二章 彷徨う巡礼者

追うもの

第21話 一人旅

 乾いた空気が体を駆け抜ける。イフレニィは目を眇めて、進む先を見た。

 眼前にあるのは、どこまでも見渡せる大地。枯れたような土の上には、ぽつぽつと岩塊が生え、色褪せたような緑がまばらに彩っている。北方自治領特有の物寂しい風景だ。

 イフレニィには見慣れたものだ。その華美でない景色は肌に合っていた。元々、祖国であるトルコロル共王国も、海向こうの大陸では北端に位置する国だったこともある。誰もが、凍みるような冬にさえ体は親しんでいるようだったのだ。

 けれど、今は南を向いている。

 住み慣れた街、コルディリーを出てから、荒れた街道を南へと歩き続けて三日。先週引き返した辺りに差し掛かっていた。背負った荷を下ろす。追尾対象の位置を探査することにし、休憩がてら足を止めた。


 背中側、腰の中心辺りに刻印された魔術式へと意識を向ける。

 すっと精霊力が流れ込んでいき、振り向いて確認せずとも、白い光が模様をなぞるのを感覚で捉えていた。

 式を解き完成する一瞬、冷たい風が吹き抜けるような感覚が走り、黄金に輝く感触――発動の成功だ。


 何もせずとも夜には痛みを発することから、どこかから発せられる信号をイフレニィは漠然と捉えている。それを、印の魔術式を発動させることで、より強く掴むことができるのだ。

 それでもまだ範囲の広い方向を、さらに力を集めて感覚を研ぎ澄ませ、位置を絞っていく。脈動は激しくなり痛みも強くなるのだが、怯まず、その告げる先を視ることに集中する。印を通した精霊力を信号へ絡め、辿らせていく。光の糸は、どこかを探るように伸びていき、しばらく進むと四散した。

 その方向を見据える。

 前回確認してから、大きな進路変更はないようだった。ひとまずは安心したのだが、全く変化がないわけではない。やや南西にずれたような感覚を受けていた。イフレニィに判別できるのは方角だけで、どれほどの距離が双方に開いているのかは知りようもない。微かに逸れただけだろうが、考えるより大きなものかもしれないのだ。


 精霊力の流れを止め、発動を解除する。

 道の端に腰を下ろすと、古い地図と保存食を取り出した。微かな逸れた先を地図上で辿り、線を引くように指で辿る。真っ直ぐに引いた線は、帝国領土の西端で止まる。

 ――帝都に、向かっているのか。

 当然ながら道が直線に延びているわけではないため、ただの勘に過ぎない。

 ただ、大体の方角が分かるだけとはいえ、これまでに調べた方角の推移と街道の道筋が一致しているように思えた。先週確認した方角との差異も加味した判断だ。

 あの時に、手前の街を訪れ、滞在しているとすると計算が合うのだ。目標が街道を進むものであるならば、街を訪れないわけにはいかないだろう。確実ではないが、ある程度仮説を立て旅程を変更する。

 硬い保存食を齧りつつ、地図に視線を落とす。現在地から帝都までの道のりを目で辿った。地図上の街道は、幾つかの街を絡めとるように走っている。

 ここから最も近い、先週、対象が寄ったのではないかと考えられる小さな街に目を留める。とりあえずそこを目指すことにした。


 そこから帝都の方角を辿ると、間にもう一つ街がある。途中、巨大な岩棚が遮っている為、街道は大きく迂回して、その街へと続く。岩棚の手前では、別の道へと枝分かれしているが、経過日数を考えれば、そこはもう通り過ぎているはずだ。

 先程の確認では、この街を示しているように思えた。この分だと恐らく、対象は明日にでも街へ入るだろう。

 ――なら俺は、その街に寄らず、帝都を目指した方がいいか。

 すぐに、その考えは捨てた。対象が引き返すなり進路変更した場合に、無駄になる。

 今から追ったところで、追いつく頃にはまた別の場所へ移動しているのだろう。

 ならば、地道に後を追った方が確実だ。移動の跡を追うことも、何かの手掛かりにはなり得る。まずは、小さな街へ向かう。どの道、補給ができる機会は逃さない方が良い。


 イフレニィの表情が曇る。

 自分が何を追っているのか分からないのだ。出来れば、場所であって欲しかったというのに、残念なことに対象は移動している。ということは、誰かの持ち物か、『誰か』がそれであるということだ。

