第2話 油井家の人々

 八尾 エミリと名乗った白樺大学のイギリス文学准教授、多分35歳前後だと思われる彼女は、食べ終わったラーメンどんぶり三つ、チャーハン皿三枚、ギョーザ皿四枚の乗ったローテーブルの一点を見つめていたが、ふと思い出したように顔を上げ、

「あ、あの、この話、本当に大事な話で、仮名とか、いろいろ考えたんですけど、アルファベットにすればするほど、説明しにくくて、それで、あの、ホストさんとか、えっと、あの、」

 彼女が言いたいことが解ったヒカルがノートパソコンだけが乗っている机の引き出しを開け、名刺を取り出し、次いで反対の机に行き、机の上から名刺を持ってエミリに差し出した。

「お二人とも、従業員の方でしたか……。えっと、田中 実、さん?」

「あ、今、ありきたりな名前だって思っただろ? 確かに日本一多い名前だそうだ。病院が困るんだよなぁ。爺さん合わせてこの間五人、タナカ ミノルが居て。そのうち一人とは字まで一緒で、看護師の姉ちゃん、仕方ないんで、四月生まれの―とか言い出して、大変なんだぜ、人気のある名前は」とヒカル、改め、田中 実は言った。

 そして、言いながらジャケットを脱ぎ、髪をくしゃくしゃと揉みながら、ノートパソコンのある机の椅子に座って、パソコンに電源を入れた。

 エミリはそのあと、もう一枚の名刺を見た。

「……、静内大学 考古学部歴史民俗学科の先生でしたか……えっと、金田一 ……いや、金田 一華さん?」

「まぁ、言いたくなるよね。ディオゲネスがあって、ホームズが出て、そのあとでそれ見たら、金田一って言いたくなるよね。あたし、本気で改名しようかなぁ」

 一華はそう言ってソファーの中に片足を折りたたむように抱え込んだ。

「それで、何をそんなに悩んでいるの? 言い触らす気は無いし、たとえ、誰かに話したくても、何か得するような話なら―例えば脅しの材料になったりするなら、まだ命が惜しいので話さないで、」

「いえ、そういうことはないです。ただ、……」エミリが唸る。

「ただ、何?」

「面倒くさい。上に、ややこしくて、それ以上に、変わっていて。なんていいますか……もう、ただただめんどくせぇって。……そう思うんです」

 およそエミリという彼女の見た目と言動に反した言葉に一華の片方の眉が上がる。

 エミリはこぎれいな格好をした人だった。確かに安物の既製品だが、選んだ色や素材など、どこかイギリスの古風さを感じさせるものがあったし、背筋が伸びていたり、喋り方が丁寧な点も、やはり、イギリス風な印象を受ける。その彼女の口から「めんどくせぇ」とはずいぶん乱暴な言葉だった。

「ほぉ。そのめんどくせぇとは、いったいどんなこと?」

「えっと……ですね。どういえばいいのか……。とにかく、まずは人間が複雑なんです」

 というエミリの前で、白戸が「待った」をかけ、皿などを片付け始めた。ささっと重ねて給湯器に持っていき、ささっと洗いながら、「まだ話さないでよぉ」と声をかける。一華が机を拭き、実がコーヒーを入れる。三人ともとても手際がよく、あっという間に片付けると、白戸は自席へ、実も電源を入れたノートパソコンの前へ、一華はエミリの前の、一人掛けの椅子に座った。

 机に、紙と鉛筆を置いた。鉛筆? と思ったが、ペンで書くより鉛筆のほうがいい時もある。特に頭の中がごちゃごちゃしていていろいろな変更があるときには。

 エミリは自然と鉛筆を握ると、A4サイズの紙を縦置きし、上の方に少し空白を開けて「油井ゆい 公人きみと」と書いた。

「私は、この油井 公人氏の依頼で、六月から、公人氏のお屋敷に所蔵してあるイギリスの本の目録作りと、鑑定をしています。と言っても、土日のヒマな時や、長期休みの間などで、今までで合算しても二週間と行っていません。本当は、住み込んで三日ほどで仕上げて欲しかったようですが、前半期(四月から十月まで)は、私、いろいろと忙しくて、日曜に行けたらいいほどだったんです。それも、12月までの仕事だったので、12月からは毎週行けると思いますと、そう伝えたのが、去年の七月に入ってすぐでした。

