第8話 帝国軍の目的
「明日から軍の巡回に付く。一週間ほど空ける」
「おう、そうか。気を付けろよ」
組合から要請された、随行依頼に出かける前日。イフレニィは家を空けることを家主に伝えた。時折ではあるが護衛依頼で出かけることもあり、クライブの返事もそっけない。
回廊までの行き帰りで一週間とかからない予定になっていたが、イフレニィは現状を知らないし、精霊溜りの数によっては時間も取られるだろうと多めに見積もっている。
随行依頼の内容は、伏せられていたとしか思えない説明会での変更から、さらに変更されたのだ。街に到着した軍は、通常の定期巡回は後回しにし、まずは真っ直ぐに回廊を目指すと言ってきたとのことだ。そもそも巡回は取ってつけた理由だろうから、調整が入ったのだろう。
この街には、そこそこ大所帯の帝国軍を受け入れるほどの余裕などなく、西側の平原に駐屯している。各地へ出かけるにも都合が良いのか、定位置となっている場所だ。イフレニィら随行を依頼された者達は明朝から合流する。組合は今頃、遠征の準備の確認に追われているのだろう。イフレニィにとって今夜の街は、背中の痛みを除けば、いつもと変わらぬ静けさだった。
夜が明けて、集合地点である街外れの平原に出向くと、遠くからでも人の列が確認できた。兵は既に、隊毎に分かれて待機しているようである。
アィビッド帝国軍。
末端の兵まで黒で統一された装備に身を包む列は、枯れたような大地の上で浮いて見えた。掲げられた深みのある真紅の旗には、黒で長剣、長槍、斧槍が交差し、縁取るように蔦の絡んだ意匠が描かれている。物々しい国の成り立ちを想起させるものだ。古い話で半ば伝説のようなものだが、戦に明け暮れた傭兵達の興した国が始まりとの謂れである。
とはいえ、眼前の兵は大層な武器など携えてはいない。現在では多くの国が協定を結んでおり長い間戦争らしい戦争は起こっていないこともあるが、戦時でも紛争地でもない今回のような行動には、機動性を重視した丈夫な布の制服に補強された革鎧のみと軽装だ。当たり前だろうが、それでも旅人などよりは断然上等だ。
列の向こうには、天幕の幾つかが残されたままだ。転話魔術式具などが置いてある連絡用の臨時基地で、物資も必要な分以外は置いていくためのものだ。それらを横目に見ながら歩いていくと、副支部長のでかい声が響く集合場所へ到着した。
「一つずつ持っていけ。失くすなよ!」
今回は掃討依頼と見做すことにしたのだろう。組合から支給すると前もって伝えられていた、食料やら符などを詰めた鞄を渡された。無理矢理に引き受けさせられた感はあり、皆の不満を少しでも減らす配慮かもしれない。なんにしろ自腹を切らずに済むなら有り難い。受け取るや背負った。荷が行き渡ると、中年の男が皆に呼びかける。滅多に顔を出さない支部長だった。
「よし、集まったな。通常の随行依頼で受けさせておいて悪いが、調査を頼む。道中は副支部長の下に行動してくれ」
珍しく出てきたが、やはり待機のようだ。責任者が揃って長期間拠点を空けるわけにもいくまい。
しかし、イフレニィは調査という言葉に引っかかりを覚えた。
回廊までの随行員として集められた顔ぶれを見る。説明会にいた領内の案内役予定の者が全員参加するわけではない。集まっているのは十人。だが、それが掃討依頼時に見る者ばかりだ。はっきりと、精霊力が強い者達のみで固められている。馬鹿馬鹿しい、ここまであからさまなら初めから理由を言えと、イフレニィは喉元まで出た言葉を飲み込んだ。
この街で精霊力が強い者達が必要な理由など一つしかない。大きな精霊溜りでも見つかったとか、そんなところだ。迂闊に知らせて民衆の不安を煽ることを、怖れているのかもしれない。
それにしてもと、イフレニィは兵の列を見た。軍側の人数は十分足りているように見受けられる。あちらに比べれば、貧相そのものだ。軍にだけ勝手なことをさせたくないという、支部長達組合側の意向の方が妥当かと思えた。
