第5話 魔術式の疼き
胸苦しさで目覚めた。ひどい寝汗をかいており身体も重い。痛みを誤魔化すように酒を呷ったことも無関係ではないだろう。ぼやきながらも、イフレニィは寝台から這い出る。
無意識に、腰に手を伸ばしていた。
印から血は出ていないし、痛みも引いている。村から帰宅後、不快感と鈍い痛みに何をする気にもなれず、横になっているうちに寝てしまっていたらしい。
あれは何だったのか。異変の夜に起こったものとは、また違った感覚だったように思う。イフレニィは頭を振って起き上がった。原因の分からないことを、考え込んでいたくはない。
組合に着くと受付へ直行する。やりかけていた橋の仕事についての確認だ。
「昨日はお疲れ様。大活躍だったみたいね」
受付職員は、相変わらず顔を見るなり切り出す。今まで彼女に先んじることが成功した試しはない。
「作業は続けられるのか?」
「ええ、おかげさまでね。昨日の依頼は今日からに変更しておくわ。もちろん、昨日の分は特別依頼として処理しておいたわよ」
「助かる」
それだけ聞くと踵を返す。すでに噂になっているらしく、話しかけてくる顔見知りへの挨拶もそこそこに、北の村へと急いだ。気が付けば、あの少しばかり異常な精霊溜りと、印を襲った痛みに考えは移る。どうにも、頭から離れなかった。
北の村へ到着すると、橋を渡す仕事の続き――というよりは仕切りなおしだろうか。午前中は黙々と、木材の移動や加工作業の補助をこなす。昼食は村からの差し入れだが、昨日のこともあり多少豪勢だった。普段は雑穀パンに、しなびた薄い干し肉が二切れもはさまっていれば良いところを、煮て潰した豆や、野菜の酢漬けが数種類も付け合わせてある。イフレニィは、それを持って森へ向かった。
精霊溜りのあった場所が、気にかかっていた。もう一度、自分の目で確認したかった。村人は、まだ近付いていないようで、幹には斧が残されたままになっており、目的の場所に迷わず辿りつく。
精霊溜り跡は、妙な抉れ方をした地面が残されているだけだった。今まで片付け、見てきたものとなんら違いはない。辺りを歩き回るが、やはり何もない。
肩透かしを食らったような気がした。印の痛みに関係ある、何か切っ掛けになるようなことがあるのではと期待していたのだ。
唐突に全ての手掛かりが消えてしまったようで、気が抜けて立ち尽くす。そのままパンを齧りながら、無駄だろうと思いつつ改めて記憶を探った。
精霊溜りは、辺りに漂う精霊力が運悪く結合し固定され生まれる。何か誘引するものが生まれるのかなど、原因は不明らしい。そのまま触れたもの全てを、精霊力へと変えながら成長していく。
変換速度はかなり遅い。時間がかかるので、人がちょっと触れたからと、どうなることはないとのことだ。だがそれを検証した者はいないので、どの程度で、どうなるということは誰も知らない。対処にやたら人手を割いているところを見るに、国は何か把握しているからこそ、徹底して伝えられているのだろう。
実際、精霊溜りの出来た場所にあった物が消えるのは確かだ。それは見たことがある者なら、誰でも底知れぬ恐怖を抱く。放置すれば、眠る間に何もかもが消えているかもしれないのだから。
それだけだ。イフレニィは苛立たし気に溜息を吐いた。一般的に知り得ること以外のことは何もない。だからこそ、この場で何か体感できるのではないかと期待したのだ。なんの収穫もなく、午後の作業へ戻るべく森を抜けた。
「おいあんた、何ともないのか?」
声をかけてきたのは村人だ。森に入るのを迷っていたようだ。もう問題はないはずだが、得体の知れないものは恐ろしいのだろう。昨日の場所には何もないことを伝え、新たなものには気をつけるようには促しておいた。
その後、何事もなく午後の作業を終えると家路に就いた。
