第12話 行軍の終わり

 回廊からの帰り道に、行きほどの大きな精霊溜りはなく、予定通りコルディリーに戻ってきていた。軍の天幕が目印の集合場所である平原で解散を告げられる。とはいえ旅人勢も、一旦は集まらねばならない。点呼やらなんやらと慌しい様子の兵達を横目に、重い足取りで歩いていく。前もって転話魔術式具で知らされていたようで、待機側の兵もすでに野営準備を進めていた。表向きの滞在理由が街周辺の巡回だったのだ、一応は取り掛かるつもりなのだろう。

 そうなると随行依頼は継続中ということだ。まだ付き合わなければならないのかと考えるだけで、イフレニィは早くもうんざりする。気になることはあるが、心中では、早く追い返したい気持ちが勝っていた。


 集合場所と指定された街の入り口脇には、支部長と職員の何人かが待ち構えていた。

 明日でもいいだろうに何の用なんだかと、イフレニィは不審に見やる。何かしらの連絡事項はあるはずなのだろうが、事情を垣間見てしまったことから勝手な不信感を抱いていた。

 戻った旅人勢が合流すると、支部長は職員へ指示を出し軍の天幕へ向かった。職員は旅人達に渡していた荷を回収するために来ていたようだ。明日にでも次の依頼に向けて準備する必要があるのだろう。職員は旅人よりは地位の高いとされる仕事だが、なかなか大変なようだと、ふとイフレニィは目指さなくて良かったと感じた。たとえ機会があったとしても、性格的に無理だろうとは想像がつくのだが。

 職員らは荷を取りまとめると、旅人には待つように指示し中身を確認していく。

 待機中、イフレニィは気懸かりについて考えることにした。国や組合の思惑は、ひとまず置いておくとして、現在気になっているのは再び体に変化が起きたことだった。回廊に着いた後から、精霊力がやたら巡るように感じられるのだ。信じがたいことであり、認めたくないことでもあるため、道中では結論を保留にしていた。

 回廊辺りでは、一面に積もったような、靄の中にいるからだと気に留めていなかった。そのせいで大気中の精霊力の通りも良いのだろうと考えたのだ。甘かった。

 しかし帰路でも感覚が戻る気配はなく、今こうして街まで戻ってきてしまった。

 最近の変化といえば、日暮れから体が痛み始めることだ。それも翌朝には消えている。精霊力の通りが良くなったのも、かすかな感触であり、それは空から降る精霊力が増しているらしいことが影響したのだろうと思える程度ではあったのだ。

 これは違う。

 まるで体が作り替えられたかのように、違う。

 以前なら、精霊力を使うのに、もっと制約があった。符など使う場所を定めてから、初めて、そこへ意識を集中するようにして、ようやく精霊力は身体から符へと通るものだった。

 それが今は、意識などせずとも風が肌を撫でるように、精霊力が体中を通っていく。既に体を巡るというよりも、ただ吹き抜けていく程度にしか、抵抗を感じられない。


 変化することもあり得るにしろ、あまりに急なことだった。空の帯から、光の洪水が見えるようになった日。あれから、少し意識するだけで、通り易くなっただけの時ですら、感覚の変化に驚いていたというのに。今や、常に精霊力を纏っている如くである。困惑もあるが、空恐ろしい。

 周りの人垣を見渡す。あの場にいた、皆に変化があるはずだ。そうであって欲しいと祈るような気持ちでいる。一見したところは、いたって普通に見えた。異変を感じたところで兵達が面に出すことはないかもしれないが、休憩中の会話の雰囲気からも、普段から外れたことが起こったことによる盛り上がりや深刻なものとは無縁だった。

 旅人勢へ目を向ける。何事もなく戻ってこれて落ち着いたのか、顔見知り達は、この後どこで飲もうかなどと駄弁っていた。ここまでの変化があれば、誰かしらが声を上げていても良さそうなものだ。

 魔術式使い達は、何かを掴んでいるのだろうか。あれこれと妙な道具を使っていた。それで調べられるものかも分からないが、どのみち聞く機会はないだろう。


 他に見られる雰囲気の変化は、心なしか場に暗い影が落ちているくらいのものだった。疲労のせいだけではない。

 闇神殿の回廊。

 あの光景のせいだろう。

 近付くことはできなかったが、水面に映っていたものは、現実なのかすら分からなかった。光の反射が形作っているのか、まさか別の世界でも存在するのか。海面であるにも関わらず、波が見えないほど静かだった。そして、周りを光が乱反射しているにも関わらず、はっきりと別の景色が見えていた。黒い建物にある幾つかの尖塔が、闇の空へと突き出ていた。

