第30話 後始末

 イフレニィは縛り上げた男達を馬車の側まで集めると、車体に背を預け二人組の様子を窺っていた。

 行商人と呼ぶには二人きりというのは少なすぎる構成だ。現在、隣国との情勢は落ち着いており懸念するほどの危険はないと言われているが、国内の犯罪事が消えるわけではない。今しがたに起きたことのように。特に帝国は人の住まない荒野が広すぎるほどに広がっている。人目のない場所で悪事を企みたくなる人間は少なくはない。

 隊商を持つには若すぎることから、独り立ちしたてなのだろうと考えたが、商人組合の都合もあるのかもしれない。他の組合のことなど耳に入ることは多くないが、商人組合の方にも依頼形式の仕事があると聞いたことがあった。旅人組合ほど地域に密着したものではなく、主に若手の商人に他の商人から割り振られるようなものだったはずだ。それにしても予算がなさすぎるように見えるのだが。

 大抵の商人は、帝国の建国に関わる一族らの者なのだ。この国において商人、特に行商を営めるほどというのは、他国ならば貴族のような立場の者と言い換えても良い。無論、街に小さな店を構えるクライブのような者の方が数は多いため、商人組合の構成員に一般市民の比率は高い。しかし大商人と呼ばれる五つの派閥の頭は、帝国を成す小国の王だ。大抵の商人が、その一族に連なる。親族から富や知識を受け継いでおり、資金の乏しい商人というものは、ほぼ存在しないといってもよい。

 そのような事情から、未だ能力を試されている若者だとしても心情的に保護は厚いはずだった。目の前にいる者は、後継者などではなく、ただの使い走りということだろうか。

 それを示すのは護衛がたったの一人というだけでなく、恰好にも表れている。

 商人組合と旅人組合は、加盟国家間を自由に行き来する権利を有する。そこに属する者は、格好でその証明を掲げていなければならない。

 旅人でいえば灰色で、商人は砂色の布だ。大抵の商人は豊かさを主張するように、大判で柔らかな布を全身に巻いたような恰好の者が多い。贅沢な食生活で、身幅が豊かな者が多いせいもあるだろう。

 だが目の前の男は貧相といえるほど細身であるし、確かに砂色の布を巻いてはいるが、市民にとっては一般的な粗い目の安物の生地だ。しかも、豊かさを表すように余らせることもなく、きっちりと体を覆う程度のもの。

 ふと、商人の振りをした悪党は、やはりこちらなのかとも考える。たった二人という事実も合わせれば、愚かな小悪党なのかもしれないと。

 だが、捕らえた男達が真っ当だとは、とても言い切れる態度ではなかったのも事実だ。いかに怪我を負っていたといえども、相手二人に対して四人の動ける者が残っていて、それでもなお戦おうとしていた。口を封じなければならないとでもいうようにだ。ただの旅人の護衛であろうと、雇い主に求められたからと、なんでも従うなどということはない。組合に依頼内容に問題があれば報告され得るためだ。金のある相手の報復が恐ろしく口を閉ざすこともあるだろうが、全員がそうするということもない。組合の後ろ盾を失うことと、どちらを失うのが恐ろしいかと天秤にかけるだろう。それに、依頼者の求めに応じて組合側が人材を見繕って紹介するのだ。知り合いばかりが雇われるということもない。示し合わせていた者達だったと言える。

 それは馬車の積荷からも窺えるものだった。恰好からしても馬車は金の在りそうな六人組の方だろうと見て探ると、遠見の魔術式具などが出てきたのだ。確かに金はあるのだろうが、よく見る作りの馬車一台という半端な規模の商人が、非常に高価な魔術式道具を携帯する。しかも軍が使用するような道具だ。真っ当な商人に必要なものではない。

 それから、もう片方の商人が扱うとすれば、残りは荷車しかないことに困惑した。


 若い商人が女の傷を水で拭い、布を巻き終えたのを見て声をかける。

「街までの距離は分かるか」

 商人は、感情を見せない目を向ける。一拍の後に言った。

「明日中には着く」

 明日。その言葉を口の中で繰り返し、頭の中で地図と照らし合わせる。もう少し近く見えたのだが。既に午後も半ば。念のため野営するなら、そのくらいになるだろうかと考えても違和感がある。まさか。

「徒歩でか」

「徒歩でだ」

 他に何がある。そんな調子を向けられた。

 唖然とするのはイフレニィの方だ。馬がある。怪我人もいる。本気で言っているのか。単に俺に対して警戒があるからなのか。逡巡していると、話は終わったとでもいうように商人は移動し、倒れていた荷車を起こした。そして、積荷の状態を確かめ始める。