 公人氏からはとにかく早く鑑定をしてほしいと何度も言われましたが、かといって、酷く仕事を急かされているような感じはなかったんです。ただ、年明け、一月の三十一日までは終わるだろうか? とは気にしていました。もちろん、それを聞いた時には、その日がなんであるかなど気にも留めず、まぁ、油井さんと言えば、有名な実業家です。二月は決算月で忙しくなるから、私なんかに構っていられない。とでもいうことだろうと思ったんです。それが、初めです」

 エミリは去年の七月という日付を書き込み強調した。

「それが、、公人氏が亡くなったんです」

 エミリは頷いて油井 公人の右隣に死亡と書き足した。

「私の仕事は、()で続けるよう指示があって、」

「ちょっと待って、遺言書に一も、二もあるの?」

 エミリは苦笑いを浮かべ頷いた。

「そうなんです。

 亡くなったそのあと九月三日にお通夜、四日がお葬式でした。五日の日に公開されたんですが、なぜだか私も参加してほしいと言われて。出席したんです。居心地は、悪かったですけどね。でも大したことは言わなかったんです。

 まず最初に、長年勤めてくれていた秘書兼、運転手兼の永井さんに、退職金として三百万円と、使用していた車を贈与する。家政婦として働いていてくれた筒井さんには、百万を退職金とする。なお、もろもろの手数料は別途支給する。というものでした。そして、付で屋敷を出ること。と追加されていました。

 お二人の勤続年数の違いで、金額が違うのだろうということです。でも、結構な額です。使用人に退職金という名目で遺産配当がある話を聞いたことはありませんから、驚きました。

 次に私の番です。目録及び鑑定をまでに終えること。なお、鑑定したものすべてを、私の大学―つまり白樺大学―の図書館に帰属する。というのです。中には高価な初版本も存在していたので、驚きましたが、油井家の人たちは本に関心がないので、本がどれほどの値段になるのかさえ知れるなら、本がどのような処分に遭おうが構わなかったようです。

 そして次が、おかしな遺言、つまり①の理由です。

 なお、遺産権利の条件としては 。というものなんです」

 エミリの言葉に一華が首を傾けた。

「つまり、一月二十五日、昨日? 昨日から、今日にかけて日付の変わるときに応接室に居た人が遺産相続人? てこと?」

「そうです」

「それで、昨日、誰が居たの?」

 一華の言葉にエミリは苦笑いを浮かべ、

「その前に、家族構成を書きますね」と言って、紙に、公人から五本線を下に伸ばす。左から順に「春子」「喜子」「恵」「洋子」「不明」と書いた。

「まず、公人氏には」そう言って公人の上に線を伸ばし、「武子・百六歳」と書いた。

「お母様がまだ生きています」武子から二本線を伸ばし、「兄・死亡」「弟・死亡」と書く。

「このお兄さんは餅をのどに詰まらせて亡くなったそうです。去年のお正月辺りに、弟さんも、春ぐらいに火事に巻き込まれて、その日に限って、病院からもらってきていた風邪薬だか、鼻炎薬だかが効きすぎて、全く起きずに逃げ遅れたそうです」

「でも、母親は生きてるんだ」

「ええ、まだお元気ですよ。杖なんかつかず、今日も屋敷の中を歩いては、夏生なつきさんを嫌って暴言を吐いていましたけど、」

「ナツキ?」

「……、その前に、公人氏には、正式な奥様が居まして、最初の奥さんの春子さん。今から二五年前に出て行ったようです。その間に、秋史さんという人が居ます。今二五歳で、画家志望でずっと家に居て絵を書いてます。私は絵には疎いので解りませんが、あまりいい絵だとは思えません。

 次に、ややこしくなりますからね」とエミリは前置きをして、ため息をつき、

「この喜子さんは、もともと愛人です。

 春子さんとの結婚は、今から四十年以上も前だったそうです。当時、四十過ぎの公人氏のもとに、二十歳そこそこの春子さんが嫁いできたけれど、子供がなかなかできなくて、公人氏は愛人として喜子さんと付き合い、子供をもうけます。