 その逆さまの光景を、どう受け止めればよいのか分からないのだ。

 喜んでいる者などいなかった。誰の目にも、禍々しいものとして映っているようだった。


 海上に湧いた光の積乱雲。指揮官の男は、精霊溜りと同じものだと言った。

 しかしイフレニィには何か質が違うと感られた。それは何かと、精霊力の象徴ともいえる空の光を見上げながら、思い比べてみる。

 降る光は、空の帯から生じるものだ。だが海の積乱雲。あれの出どころはどこだろうか。あの神殿から湧き出していたのではないのか――。

「オグゼル、荷物の回収は済んでるか」

 支部長の声が聞こえた。軍の方での手続きか悪巧みかは知らないが、一段落したらしい。副支部長が、それに頷くのを見ると、今度は旅人勢に向く。

「皆、無事なようだな。ご苦労だった。詳しくは明日聞こう。また会議室に集まってくれ」

 皆の顔を見渡すと、その場を締める。

「今日のところは解散とする。よく休め、飲みすぎるなよ」

 労いと、釘を刺す言葉に、旅人は気が抜けたような返事をあげた。訳の分からない事態から、ようやく解放されたのだ。軽くなった足取りで、各々の目的地へ向けて帰っていく。

「イフレニィ、少し待て。オグゼル、お前も来い。後は荷を持ち帰ってくれ」

 支部長の呼び止めに、イフレニィは肩を落とし舌打ちした。ようやく終わったと思えばこれだ。悪巧みは、これから始まるらしい。


 支部長に連行される先は、幾つかある天幕の一つだった。そうだろうと考えていたため、イフレニィに驚きはない。ただ憮然とした顔付きで、近付く入り口を睨む。

 帝国、組合、元老院――他の勢力も関係ありそうだが、何を進めているというのか。

 答えの一つは、既に見ている。

 回廊の非常識な現象が精霊溜りの一種だとして、害があるならば、対策を練るのは当然のことだ。いくら帝国が大国とはいえ、到底、一国でどうにか出来る規模ではないだろう。

 まずは、害があるかどうかの調査だったのだろうか。しかし精霊溜りと断じたならば、害としか言いようがない。

 調査といえども、確認は短時間で済ませたようだったことも気にかかる。ならば、そもそも知っていたのだろうか。指揮官の、元老院への連絡を聞いた限りでは、事実の確認をしたかっただけに取れる。


 天幕の入り口脇に立っていた兵が中へ呼びかけ、分厚い布を捲って入るよう促されるままに足を踏み入れた。

「ご足労いただき感謝する。掛けてくれ」

 入るなり髭面の指揮官が指示する。やはり例の男だ。他には補佐らしき魔術式使いと、そして女騎士がいた。それなりに重要な地位にあるのだろうか。しかし、その存在は違和感の塊だ。

 普通ならば、生き延びた人間が同郷の人間に会いたいというのを、別段おかしいとは思わないだろう。しかし、この女騎士は王筋の人間を探していると言ったのだ。考えたくはなかったが、過去に知る騎士達と同じなのだろう。その頃は、この女騎士も子供だったはずだというのに、すでにそのような信念が育っていたなど信じ難いことではある。それに元々騎士の家の出だったとして、その技能で軍で働くことに決め、ここまでの地位に登りつめたとしたなら、帝国の未来へ目を向けるべきなのだ。

 現在、帝国臣民であることに疑問のないイフレニィは、憶測で腹を立てる自身に呆れて別の方向に考えを向ける。

 他に、この女騎士が他国の装束で歩くことを許されることに、現実味のある可能性は浮かばなかった。たとえば副王マヌアニミテ家に近しい者だったとすれば、帝国側が利用価値があると踏んで置いている、といったことだ。

 しかしトルコロルの現状をよく把握している帝国が、後ろ盾のないと思われる女を、軍に置いているのも妙なことだ。イフレニィには、天幕内の全てが偽りのようで、不思議な空間に感じられた。


 簡易机の上には、転話道具だけが置かれていた。水晶には光りがまとわりつくように浮かんでおり、発動中であると分かる。何処かに繋がっているということだ。皆が席について、向けた視線に答えるように説明がなされた。

「幾つか確認したいことがある。転話具は、元老院と繋いでいる。今回の件ついては、彼らの助けがあってこそだ。了承願いたい」

 特に隠す気はないらしい。隠す段階でもないのだろうか。場の面子に視線だけを巡らせて、イフレニィは眉を顰めた。

 ――何で俺が、ここにいなきゃならないんだ?

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