「それ、あんたらのか」

 荷をあらため、詰め直しつつも、商人は頷いた。

「行商中だ。背負うだけの荷では心もとないからな」

 呆気にとられてイフレニィは口を閉じた。

 行商しているのだと当人の口から聞かされたことと、だから荷車を使用しているという言葉が繋がらないためだ。

 荷車――腰ほどの高さの四角い箱と取っ手がついた、車輪。遠目に見ると車輪が車体を隠す様は、そのくらい大きく見える。荷を引くのには便利だが、通常は街の中で使われるものなのだ。

 これまでの旅での動きが思い出され、驚きと、あまりの事実に気力が奪われていくような感覚に陥った。目標は徒歩の旅ではないかと考えはした。それにしても緩やかな移動に思えていたが、まさか、これを引いて荒野を移動していたためだなどと誰が思うだろう。

 溜息を飲み込み、こめかみを揉む。道理で容易く追いつけたはずだ。

 ともかく、相手の立場が判明しただけでも僥倖と思う他ない。すぐに発たれたところで、追いつくのは難しくないということだ。それに、街の中で見失ったところで、特徴として聞き込みし易いだろう。

 残した商人を横目に、茂みの中に投げ置いてきた鞄を取りに向かった。斜面を登り、荷物を手に取る。高台から見下ろすと、先程の出来事が非現実的に思えた。

 嵐の範囲術式を使うほどの女だ。イフレニィが展開した円を見て種類を判別することができたはずで、せめて距離を取ろうとするだろう。そう考えた。自暴自棄になっていたのか、別の意図があったのか、ともかく女はイフレニィを無視し続けた。

 逆に、六人組側が動く気配を見せれば、すぐに発動させるつもりだった。氷や火属性で試した結果、倍増では済まない効果を発揮していた。今のイフレニィが嵐を使えば、確実に男達は痛むほどの痺れで身動きが取れなくなっていただろう。そうだ、すぐに発動させていれば、男達は動けなくなるだけで済んだのだ。

 イフレニィは、血溜まりから視線を外した。


 ――さて、どうやって気を引くか。

 信用などされなくていい。警戒も当然。せめて、街まで同行したい。その間に少しくらいは話を聞けるだろう。戻りながら、腰の小さな鞄から補助符を取り出す。

 商人は荷車を動かせるよう準備を整えたようだ。女の側まで引っ張ってきていた。

 イフレニィが近付くと、女が睨んでくる。そこへ符を持つ手を突き出し、展開した。こんな時に集中して量を絞ることなどできず、相変わらず魔術円は、通常の倍はあるままだ。女は怪訝に瞬きする。

「何の符か分かるだろ」

 警戒で目を細める商人を無視し、女を見て問うた。

「……補助」

 女の呟きは、商人へ視線を向けて説明するようだった。

「街に報告しないとまずい。互いにな」

 馬車の方を顎で示す。捕縛したまま放置はできない。特に首謀者は、一番近くの街に報告する必要がある。

 勝手に二人で移動するつもりでいたのか、それに思い当たった二人は、渋い顔を見せた。街への説明もなく立ち去れば仲間と見做される可能性もある。しかも、ここに報告をする気でいる人間がいるとなれば、白を切りとおすこともできないと気付いたのだろう。

 これで、一つの確信は得た。

 街に同行して共に報告するとしても、後ろ暗いことはないということだ。心底面倒くさいといった雰囲気には、イフレニィも同意できるため何も言わない。知らず、イフレニィの肩からも緊張が解れる。

「符を使う。いいな」

 女の背の傷は、致命傷ではないだろうが痛みはあるに違いなかった。街までは距離がある。ないよりはましなはずだ。

 掲げているのは検証の為にまとめ買いした、補助符。印の痛みを抑えられないかと買ったが、無駄だったものだ。あれは実のところ痛みというよりも、信号を発する際の脈動が極限まで高まるとそうなのだろうと、今のところは判断を下している。ともかく、そのおかけで余っていた符だ。

 これも、精霊力を高めて発動すれば効果が変化するのだろうか。

 そんな考えが過ぎり試したくなっていた。本来ならわずかに痛みを抑え、その間に治療所へ移動するといったものだ。痛み止めの薬湯などとは違い、これも魔術式が痛みを誤魔化すような信号を出すといった、実際に痛覚を遮断するものではないのだが。

 女は、躊躇いがちに頷いた。信用はしきれないが、やはり痛みはあるのだろう。

 少しばかり出力を高めて使用する。通常の倍はある魔術式は、発動すると普段よりも眩く感じられる。それが離れると、女を頭から包むようにして消えた。

 強すぎたかと、二人の様子を見る。

「なにこれ、すごいね。痛みが、完全に消えた」

 先程まで、傷を負いながらも不遜な表情を貫いていた女は、あっさりその仮面を崩した。何が起こったのか分からないと心底驚いた様子で、女は感想をもらしている。

 意外と単純なのだろうか。典型的な、そこらの旅人といえばそうなのだが、イフレニィには戦いぶりは堂に入って見えた。歴戦の傭兵といった風格があり、顔に傷でもあれば、さぞ様になっているだろうと思わせるものだった。

