第20話 約束

 店仕舞いの時間になり、イフレニィはゆっくりと梯子を下りる。クライブは後片付けを終えると商品作りに熱中してしまうから、店仕舞い後が一番話し易い時間なのだ。クライブと、まともに話をすることになるだろうと考えると、少しばかり気が重い。

「ただいま」

 上から降りてきただけだが、戻ってから会っていなかったので一応そう伝えたら、作業中に振り返ることのないクライブが後片付けの手を止め振り返った。その眉は、訝しげに顰められている。

「おかえり。そんな行儀の良い帰宅は初めてじゃないか」

「……話がある。店仕舞い済ませてくれ」 

 言われたことに一瞬呆気にとられたイフレニィだが、気まずさを誤魔化しつつ用件を伝え、勘定台の端に向かった。ほとんどイフレニィ専用となった丸椅子に座り、思案しながらクライブの仕事が終わるの待つ。

 しばらく出る、そのことを、どう伝えるべきだろうかと考えあぐねていた。

 いつまでかなど、自分でも分かりはしないのだ。そんな無茶を言えば諌められるだろうか。しかし出なければならない。それだけは、分かっている。

 おかしな感覚が根拠だろうと、イフレニィにとっては自ら確かめて出た結論だ。それだけで理由としては十分だったが、他人にとっては理解不能なことに違いない。だからといって、馬鹿正直に起きたことを聞かせる気はなかった。

 自身の忘れたい出自や過去だけでなく、現在の北の危険や、それにまつわる組織とのことも頭にあった。国の威信をかけて行われるであろう軍の計画や元老院の関わり、どう関係があるのか知らないが滅んだ国の人間が接近してきたなどもある。そしてイフレニィは、彼らの期待に応えなかった。

 何かを知ることで、この世話焼きの男に迷惑が及ぶのを危惧してもいたのだ。

「おう、待たせたな」

 考えあぐねているところを、クライブの声が引き戻す。普段より手早く片付けたようだ。

「急がせて悪い」

「いいから話せ」

 今さら言葉を選んだところで、どうしようもない。短く切り出した。

「遠出する。今度は、長くなる」

 言いながらも来月分の家賃を勘定台に置き、差し出した。

「部屋を引き払いたい」

 勝手な都合で急に出るのだから、詫びのつもりもあった。いつもと変わらぬ無愛想さで、クライブはそれを一瞥する。

 本当に何事もない普段ならば、いらんと突っ返される筈だ。が、それは後回しにして、まずは確認することにしたのだろう。珍しく、問われた。

「戻ってくるのか」

 その言葉を聴いて、沈黙が降りた。

 もちろん戻ってくると、心は即答した。

 けれど頭は確認するように、現状を洗い直す。追うのは、目印のない不確かな位置にいるものだ。さらには移動する目標で、追いつくのは苦労するだろう。だからといって、見つかるまで延々と彷徨うわけにもいかなかった。そんな生活の余裕はない。

 今回、旅に出ることに踏み切れたのも、旅人身分だからだ。元々旅人に与えられた各支店を自由に行き来できる権利があるからこそ、煩わしい手続きなどなく旅立てる。なにより、行く先々の街で旅費を稼ぐことができるという算段があるためだ。

 しかし、追うものが必ずしも街の近くにあるとは限らない。

「一年。それで区切りをつける」

 クライブは、ふむと相槌を打つと、腕を組み考え深げに目を細めた。

「飲んだわけでもなさそうだな」

「もう随分飲んでない」

 クライブは勘定台の内側にある椅子に腰かける。イフレニィも、丸椅子を跨ぎ直して向かい合った。

「まさか、お前さんが街を出る日が来るとはな」

 勘定台の下から取り出された酒瓶が、目の前に力強く置かれた。

「悪いが付き合え」

 クライブは裏手から、手製の木杯を持ってくると、推奨していないはずの酒を飲めと促す。滅多に飲まないクライブも、同じく木杯を手にしている。何があったか知らないが聞く気はないというのだろう。そんな気持ちを汲み取れた。

 いつもと同じといえば同じなのだが、代わりに別の話をする気になったようだ。

「あん時と、おんなじ目をしてらあ」

 クライブから出た言葉に、イフレニィの木杯に伸ばした手が、ぴくりと反応する。どこか遠くを見るように、クライブは呟く。

「うちに来た時とな」

 覚えていて欲しくはなかった、その時の事が脳裏に甦っていた。


 この街に残ると決めてからのことだ。

 イフレニィは組合からの斡旋で、ほどなく滞在先を確保できた。難民のための村は準備中であり、街の住人に臨時の宿の提供が呼びかけられていたのだ。

 クライブは一人か二人くらいなら泊められると、屋根裏部屋を提供してくれていた。だが避難者は家族連れがほとんどの中で、本当に借り手が現れるとは思っていなかったらしい。

