい遠回りしてもいい」

 そうして意気投合した二人は、行き先を帝都のある西から北に変えた。

 行く先々で物を売りながら大陸を少しずつ回るという、懐事情を考えれば大それた旅。しかも始めたばかりといっても良かった。人の少ない北から回り、幾つかの街を越えたばかりだったのだ。まだまだ見るべき場所がある。いや、彼女が雇い主の望みに応じて見せてやりたい場所は、この帝国には幾らでもあるだろう。


 今や戦禍も遠く、街道から見える大地は至って平和に見えた。ほんの数年前まで、十年前の大異変の影響で各地が荒れていたことなど幻だったのではないかと思えるほどだ。

 そんな時には、別の悪意が蔓延ることを忘れていた。いや、頭から追いやろうとしていた。滅多に人と擦れ違うことすらない広い大陸で、そのようなことに遭うなど、よっぽど運が悪いといえる。

 商人の中には盗賊紛いの者もいるという。街道で通りすがったその手合いは、交渉のふりをして襲ってきた。

 バルジーは、悪運が強い。その事を忘れていた。いつも命拾いしてきた。そんなことを自覚すほど、不運に見舞われるということだ。不運に見舞われなければ、運など働かないのだから。

 正に今、迫り来る商人の皮を被った盗賊を前に、バルジーは焦っていた。


 相手は、きちんとした幌付き馬車を持ち、見回り用に馬に乗った護衛も付いている。どうみても不利だ。遠くに見えた時から、警戒はしていた。だが二手に分かれた男達の策通りに、まんまと逃げ道を塞がれていた。バルジーには頭の奥から響く警報が危険を知らせていたから、離れるように迂回をしたのだが、先に目を付けられていたのだ。あれだけの規模なら、遠見の魔術具を持っていても驚きはしない。

「おいおい商人同士だろう? 交換できるものはないかと声をかけただけだぞ」

 口の端を緩ませながら大男が近付いてくる。装備から商人ではない。護衛の頭だろう。

 バルジーの目には、男の脇に下げられた剣が、持ち主の意を受けて威圧を放とうと震えるのが見えている。それで商売だのと、どの口が言うのか。すぐ後ろに控えている、薄汚れた男たちも同じだ。四人、いや五人か。手出しするかは別として、商人も戦えるなら全員で六人。

 バルジーは既に愛用の武器である、腕の長さほどもある大鉈を手にし、刃先を体に添えるようにして、半身で男に向かい合っている。同時に、魔術式符にも力を流し発動の準備は整っていた。並みの戦闘技術しかなかろうが、一つだけ誇れることがある。精霊力の高さと、制御の速さ。せいぜい隙を作る程度のものだが、それで時間は稼ぎ得る。

 じっと相手を見据える。男達の顔に浮かぶ、幾つかの思惑が見て取れる。

 ――欲しい商品は私か。せいぜい女だと舐めていればいい。

 こちらの商人を先に屠ろうと、出し抜けに剣を抜いて踏み込む大男。その動作に合わせてバルジーも正面から飛び出す。鉈を掴む手先に意識を集中する。腕の力は抜くように、下から振り上げ、刃の重さに任せ遠心力で叩き切る。

 大男の腕が抉れ、削れた皮脂が飛ぶ。革鎧のせいで切り離せはしなかったが、力なく垂れ下がったのを確認する。そこで嵐の符を後方の男たちへ投げた。五枚の符は見えない壁に貼り付けられたように、逆さまにしたお碗状に広がり、男たちを囲むと雷撃を放った。

 はたから見れば小さな雷が幾つも降り注いだようだが、符に黒焦げにするような威力などない。しかし全身を襲った不快さと驚きにか、叫び声が重なる。

 男達が驚き引っ掛かるのも無理はない。バルジーには、他の人間にはできないことができた。符を、手から離しても発動できるのだ。

 範囲雷撃を編み上げる術式は、複数枚の符から成る。雷の符を複数同時使用することで、符を反射し合い、対象に作用する範囲が増えるというものだ。難点は、単体で使うよりも威力が落ちること。雷と言いながら、強めの痺れ程度の威力になる。大量に消費する割に、せいぜい、わずかな足止めが限度だった。

 だから、切り札でもあった。多数を相手とするなら使わない選択肢はなかった。こんな起伏に富んだ谷間の真ん中でなければ、相手が立て直す前に、これに乗じて逃げるところだ。

 だが、体を震わせて叫ぶ男達を見るや側へと駆け出していた。逃げ切れる可能性は大きくない以上、今は、その選択肢はなかった。バルジーは真っ先に相手の商人を狙う。隊を率いる男だ。護衛らの背後だが、近くにいたため巻き込まれた愚か者は、震えながらも手にした武器を上げかけた。が、遅い。確実に致命傷を与えるため、両手で振り下ろした。

 だが範囲の端に居た商人の立ち直りは早く、その体から光がぶれる。符の光振こうしんが見えた。防御符だ。ぎりぎりで躱され、胴周りの服を割き皮膚を掠りはしたものの刃は地面を削る。判断の早さに舌打ちする。

 他の男達の痺れの回復も早い。金があるようだから、全員が符持ちの可能性も考えておくべきだった。傷は浅いものの怪我を負う事態などなかったのだろうか、血を見た商人は怯んで喚き後ずさった。少しでも力を殺ぐべく標的を変えて、他の男達へ飛び掛る。

 不意に、雇い主の居た方からくぐもった呻き声が聞こえた。振り返ると、初めに腕を落とした大男と戦っていた雇い主が、剣ごと弾き飛ばされたようだった。

 雇い主は中肉中背の平均的な体躯の男で、剣の腕も並。相手は大柄の傭兵だ。片腕を駄目にしたし痛みも相当なはずだが怯まない、良い動きだった。

 負傷すれば雇い主でも相手できるだろうとの判断は誤りだったのだ。焦りを投げ捨て反転し、駆ける。目の前で、起き上がりかけの雇い主へと剣が、振り下ろされる。

 ――間に合え!

