第7話 さらなる変質
晴天の下、イフレニィは北の村で汗を流す。
橋を渡すのは三箇所。すでに現在三箇所目に取り掛かっている。小川の小さな橋なのだ。組み上げ後の加工などは村人が行う。イフレニィら旅人の多くに特別な技能はなく単純作業が主だ。元々短期依頼のため、今日で解放される予定だ。
横目に鮮やかな青い空を見る。
そこには昨日までとは違う様相の、光の帯。
昨日までは帯だけ揺らめいていたのが、昼間でも降り注ぐ光の粒子が目に入るようになっていた。
幸いなことと言ってよいのか、今回は、街が封鎖されるほどの事態ではなかったようだ。どこにも被害がないならば、それが一番いいことではある。
しかしイフレニィには問題だった。
昨晩、滝のような光の奔流を見てから、より精霊力を身近に意識できるようなのだ。印を中心として作用しているような感覚も多少あり、不気味なことこの上ない。
符のように発動しているような状態ではないが、以前と比べて流れが詰まるような感覚がなくなったのは確実だった。
身体という器を、精霊力が水を湛えるように自然と満たす。印が反応する条件は、このような一定の精霊力が必要だったのだろうか。
これまでも精霊溜りに近付いて符の同時使用も行っているし、その際には身体を大量の精霊力が通っている。これまでとの違いは空の帯だけだとして、他にどんな差があるというのか。辺りを漂う精霊力が圧倒的に増えている。この中に身を置いている。それが重要なのかもしれない。
推測ばかりだ。
気分は晴れない。
苛立ちは暑さのせいもある。印が実際に精霊力を通すと知って、上着を脱げないでいた。乾燥して冷ややかな空気のお陰で過ごしやすい土地ではあるが、さすがに力仕事中に着込むのは暑苦しい。
とはいえ、光が漏れでもしたらと思えば気が気ではない。意識して精霊力を流そうとしなければ問題ないはずだが、ここのところの環境の変遷を無視できなかった。仮に印の痛みが自動的に精霊力を受容するせいだとすれば、勝手に反応しないとは言い切れないだろう。
もしも見咎められたなら、防御符でも懐にいれておき、練習しているとでも言おうか。そんな誤魔化しへと考えは及ぶが、そんな自分に呆れて頭を振った。
仮に魔術式使いがいたなら、感知されるだけでなく種類まで見分けられてしまうので無意味なことだからだ。
たんに精霊力が強いだけの者が相手ならば、そんな言い訳も通るだろう。誰も精霊力が紡ぐ紋様の種類に対して知識があるわけではない。イフレニィがなんとなく判別するのも、それまでに試したことのある紋様に合致させて多分あれだろうとあたりを付けているだけであり、正しく認識しているわけではないのだ。そこが訓練を施された魔術式使いとの違いだ。
近々帝国軍の定期巡回への随行依頼がある。
軍には数だけでなく技量の高い魔術式使い達がいる。状況確認なのだから、それなりの者を寄越すだろう。何か怪しまれるような事態は避けたいといった不安に心が曇る。
それまでに、まずは印を確認し直そうと決めた。
一日ずれたが、イフレニィの短期依頼としての仕事は終了した。
遅れが響いたのか日が暮れる間際になり、慌てて依頼書に村長から終了の署名を受ける。翌日に組合で、これを渡して報告と換金をするためのものだ。
イフレニィは印の痛みを堪え、街へと走った。
屋根裏に戻ると、服を脱ぎ捨て背を見下ろす。早速、印に精霊力を流した。暗い中だ。白い光の粒が模様をなぞり光るのが、はっきりと見える。
符は、魔術式を展開させ効果を発し、耐久を超えると燃え落ちる。
それが自分の体に起きたら――喉が鳴る。
頭を振って想像を追い払い、思い切って、符を展開できるだけの精霊力を印へと流した。
模様をなぞる光は、強まった。が、それだけで空中に展開はされない。さらに強めてみたが、同じ結果だった。
さすがに限界までというのは躊躇われたので、そこで止める。どこまでが限界なのかもはっきりしないが、無意識に制限しているような気がしたため、その辺りまでだ。
釈然としないまま、寝台に腰を下ろした。
これでは、何も分からない。仮説も立てられない。父の印、あれは異変による急激な精霊力増加で、許容量を超えたのではないのか。イフレニィの場合は耐久を超えるまではいかなかったが、あの時に同じく印が痛んだのも、それが理由ではと考えたのだ。
ならば、やはり限界まで力を流してみるべきだろうか。しかし何が起こるか分からない以上、それは試せなかった。