 人だとすれば、何者かを推測するのは容易い。街を経由しながら街道を進むなら、ほぼ商人で間違いないからだ。このような関わり方を考えると、軍の女騎士のことが浮かんだが、可能性は低い。正規軍と行動を共にしているならば、このような遠回りはしないはずだ。とはいえイフレニィの推測も、単純に商人の数の方が多いから可能性が高いだろうというだけではある。

 どちらにせよ、面倒なことだった。

 魔術式と精霊力に絡むなら、目標が『物』である可能性も外せない。もし追っているのが商人である場合、売り物の可能性が高い。調べるから貸してくれといって、通じないだろう。それが魔術式道具であれば、旅人如きが買える値段のはずはない。

 しかしこの道中でも、結構な時間が経っているのを考えれば、商人自身の持ち物という方がしっくりはくるのだ。

 見知らぬ人間に貸してくれるはずもないと思えば、ますます気が滅入っていった。


 イフレニィは一旦、持ち物説を放り出した。対象は人間と考える方が自然なのだが、それこそイフレニィには面倒なことだから、逃げの考えだったのだ。

 ――人間だったら。

 何かイフレニィに関係する原因なりがあるはずで、それは、どう考えても体の印しかない。そして印といえば、トルコロル共王国に関係することになる。

 滅びた祖国の関係者。

 これまでにイフレニィが知った生き残りは二人。どちらも、王の印を持つ者だった。現在追っている誰かも、印持ちだというのだろうか。

 いや、それなら印を持つ女騎士と会った時にも、印に何か反応があったはずだと思えた。あの時既に、精霊力に変化はあったのだから。

 しかし祖国と関係なければ、全く見当は付かない。

 大体、イフレニィだけが対象を感知しているのか。

 相手がイフレニィから逃げているという可能性は、今までの動きから考え辛い。

 誘い込んでいるという線もないだろう。悠長すぎる。

 そもそも、感知出来るようになったのは先週だ。

 そんな風に、知りえた幾つもの情報や条件を当てはめてみる。

 答えは出ない。


 ひとしきり考えると、頭はすっきりした。気分は晴れないが、それは仕方のないことだ。

 堅く味気ない保存食の、最後の欠片を噛み砕き、水筒から水で洗い流すように飲み込む。ぼんやりと眺めていた、今のところは役に立っている地図を鞄に戻した。

 随分昔に買った古い地図で、地形や街等の大まかな拠点はともかく、細部は変わっていてもおかしくない。それに広いアィビッド帝国全体を、目ぼしい部分だけ抜き出した大雑把なものだ。あまり信用し過ぎても良くないだろう。


 追跡対象が商人と仮定して、どういった類の商人かもわからない。

 ある地点からある地点まで、仕入れをするだけの店持ちの商人でないのは確実だ。

 行商して廻る商人とする。だがそれは国内だけなのか、国外も含むのか。

 地図の問題はそれもある。国外を出るようなら、その地図を入手しなければならない。帝都へ行くなら、確実に向かってくれた方が都合がよい。なんでも手に入るとの評判だ。外からの行商人も多い。国外の地図も手に入るだろう。


 うっすらと都の記憶をなぞった。

 ぼんやりとした光景の中には、一面赤煉瓦の壁が広がっている。馬車がすれ違えるほど幅のある本通り。そこに建ち並ぶ、三階以上ある家々。突き当たりに、立ち塞がる城塞。その広大さに驚いていたような気がする。

 全ては、子供の頃のことだ。


 帝都へ向かうとしても、もっと先の話だ。まずは、小さな街。手掛かりの第一歩だ。立ち上がると、再び街道を進んだ。


 ここから先は、未知の領域と感じられる。

 護衛依頼でもなんでもなく、一人で歩く、旅の始まりだった。

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