 それが茂道しげみちさん、三十八歳。油井グループの賃貸住宅部門と言いますか、そう言った関係の仕事をしてます。公人氏に顔立ちは似ていますが、なんだかねちっこいと言いますか、簡単に言えば、嫌なスケベおやじです。よく漫画とかに出てくる悪役の痴漢顔とでも言いましょうか」エミリは自分で言って、なかなかうまい説明だと思ったらしく、少し噴出した。

「その妹の、結婚されてた梅原 美寿子みずこさん。三十六歳。旦那さんは油井グループの中の何かの上役だと思います。悠々自適で、よく家に来てますから専業主婦、というのでしょうか? 有閑マダムです。すごく意地の悪い物言いをします。

 あと、恵さんも洋子さんも愛人で、お子さんが、いたるさん三十二歳。お会いしたことはありませんが、話から、多分、一番まともだと思います。

 洋子さんのお子さんの清明せいめいさん二十五歳です。学生のようですけど、どこの大学に通っているのか、何学部なのか不明です。私が行く日が今まで日曜だったり、休みの日でしたから気にしませんでしたが、引きこもりに近い気もします。あまり人と関わることが好きでないみたいで、私が家にお邪魔するとすぐに部屋に入っていきますから、会話らしい会話は、こんにちは。いらっしゃい。ぐらいのものです。

 最後のこの不明も愛人のようですが、お名前は解りません。その人との間に、六花りっかさん二十二歳が居ます。静内大学の四回生で、院に進むことが決まっているようです。生物遺伝なんかを学んでいるとか言ってました。とても愛らしくて、他のどの方にも似ていませんから、よほどお母さんがきれいなのだろうと思います。明るくて、運動が得意で、健康的な人です」エミリは言葉を切って、続けようかどうしようか黙った。

「……、全て一緒に住んでたって?」

「え? ええ、そうです。ただ、この至さんは、この異常な環境が嫌で十八歳で家を出て今は遠方でとび職をしているそうです。一応、弁護士が遺言状の権利を伝えたようですが、汚い金は一円もいらないと放棄したそうですけど」

 エミリはそう言って三人を見た。顔を上げれば一華を手前に後方の二人も視界に入る。

「続けて、」と白戸が言った。

「あのぉ、結末を言いましょうか? 長い話ですし」

「えぇ、それはつまらないよぉ。できるなら、エミリちゃんがたどった通りに進んでくれると話としては面白い」

「面白いって……、ですが、本当に話が長くて、」

「あ、帰りなら、実に送らせるし、しんどかったら、上に空いている部屋ならいくらでもあるから」

 という白戸に、これは話して終わらないと帰してもらえないと思ったのか、

「では」と話を続ける。「私が、こう、なんだか嫌だなぁと気づいたのは、あ、家の中の雰囲気です。ギスギスしているというか、わざとらしいというか、それまで気づかなかったのは、先ほども言いましたけど、忙しくて、週一回、または、二週間に一度のペースだったからで、十二月に入って、いえ、十一月の頭だったかも。学生たちが、ハロウィンが終わって、クリスマスまですることがないと嘆いていたので、多分十一月ですね。うちの大学は、他の大学と違って、九月に学園祭をするので、十一月は、一年で一番盛り上がらない月なんです。

 十一月の少し暑い日、ブラウス一枚で作業していると、視線を感じて、そしたら茂道さんが立っていて、嫌らしい目で見ますから、薄手のカーディガンを羽織ったんです。薄手でも汗ばむ日だったので酷く不快だったのを覚えてます。

 立夏さんの声がしたんです。普段から明るくて朗らかな笑い声とか、家政婦の筒井さんとおしゃべりする声が聞こえていたけれど、その時の声は怒り心頭といった風でした。相手は茂道さんでした。

 屋敷は、南の庭を囲むようにコの字をしていて、縦長の部分が南を向いています。よくある屋敷と同様に、建物の中央が玄関で、二階は各人の部屋があります。

 私が作業をしている公人氏の書斎は、一階の東側に伸びた部分にあります。隣は厨房で、筒井さんが料理を作っているので、いつもいい匂いがします。書斎には不向きなのでは? と聞くと、夕飯の支度を済ませ、後片付けを終えると、少なくても八時以降、誰も近づかない。確かに、もう用はありませんから、誰も近づかず静かです。