出かけている間に精霊溜りが現れれば手こずるだろう、そんなことを考えているうちに、出発の号令が軍から聞こえた。移動は、将校や伝令が馬でその他大勢は徒歩のようだ。当然ながら旅人も歩きだ。金のない組合から馬など上等なものが貸与されるはずもない。見回る内容から道のない場所は多いのだから、荷物を持たせる以上の利点はないだろう。
今回、案内役の仕事ではないこともあり旅人は軍に混ざらない。副支部長の後を二列に並んでついていくことになった。副支部長を入れて、たったの十一人。少人数のためか、先頭を進む隊の後を進むよう指示を受けた。最後尾に置くには信用がないともいえる。
イフレニィも周辺を横目に確認しつつ、崩れかけの街道を黙々と歩き始める。気楽な男達の多い旅人勢が固まっているというのに珍しいことだ。兵達の歩みに合わせるなら無駄話などする余裕はなくなるだろうが、肩の強張りや周囲を落ち着きなく窺っている様子を見るに、慣れない状況で緊張しているようだった。
昼までの行軍の後、休憩に入った。先頭の隊から僅かばかりの距離を取った位置で昼食を摂る。緊張から解放されたためか、味気ない携行食を口にしながら、各々雑談を始めた。イフレニィも乾燥した保存食を齧りながら、周囲のお喋りに相槌を打ちつつも、しかし話の輪に入ることはせず近場の岩に背をもたせ掛けた。そして、なんとはなしに辺りを見渡したことを後悔した。
先頭の隊の中、さらに前方、帝国軍の黒い格好の合間に場違いな身形。
白を基調とした目立つ軍装が、目に飛び込んできた。
それはある筈のない、見覚えのありすぎる装束。
思わず、体ごと目を逸らしていた。
何故だ。何故、こんなところにいる――今一度、目だけを向ける。
記憶に違わないあれは、トルコロル騎士団のものだ。
しかし、異様な存在たらしめているのは、それらを身に着けている者のせいだ。若い騎士然とした女。ありえない。騎士の生き残りにしては若すぎるのだ。
なにより、それがアィビッドの軍にいる。しかも先頭は指揮官の隊だ。これまで目に付かなかった、兵の列に隠れていたほど先頭に立つなら、高い地位にあることが窺える。
一体どうして、そのようなことが可能なのか。なんのために、そんなことをしているのか。それとも帝国兵に、そのような恰好をさせているとでもいうのだろうか。
「……関わるな」
疑問で溢れる思考を遮るよう、口の中で呟き視線を引き剥がす。じっとしていられずに立ち上がり、遠ざかりたくて歩いたが足を止める。周囲の兵から警戒の目を向けられたこともあるが、持ち場から離れすぎるわけにはいかない。先頭に背を向け、鼓動を落ち着けるよう、その場に転がっていた岩に座る。
そんなイフレニィを嘲笑うかのように、足音が迫った。どこに逃げようもない。近くで足音が止まるのを待った。すぐに白い人影が視界を掠める。騎士の女は、イフレニィの視界に入る様に回りこんで、真っ直ぐ見ていた。
向けられるのは好奇であり、何か意図を持った強い瞳。青緑色の視線が、射かけられる。イフレニィは、衝撃を受けていた。その瞳は、間違えようもなく見覚えのある色だ。
「組合から派遣されたのね」
イフレニィは、ぎこちなく肯く。諦めて顔を向けた。努めて表情を消すようにして、口は引き結び言葉を待つ。
「先程、見ていたでしょう。女を見るにしては、鋭い視線だったわね」
こういった類の人間に下手な誤魔化しは聞かないものだ。イフレニィは溜息混じりに、重い口を開く。ぞんざいに衣装を指差して言った。
「滅びた国の兵が、そんな格好だった。亡霊でも見ているのかとね」
イフレニィの失礼ともいえる態度に反して、返ってきた反応は笑顔だ。
「あなたも、トルコロル出身なの?」
期待に満ちた、ほころぶ顔が返す。イフレニィは悟られぬよう歯を食いしばった。
――あなた『も』、か。やはり、面倒ごとだ。
「昔、見かけたことがあるだけだ」
隠しきれぬ心情が、吐き捨てる言いざまに滲んだ。女の、信じ難いといった面持ちが見つめ返す。
「……そう、それは残念ね」
そこへ休憩を終える号令が響く。イフレニィは逃げるように、列を作るべく戻った。
ここのところ、厄介事しか起こらねえと思いながら。
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