 ユテンシル道具店の入り口で、イフレニィは家主と顔を合わせるなり言った。

「組合に登録してる。すぐ一人前に働けるようになる」

 何も持たないイフレニィは、厚意の提供に甘えることしかできない自分に不満で、そう言った。きちんと滞在費を払えるようにする。それが急務だと気張っていたつもりだった。

「大人になんか、すぐなっちまうんだ。ガキの内はガキらしくしてりゃいい」

 クライブの声は、穏やかだった。無理しなくてもいいと、言ってくれたのだろう。

「……ガキだったから、助けられなかった」

 宥めるような言い方に、安心したのかもしれない。何を思ったのかイフレニィの口から、そんな言葉が呟かれ、口を閉じた。

「そうか」

 クライブはそれだけ言って、イフレニィの肩を軽く叩くと受け入れてくれた。今と変わらず無愛想ながら、穏やかな優しさを持って。


「……覚えてねえな」

 そんなことを言ったなと思い返しながらも、顔を背けた。居心地悪そうなイフレニィの態度を意に介さず、クライブは昔語りを続ける。

「ありゃ諦めなんかじゃなかったな。梃子でも動かねえ。そんな心意気だった」

 俺について最も覚えているのはそれなのかと、イフレニィは半ば情けない気持ちになる。出来れば誇りを持てる事柄であってほしいと、心の中で注文した。例えば、まともに稼げるようになって組合の庇護から抜け、改めて店子として住まうことになった時などだ。

 しかし浮かんだのは、出会った頃のクライブとの不穏な記憶だ。この人も俺と同じなのかと、思った時のことだ。

「指定依頼? なんで、店を手伝うのに、組合通すんだよ」

 初めて指定依頼を頼むと言われたときだ。面倒臭いし、できれば気軽に頼ってほしい気持ちもあった。

「人手がねんだよ。勝手を知ってる奴に頼むほうが、面倒がない」

「だったら嫁でも、もらったらどうだ」

 茶化すように言ってしまったイフレニィは、固まった。あの時、クライブが浮かべた暗い目と、わずかに辛さを滲ませるように歪んだ顔。大切な人を亡くしたのかな、そう思った。あれきり、そういった事には触れなかった。互いに。

 クライブが妻を暴動に巻き込まれて亡くしたと知ったのは、イフレニィが街に馴染んだ、大分後のことだ。


 だから、何も聞かないのか。こんな時でも。

 そう考えに至ると、思い出から抜け出しクライブの声に耳を傾ける。

「大して経ってもないのに、でっかくなるもんだ」

 目を細めてそう言う姿に、父の影が重なった。随分と精神的に助けられていたと、改めて思った。一時的に世話になるにしては、長居しすぎた。理由も告げられず出て行くことに、益々、気が咎めていく。クライブは立ち上がる。

「いつでも、帰ってこい」

 最後に、普段となんら変わりない調子の声で、それだけ残すと裏手の作業場へ引っ込んだ。

 イフレニィにとって、またとない家主だ。ぶっきらぼうな態度の裏にある、温情をありがたく受け取った。

 目の前に注がれた酒に視線を落とす。そのささやかな餞別を飲み干した。

「いってくる」

 来た時から、六年。自身では、そう何かが変わったようにも思えないというのに、確かに時間は流れている。

 強烈な物寂しさを抱え、屋根裏へ戻った。


 上掛けなどは畳んで仕舞っていたので、むき出しの木板に横になる。夜明けまでの短い時間だが、少しでも眠っておきたかった。既に、すぐにでも出かけられるよう着替えは済んでいる。

 体は強張っていた。

 外に出れば、悪夢のような光景が待っているかもしれない。

 この街、コルディリーの外では、悪いことばかりが起こっているような、そんな考えに囚われていた。外に出ることもあったが、護衛依頼といっても精霊溜り掃討のために、領内の荒れ地を巡るようなことだ。この寂しい領内を抜けて、南下することになるなど考えもしなかった。

 あの異変を見、住む場所を失った者達が避難してきた混乱と、隣国からの襲撃に近隣の街では暴動が起こった。そんな中を国へ帰ろうとして、父を失った。国境沿いや辺境の村々など、様々な思惑で、各地の小競り合いは暫く続いた。細かいことなら幾らでもあったと聞いている。

 だけど、とイフレニィは呟く。

 ここにいる間だけは、平穏に暮らせたのだ。

 緊張のまま、目を閉じた。




 夜明け前に、街を出た。

 たまに遠出するときと同様に。


 少しばかり歩き、振り返る。

 紫色の空の下に連なる家々を、降り注ぐ光の滝が縁取る。

 ぽつりぽつりと、灯りがつきはじめるのを眺めた。

 湿気を帯びて、冷えた空気を吸い込む。

 胸に、街の名残りを留めるように。


 一つ瞬きすると、街道へと歩みを戻す。

 もう、振り返ることはしなかった。


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