まだ日のある内に戻れたため、今日こそ訓練を再開しようと剣を手に取り、店の裏手になる生活道路へ回りこんだ。狭いが近くに人が出てくる扉もないため、素振りをする程度には丁度良い。それにイフレニィが扱うものは短剣に類する。一般に兵が持つような制式の直剣より一回り小さなものだ。さほど場所を選ばず扱えるため日常的に持ち歩くには都合が良く、旅人を始めてから得たものだ。
いつものように腰を落とし、刃の中ほどが顔に来る位置に立て、片足は引いて構える。壁の一点を見据えた。ひび割れを的に見立て、鋭く息を吐くと同時に踏み込む。剣を振るというよりは、そのまま押し出すような動き。
父や従士、旅の中では騎士からも学ぶ機会が得られた、故国トルコロルに伝わる剣技。守りに重点を置くという、その基礎の型を繰り返す。長剣用の型だ。
短剣を使い始めた今でも、勝手知ったる方法を続けていた。半ば、身体を動かすことだけが目的となっているのだ。無論、自然に振り下ろすような型もある。無心に剣を振り続け、余計な思考が挟むのを撥ね退ける。護衛依頼を受けることもなくはないのだから、続けておいて損はない。だが、それこそが目的だ。酒と同じく、心を、頭を煩わせる雑音を散らすための儀式。
日が沈む。
己の荒い息遣いと鼓動に邪魔され集中が解ける。気が付けば、型も何もなく力任せに振っていた。腕を下ろし、膝に手をつき息が整うのを待つ。
歯痒さに顔をゆがめた。
いつもなら消えるはずの苛立ちが残っている。おかしな不安に飲まれそうになり、必死に誤魔化そうとしていた。じっとしているのが辛い、落ち着かない気分が消えない。
理由は、昨夜と同じく印だ。
徐々に背中が冷えていき、体の奥底で疼くような痛みが明確になっていた。原因が分からずに苛立たせられる。意識から追い払うために、再び柄を固く握り込んだ。痛みと、背を伝う嫌な気配から逃れるように、身体を痛め続ける。
もう無心にはなれず、自然、王の縁者である証に考えは及ぶ。拳大の丸い模様。頑なに否定しようとも、飾りではない。そう受け入れるべきなのだろう。かといって、どんなものが仕込まれてあるのかなど見当もつかない。生まれ落ちた時からあるものではないが、入れ墨でもない。王族の中でも上の者から授けられると言われている。表には出ていない魔術式なのだろうか。当然、イフレニィにその詳細は知り得ようもない。
ただの街人であるため、旅人として生きると決めた日から、こんなものは面倒の元だと疎ましかった。一度、消せないかと皮膚の一部を削って確認してみたことがある。それで分かったのは、刺青などよりも肉の深い内側から浮いているような、染み出しているような――ともかく痛いばかりで、消すことは不可能だろうと知れただけだった。
その時は、目立つ所になくて良かったと心底思っていた。
そのせいで、変化に気付くのが遅れたのだろうか。
服を捲ると、忌々しい印を見下ろす。痛みが止まないかと精霊力を流した。気紛れであり特に意図はなかった。精霊力を注ぎ込んだところで、淡い光が浮かぶだけで何も起こらない。
淡く、輝いた――絶句。
符へ精霊力を流した時と同じく、白い光は模様をなぞった。それは驚愕ものの事実だ。
多くのもの、特に生物は精霊力を通しづらいという。一説によれば、精霊力は生命力とも置き換えられるものらしい。なれば生命に満ちた人体に入り込む余地はなく、まとわりつく精霊力など微々たるもので、魔術式を通して効果を及ぼす起爆剤にはなり得ない。
有り得ないはずなのだ。
飾りではないと結論を下しながらも、頭は拒否していたらしい。目の当たりにしたものにイフレニィは、益々気分が悪くなっていた。
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