代わりに印ではなく、体の別の場所を意識して精霊力を流した。印に反応はない。幾度か、あちこちに流したり止めたりと繰り返してみる。これを見るに、印も通常の魔術式と同じく、意識的に精霊力を向けなければ反応はしないようだった。
なんの解決にもならないが、ひとまずはそれで自分を安心させることにした。
そうして糸口さえ見出せないまま時は過ぎる。
「軍の各班に、こちらの人員を二、三人つける。これが予定表だ。見逃し易い地形などを念頭に行動してくれよ」
来週にも訪れるという帝国軍の巡回に対応するため、組合の会議室にて、集められた者達への説明会が行われている。広くはない部屋だ。イフレニィは、人を見渡せる壁に背を預けて、職員オグゼルの言葉を聞いていた。イフレニィが認識しているのは「副支部長のオなんとか」である。その副支部長が不意に口を噤んだ。深刻な雰囲気を見て、周囲は注目する。
「次に、その後の日程について話がある」
そうして告げられた内容に、室内はざわめいた。
「北端まで進むだと?」
封鎖された区域だ。戸惑いの声が次々と上がっていた。
随行依頼を受けた大抵の者は、領内の案内と、その際に発見された精霊溜りの処理だと考えている。しかし国が知らせてきた軍の旅程には、立ち入り禁止区域のままである回廊近辺が含まれているという。文句の声も上がるだろう。
パスルーの街が消滅してから回廊付近は帝国直轄領となっており、この街を含む、北方自治領の管理下にはない。無論、状況の確認は必要だし精霊溜りを無視はできないのだから、定期巡回の軍と関係者にとって、この街を越えて進むのは通常のことだ。だが、旅人が同行を打診されたのは初のことらしい。
よっぽど人手が足りないとでも言いたいのだろうか、怪しいもんだとイフレニィはオグゼルを睨んだ。
少しでも精霊力の強い者を揃えたい――依頼時の、副支部長の言葉が思い出された。
内心で舌打ちした。別の目的があるのだ。当然、全ての情報を開示するはずもない。組合側だって、国から全てを伝えられているとは限らない。
精霊溜りの頻発については嘘ではないだろう。急を要すことだ。空の異変に関係あるのだろうか。過去のものだけでなく、最近の変化も。
国のお抱えならば、イフレニィなどより遥かに精霊力の強い者だって幾らでもいるだろう。ならば他にも何かを掴んでいるとも考えられる。
これは、その確認なのか。それとも、人員を必要とするのだから、既に何かしらの結論は出ているのか。軍が何を目指しているのか興味は惹かれなくもないが、やはりイフレニィの頭に過るのは、痛みの問題だ。
当初の予定通りに街周辺の案内役なら、毎日帰れるから良かったのだ。北に随行するなら野営することになる。
上着は着たままでいようが、班での行動ならば人と離れて休むことは難しい。寝ている間のことなど自分では分からない。もし知らずに印が光って、それを見られたらという懸念が過ったのだ。それはなくとも、痛みによる寝苦しさと嫌な汗。体調不良と誤解されそうだということもある。
引き受けたからにはやり遂げるつもりだが、余計な心配事が増えて、イフレニィは一人神経を尖らせていった。
数日ぶりに、人のごった返す昼時の大衆食堂に来ていた。説明会は午前中も早々に切り上げられた。皆、他の仕事もある。イフレニィは説明会で時間を取られることを考えて、街なかでの仕事を受けていた。随行依頼の準備は明日からだ。
「軍が見回りに来るんだってね」
頼んだ料理を持って、ディナが話しかけてきた。
「情報が早いな」
「みんな声が大きいからね。嫌でも聞こえてくるよ!」
底抜けに明るいディナの笑顔は、珍しく、やや不安げに翳った。
「それにしても変よね。まだそんなに経ってないのに。何かあるのかな。って、なんだか顔色良くないね。また飲み過ぎ?」
寝不足がたたって、彼女の言うところの「しょぼくれた顔」になっているのだろう。言い切らないということは、なにか見分け方があるのだろうか。曖昧に苦笑を返すと奥から声が飛んできた。
「おいディナ、皿運んでくれ!」
「はーい! じゃあイフレニィまたね」
上の空でディナに頷くと、食事に意識を切り替えた。何かあるのかな、か。それはイフレニィが知りたいところだった。
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