 書斎は台所と壁一枚というわけではなくて、その間に階段があって、その階段は二階の公人氏の寝室に一番近くて、その階段を利用するのも、公人氏と、部屋にお茶を差し入れる筒井さんしか使用しません。あぁ、執事のような永井さんも使用するでしょうか? でも、別にそれは何の関係もない話ですけどね―気になりますよね、書斎が台所に近いと音とかって、でも階段があるおかげで、音はさほど気にならないけれど、匂いには逆らえません―

 その向かい、西の出ている部分は応接室になっています。ビリヤードの台が置いてあって、している人は茂道さんだけのようですけど、それも上手かどうか……。

 ですから、あの日、六花さんが大声を出した西側にある応接室から、茂道さんは私を嘗め回すように見ていて、そこへ六花さんが怒鳴り込んできた。という感じでしょうか。それとも、普段通り入ってきて、何かの話の流れで六花さんが怒ったのかよく解りませんが、とにかく六花さんは珍しく大激怒で、私は手を止めて応接室のほうを見たんです。

 六花さんが怒鳴っているような甲高い声は聞こえますが、茂道さんの声は聞こえません。内容もよく解らないけれど、拾えた言葉から考えるに、

「夏生さんを入社させるか、させないか」

 で揉めているようでした。

 夏生さんというのは、六花さんの恋人で、二十五歳で、油井グループの統括会社に入社することが決まっていたんですが、公人氏が死亡したので、どうなるか……

 一度、私が、市の文学館の展示交換などで街に居た時、六花さんたちがやって来て紹介されたんですけど、すごくさわやかな印象を受けました。

 ええ、本当に、さわやかでした」

 エミリはそう言って眉をひそめ、首を傾げ、

「さわやかだけじゃなかった?」

 一華の言葉にエミリは深く頷き、頭が上がってこない。そして顔を上げて、

「例えばとてもきれいな水色に、黒点が一個あるような感じです。混ざってしまえばわからないのに、なぜがずっとその黒点はあって、でも、気にしなければ気にならないけれど、でも、」

「気になったら、気にするねぇ。そりゃ」

 一華の言葉に「ええ、そうなんですよ」とエミリが同調する。

「別に、何があったわけではないんです。ただ……、そう、その時作業していたものが、夏だったこともあって戦争体験記などで、戦場の父親からの手紙。という展覧会を、―あぁ、見に行ってくれたんですね。よかったですか? うれしいです。もう、みなさんご高齢で、貴重なお手紙を寄贈してくださって、ええ、本当に戦争体験記としては貴重な資料につながります。

 それを倉庫から搬入していたので、大事な預かりものを一時外に(置いた台の上に)置いていたんです。

 六花さんはその前の時にもそれを見て、涙無くしては見られなかったとか、戦争は嫌だとか、そう言ったごく普通の感想を言ったんです。それに対して夏生さんは、本当にそうだと、六花さんは優しいと言ったんですけど、その時、どこか白々しく感じて、六花さんが、父親の愛を感じる。と言った時、少し馬鹿にしたように笑った気がしたんです。ただ、夏風邪をひいて、鼻がむずがゆくてすみません。と鼻をかんだので、偶然かもしれないのですけど」

「それがわざとらしく引っかかった?」

「今にして思えばですけどね。そう、今にして思えば、だから、彼は笑ったんだとか、そういう感じです。その時は、若いとすぐ冷房がよく効いた部屋で寝るからね。と言って笑った気がします。少し、ん? と思った程度で、それ以上でも、それ以下の感想はなかったです」

「夏生君は、油井グループに入社するという話ですけど、二十五歳、その時は二十四歳? 仕事はしていなかったんですか?」

「してました。外資系の営業だそうで、かなりの成績もあって、語学堪能だそうです。そういう点でも、公人氏に紹介した時、気に入られて、ぜひわが社にという話になったんですけど、その会社での大きなプロジェクトを抱えている最中だったとかで、引き抜くにしても今は辞めてくれと、その会社社長が公人氏に直談判したんです。夏生さん的にはすぐにでも行けます。と言っていたようですけど、責任ある男なら。と諭され、まぁ、その時の言い訳が、会社に入ったらもっと六花さんと一緒に居られると短絡的に思ってしまった。と、まぁ、そういうことを言ったので、場が和んだと言いますか、お茶を濁したと言いますか。