 女は不思議そうに体を捻ろうとしている。

「動くな。傷は癒えてない」

「あ、そうか、そうよね」

 痛みを誤魔化せた気がするだけの効果しかないもの、のはずだった。痛みがなくなるまでに効果が現れるということが、理屈に合わないように思え考え込んでしまう。イフレニィ自身、ちょっとした怪我を負って使ったことはある。本当に大して効いてるのかもわからないようなものだ。

 それが、こんな効果の高まり方をするとは思わなかった。

 イフレニィ自身も驚いているが、悟られないようにと口を引き結ぶ。気を取られていた隙に、いつの間に近付いていたのか商人が側にいて、手にしていた残りの符をひったくられた。半歩後ずさるが、商人は符を凝視し、遅れて言葉を紡ぐ。

「見せてくれ。ひどい出来だな」

 ――知ってるよ。

 思わず心で答えながら訝し気に見ていると、商人は魔術式を視線でなぞるように追い、勝手に見ておきながら眉を顰めている。符の方に仕掛けがあると考えたのだろう。

「少しばかり、精霊力が強いらしい。それより、今の内に移動するぞ。痛み出したら言ってくれ。まだ数枚はある」

 商人の手から符を取り返して馬車へ移動し、側にまとめてある男達を指差した。

「荷を積むのを手伝ってくれ」

 商人も、この件に関しては協力する気になってくれたようだ。荷台へ引き上げるのに手を貸してくれた。

 準備を進めながらも、補助符が出した効果について考えてしまう。これまでの精霊力と魔術式の常識を、悉く覆している。

 氷らないはずの符が、水面を氷らせたこと。火ほどの熱がないはずの符が、薄氷を溶かしたこと。

 ならば補助符をさらに強めたら、まさか傷まで消える、などということはないだろうか。そんな馬鹿げた想像までしてしまう。

 そこで、攻撃符ではないからと他人に試してしまったことに、わずかばかり罪悪感にかられた。妙な副作用がないように願うしかなかった。


 出る準備が出来たと合図を告げると、商人は荷車に手をかけた。

 商人を見たイフレニィの思考が止まり、商人は不思議そうに見返してくる。

 沈黙が流れる。

 女は腕や足にも切り傷を作り、よろめきながらも歩こうとしていたのを、商人が無理やり狭い荷車に詰めた。屈葬状態だ。そして、商人は自ら引く気でいるのだ。

「馬車に乗れ」

「俺達のものではない」

 そういう問題ではないと言い返したい気持ちを、イフレニィは飲み込んだ。

 立派な馬車の方が乗り心地はいいから移れなどと言ってはみたのだが、分不相応などと適当なことを言って譲らなかった。イフレニィは頭を抱えたくなるのを抑えて、どうにか宥めすかす。

「分かった。俺が馬車を移動させる。怪我人がいるんだ。せめて馬を繋いでくれ」

 馬車用の他に護衛用の馬が二頭いる。そちらに目を向けた商人は、ようやくそれもそうだと気が付いたのか、納得したように馬と荷車の持ち手を括りつけた。


 死なせてしまった大男は、そこに埋めてやった。既に馬車は積荷と人で満載だ。男達にもたせかけるように詰め込んでも良かったのだが、他の人間、特に首謀者に間違いないだろう商人は生きている。聴取には十分だ。

 お前も同業だったなら恨むなよ。一瞬そう思ったのだが、今や盗賊に落ちぶれていた者だ。

 ――自業自得だな。

 その一言で、争いの場も、手に残る感触も、全てが過去と混ざり埋もれていく。こうしたことならば、旅を諦めた子供の頃に見た光景の一つでしかない。


 移動を始めた商人を横目に見た。荷を背負う姿は、イフレニィら旅人とあまり変わりない。共に泥だらけの足を、馬へと運んだ。商人の後をついて、周りの斜面から隠されたような場を離れる。街道の近くにある、この妙な通り道について改めて疑問が湧いた。

「何故、街道を外れる」

「近道だよ」

 前後の地面をよく見ると、線を引いたような筋が続いていた。それなりに人が通るらしいことが分かる。そのわだちを頼りに進む。

 主に行商人が使っているようだ。街道で人と会わなかった理由だろう。しかし見通しの悪い道だ。この道から死角となる先程の場所に、めぼしい獲物を引き込んでいたに違いない。余罪がありそうだと思えた。


 馬が速度を安定させ、心地よい風を受ける。

 ようやく視界を覆っていたような気分はすっきりし、頭も冷えてくる。

 印の信号は、消えていた。

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