 雇い主は、横に転がって避けた。そして雇い主は取り落として地面に刺さる細身の剣を抜き、突きに転じるも切っ先は届かない。それは引っ掛けだ。バルジーが大男の背後から迫り、足の腱を狙う手助けをしてくれたのだ。叫びが上がる。

 片足だが動きは封じた。だが、危機に瀕した情況に変化はなかった。倒れた男の剣を蹴って遠ざけると振り返る。他の男達は、体の自由を取り戻して武器を構えなおしたところだった。

 飛び起きて側に来た雇い主に怪我がないのを確認し、バルジーも鉈を構えなおす。短時間で全員の足を止めることを優先したのは、そう間違いではなかっただろう。間違いだったとすれば、一人でも怪我を負わせてから戻るべきだったことだ。

 まるで、初めの状態に戻されたようだった。次は範囲術符も効くまい。どちらにしろ、もう予備は無かった。

 相手は警戒して距離を縮める機会を伺っている。だから持ち札のなさを悟られまいとするのだが、今頃、死を予感するように冷や汗が吹き出てきていた。

 ――こんなところで、負けてたまるか。

 そうは思えど、手は少ない。残りの符は防御符一枚。

 バルジーの鉈は、一撃は重いがその分隙が多くなり、手数を増やせない。それを符で補完していた。隣の雇い主は逆に、身軽さを重視した細身の剣だ。相手が悪い。

「後ろをお願い」

 見もせず雇い主に告げると、男達の中心を目指して一直線に駆ける。男達は後ずさり、各々距離を取る。勢いのままに、直線上にいた男に追いすがり、下から鉈を振り上げた。庇うように腕を上げた男の剣を弾く。

 同時に、バルジーの足にも焼き切れるような感覚が走った。味方に当たるかもしれないというのに、横にいた男は構わずバルジーの脇を狙いにきた。咄嗟に出したせいだろう、剣の狙いはずれて腿の側面を引き裂いていた。そのことは意識から追い出し、勢いのまま男達を突っ切ると距離を取る。側面から飛びかかろうと間髪入れず反転するが、バルジーを切ったのとは反対側の男は怯んで下がった。すぐ後に続いていた雇い主の一撃が入ったのだ。立ってはいることから致命傷ではないが、これで五体満足な男は、残り二人。

 戦力は拮抗したかに見えたが、もうバルジーはこれ以上の速度を維持できそうもなかった。肩で息をしている。汗が視界を邪魔する。残りの防御符は、雇い主に掛けるつもりだった。力を注ぎ、発動の準備を始める。

 その時だ。

 別の気配がした。

 心臓が跳ね上がる。

 どこか特殊で、大きな光震。

「誰か来る」

 小さく雇い主に告げる。

 こんな殺伐とした陸路を使うような輩に、味方などいない。新たな敵か。だが、その精霊力の大きさは、断念を通り越すに十分で。心の中で、静かに構えを解いていた。目の前の男たちの手前、実際に解きはしないし、そんな自分に苛立ち自らを奮い立たせ柄を握る手に力を込め直す。

 山形になった地形の陰で、気配は一度止まる。だが様子を、それ以上窺うでもなく堂々と姿を現した。

「厄介ごとか?」

 間抜けた声に、男たちは硬直した。

 ――信じられない。あれだけの力の流れに、誰も気が付かなかったの?

 惚けた声が私と商人へ語りかけられる。未だ睨みあっている男たちの後ろで、止血し様子を見ていた大男が声を上げた。

「盗賊に襲われてるんだぞ!」

 怒りが沸いて鼻を鳴らしてしまう。

「弁解はあるか」

 とぼけた声の主。

 遠めの気配では、既にこちらの動きを察知していたように思ったが、試しているのだろうか。

「勝手に想像しろ」

 答えるつもりはなかった。あえて詮索してくるような、こんな男に弁解など無意味だ。結論は既に出している筈なのだから。その答えは諦めを確実にした。

「雇った方に味方する」

 先ほど入れ直した気合いも空しく、我知らず力が抜けていた。雇い主は、バルジーが安いから、ようやく雇えた程度の懐具合なのだ。

 こんな所で終わるのか。

 久しぶりに思い出した、悔しさのようなものが胸の内に広がり、瞬く間に頭を埋め尽くしていく。

 全てを失って、這いずるように生きてきた私が、諦めようというのか。今の私は張りぼてだ。まるでこの肉体から、中身が剥がれ落ちてしまった残りかすだ。生への執着などない。これは生きる執念などではない。ただ、その殻が喚きたてる。戦え、闘え、たたかえ――。

 昏い情動に呑みこまれそうになるが、隣の雇い主の存在が力を与えてくれた。どちらにしろ闘うなら、自らの意思でだ。旅人なら、雇い主を生かすために戦うべきなのだ。

 ――これが私の、旅人としての生き様だ。

 最後の符、防御符を彼に賭ける。

 ――この亡骸を盾に生き延びろ!

 そうして対峙する男達に切り込んだ。




 ――なんなのこいつ。

 結果的に二人は、恐ろしいほどの精霊力を振りまく男に助けられた。が、雇い主に荷車で運ばれる始末。

 自分の力が足りなかったせいだと分かっているが、腑に落ちない。

 ――謎の男が使った補助符のお陰で、傷は痛まないけど。

 無理やり馬に繋いで走る荷車は、激しく揺れ、その度に尻が浮く。胃がひっくり返りそうだった。

 無様だと、バルジーは溜息を吐いた。

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