 それで、そのプロジェクトがひと段落するめどが立って、正式に、四月一日付でという取り決めにしたんです。中途採用というのは、将来の娘婿に対しての印象が悪い。というので。というのが日付の理由です。それに、まだ後片付けなどがあって、決算の関係上、やはり二月、三月までは居てほしいようだったので、去年の八月でしたが、そういう段取りになったんです。

 それが、九月に公人氏が亡くなり、変な遺言の開示―一月二十五日に応接室に居るものに遺言を受ける権利がある―などで、みんな辟易していたんです。

 そもそも、なんで一月二十五日なのか。という議論をしていたんです。もし、一月二十七日に死んだら、丸々一年遺言開示がないということか? と弁護士に詰め寄ったり。実際、どうしても、そうでなければいけないと、これは裁判所決定の正式な遺言であり、もし、公人氏が殺害、あるいは何らかの事件にあった場合以外は遂行されるべきものだそうで、そんなにもったいぶった遺言の中身は何なのだろうかと、とにかく弁護士に聞いたりしていたようですけど、解らないし、イライラしていたんでしょう。

 六花さんがあの日あんなに怒ったのも、深秋みしゅうなのに、不釣り合いなほど暑かったせいかもしれませんが、とにかく、六花さんは、油井グループに夏生さんを就職させると言い張り、茂道さんはせせら笑い、六花さんが怒って出て行った後、私が見ていることに気づいた茂道さんは、私に投げキッスをよこしたんです」

 エミリはひどく不快に顔をゆがめ、背筋に這った悪寒を振り払うように身震いをした。

「ただ、茂道さんの思惑以上に、夏生さんの仕事ぶりなどはその業界では有名らしく、奥様、つまり、公人氏のお母様のお眼鏡に適っているようで、茂道さんが六花さんや夏生さんをいじめても、役立たずの愛人上がりの嫁の息子より、赤の他人のほうが役に立つ。

 などと言いますから、茂道さんも、美寿子さんも面白くないわけです」

「二人だけ? 他の、秋史さんとか、清明さんは?」

「秋史さんは絵だけを描きたいんです。常にキャンパスに向かって何かを書いてます。誰が誰のお気に入りだとか、遺産がどうとか、いえ、遺産の行方は気にしていましたね。僕は一生絵だけを書いていけるだけあればいいと言ってました。それって、とてもすごい額ですよね。

 清明さんはよく解りません。引きこもりですし、会話もしませんから。でも、食事などの際に―何度か夕飯を一緒にさせてもらったりしたことがあるんですけどー清明さんが六花さんを見る目が、腹違いの妹を見るような目ではないような気がするんです。もう、女性を見るような。ですから、夏生さんが来る日は、特に機嫌が悪く部屋に引っ込むんです。

 ですから、奥様が夏生さんを気に入っていることにあからさまに「不満があるのは、茂道さんと美寿子さんだけなんです」

「……筒井さんでしたっけ?」一華が急に話をそらしたので、エミリが首を傾げる。「家政婦さん。その筒井さんは、夏生君をどう思てます?」

「筒井さんですか? ……さぁ、聞いたことはないですけど……そうですね、対応としては可もなく、不可もなくといったところでしょうかね」

「茂道さんはご結婚は? されてる? 奥さん連れてきます? その方に対して筒井さんの反応は?」

「茂道さんの奥さんは、茂道さんの奥さんらしく、なんと言いますが、がめついと言いますか? そういう点では、茂道さんと美寿子さんは似たもの兄妹なのだと思いますね。とても強欲と言いますか、常にお金だとか、そう言ったものに目が効くと言いますか。ですから、第一印象で、好きか、嫌いか決まる相手です。

 はっきり言えば、私は嫌いなタイプですね。一度しかお会いしてませんが、しかも、相手は車の中でしたし、私は書斎の中で、ちゃんと会ったわけではないのですけど、帰ろうとしている様子を見ただけですけど、とても不快な人です。

 筒井さんも「お塩、まいていいかしら」などと冗談を言うほど、ああいう人は嫌いなようです」

「筒井さんは、茂道さんや、美寿子さんをあまり気に入ってはいないんですか?」

「そのようですね。もともとは、秋史さんが誕生した際に雇われた乳母だったようです。出て行った春子さんの知り合いで、自分は出て行くけれど、秋史を頼むと言われてからずっと居るようなことを言ってました。ですから、後妻として喜子さんが来るまでは、秋史さんの母親は筒井さんですし、まぁ今でも、筒井さんの言うことは聞きますけど」

「その筒井さんが、夏生君に対して、感想がないんですか?」

「いけませんか?」

 一華は微笑んで「続きをどうぞ」と言った。

「ええ。十一月はそれきり、私も冬休み前のやることなどがありますから、なかなか行けず、十二月に入ってました。

 筒井さんがクリスマスツリーの飾りつけをしていたので、驚いたんです。子供が居るわけじゃない、主である公人氏がいるわけじゃないのに、飾るんですかって聞いたら、

「公人さまは、クリスマスだけはする人だったんです」っていうんです。正月は、みなが正月だと煩いから休むけれど、お盆も、長期連休も、本当はしたくないそうだったんです。

 まぁ、ここでなんですが、公人氏は、私に依頼するだけあって、イギリス文学、特にマザーグースに関する本など多数所有していましたし、古き良きイギリスというものに憧れを抱いているようなところを感じました。

 彼は戦後焼け出された中、一代で財を築きました。油井家はもともと武士の家系だったようで、明治以降も政治家に転身したりして大きな土地、今住んでいる土地ですけど、を持っていたようです。でも、戦争で家は全壊し、そのときやっとのことで持ち出した財産を元手にいち早く家を建て直したようです。しかも、大好きなイギリス式の屋敷を。

 ですから、油井家の屋敷は、古風なイギリスの、ビクトリア風の洋館なんです。それが、地域とあまりにもそぐわないので一層目立つんですけど」

「その家を建てたことに大奥様である武子さんは反対はしなかったんですか?」

「大奥様。そうですね。は反対どころか、……公人氏いわく、「母は僕を捨てて疎開していた」というのです。

 由緒正しい油井家の跡取りである―公人氏のお兄さんですけど―がまだ出征に駆り出されていないので、彼と一緒にご実家に疎開され、大きな屋敷には、使用人と、公人氏と弟さんが残っていたそうです。

 空襲で家が焼かれた時には、使用人たちは兄弟を残しでて逃げてしまい、公人氏は弟の手を引いて何とか生き延びたのだそうです。

 その後終戦を迎えた時、家は焼かれてしまった姿を見た大奥様は、なんで家を守らなかったと、公人氏を殴ったそうです。

 そんなわけで、公人氏は、命からがら何とか持ち出した財産を母親には言わず、そのまま独り立ちをし、荒れ地になっていた土地を買い戻し、家を建てたそうです。

 母親はそんな噂を聞き、さすがだと褒め、家に居座ったそうです。公人氏は母親を黙って受け入れたようですけど、私には信じられません」

 一華も同意して頷く。

「ところで、今は、この愛人の人たちは?」

「春子さんは出て行って行方不明です。喜子さんは十年ほど前に認知症となって今は施設に。恵さん、洋子さんたちは愛人関係をさっさと切り捨て、子供を公人氏に渡すと、すっかり別の方と結婚して幸せな暮らしをしているそうです。しっかりと手切れ金をもらっているようなので、今回の件は無関係です」

 エミリの、「今回の件は無関係です」という言い方が、ミステリー好きのいいかたらしくて一華が少し口の端を緩めた。

 エミリは話しながら気づいていた。自分が話す言葉を、実はどういう感じで打っているか定かではないが、たしかに速記している。そのスピードはかなり速くて、意地悪く緩急を無駄につけてみたが、どの速さでもついてくるので、もう気にせず話すようにした。

 質問は一華だけがするようで、彼女の短い質問は、説明するための思考を正すきっかけになってよかった。

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