第3話 年末までに
「それから、十二月は終わり? 何事もなく、年を越した?」
一華の言葉に、エミリは少し考える。
ようやくだが、エミリの容姿を観察するほどの時間が出来た。丸い眼鏡をかけ、肩を過ぎた髪はストレートで、普段はまとめているような癖があったがそれでもサラっとしていた。美容室の店員の提案で染めたようなほんの少し茶色が、彼女を少しだけ堅物から救っているような、まじめを絵に書いたような顔立ちをしていた。特徴と言えるほどの特徴は無い。多分、日本人の平均的なもだったり、鼻だったりの複合だと言える顔だ。
体の線は細く、イギリス文学を学んでいるというだけあってインドアであろう肌の白さが、健康だからこそ病的ではないが、それでも、白々としてたし、袖から伸びた指など、細すぎて骨ばっている。もう少し、食べたほうがいいかもしれない。いや、先ほどの、ラーメンとチャーハンとギョーザの量を考えると、痩せの大食いの部類かもしれない。
と一華が観察していると、エミリは眼鏡を、折り曲げた右人差し指で押し上げ顔を上げて、
「そう、ですね。年末で、お正月で……、いいえ、違います。筒井さんがツリーの飾りつけをしていたのは、十二月の初めでした。街はすっかりクリスマスムードで、私一人もので、今年も一人だし、なんだか一人でいることに罪悪感を感じる季節だと思っていたら、筒井さんが飾り付けをしていたので、少々うんざりしたんです。
でも、その年は公人氏は亡くなっていないわけですから、飾る必要は無いような気がする。というと、遺言で、年明け、一月三十一日付で出て行くのだし、ここを辞めたら当分こんな大きなツリーの飾りつけなどしないだろうから。と、最後に飾るのだと言っていました。
確かに、私も年明け、一月三十日までに目録を作ればもうこの家とも、油井家の人とも関係がありませんから、まぁ、記念にと筒井さんを手伝っていると、茂道さんが電話をしながらやってきたんです。
私はつくづくこの人が嫌いなんだと思いました。なんていうんでしょうか、本当に、どら声っていう声で電話の相手を口汚く罵っているんです。バカとか、阿呆などと言う言葉なんてかわいらしいほどの言葉です。
話の内容を推測すると、賃貸住宅の事業をしているんですけどね、茂道さん。アパートに集客が見込めないとか、まぁ、新年度新規に一人暮らしを始める人などが居るので、年度末である三月とかなら、焦るの解るんですが、今の学生は、大学合格したらすぐに住む場所を探しますよね? それが十二月らしいんですけど、学生の契約者が一件もないそうなんです。理由が解らない上に、一人暮らしを始める学生向けの、かなり優遇された少し高めの賃貸住宅に手抜き工事が見つかったとか、そう言ったことで怒鳴ったり、罵ったり、廊下を隔てたところに居てもその言葉の端々が聞こえて、筒井さんと嫌そうな顔をしながら飾りつけをしていました。
その一週間後の土曜日です。え? その日がいつだったか? えっと、カレンダーがあれば、第一日曜だったはずです。ですから、八日ですか?
なので、七日の土曜日、その週は土日行ける予定だったので、できれば残っているすべてを片付ける気で気合を入れて朝早く、九時に屋敷に行きました。
美寿子さんがやってきたのは十時ごろでしたね、筒井さんがお茶はいかがですか? と、大学に用があって帰ってきた六花さんがお茶をしませんかと誘っていると声をかけてくれて、時計を見たので。
美寿子さんがやってきたときにちょうど食堂へ行こうと玄関を横切ったところで鉢合わせて、私の顔を見るなり、
「先生、お金ちょっと用立ててもらえません?」て言ったんです。
私ぎょっとしました。だって、人に借金の申し出をされるのなんか初めてですし、仮に何度かあったとしても、借金をしようとする相手の態度ではないと思いませんか?
ですから、聞き返すと、「大学教授ってんだから、金持ってるでしょ?」って、お金じゃなくて、金って言ったんです。その時点で私すっかり美寿子さんのその豪華な服飾や、高級志向があまりにも薄っぺらいものに感じられて、嫌悪感しか抱け無くなってしまって。まぁ、私の倫理観ですけど」エミリは首をすくめる。
「解ります。私も、お金は、お金と言って欲しいですから」
と一華が言うと、エミリは力を得たように微笑んだ。
「一華さんも准教授なら、大学にもよりますが、教授と違ってそれほど給料ってないじゃないですか? ですから、毎月いっぱいいっぱいです。って答えたら、
「そんななりしてしっかりため込んで、老後に豪華クルーズなんか行く気でしょ? もう、婚活すら諦めてるくせに」って言われて、いや、たしかに行き遅れでしょう。二十九歳ですよ。もう遅いですよ」
エミリの年齢に、所見で想像していた三十五前後を心の中で謝る。
「ですけど、老後に豪華クルーズするために貯金なんかしてませんよ。どうせなら、イギリス移住と言って欲しかったです」
そこかっ。と思ったが一華はニヤッと微笑み、「それで? お金は?」と聞いた。
「貸せませんよ。というか貸すほど本当にないんです。私の悪癖というか、本を買ってしまうんです。家じゅう本だらけで。そのおかげで一階以上の部屋が借りれないんです。床が抜ける恐れがあるので。
私が言い渋っていると、筒井さんがやって来て、その筒井さんに「何よ、その目はっ。あんた、使用人の分際で」って怒鳴るので「雇い主のくせに、お金に困っているんですか」って、すごく冷静に言ったら、美寿子さん、部屋のある二階へと怒って行ってしまったんです。家が壊れるんじゃないかと思うようなドアの閉め方をして。
だから、私、その土日頑張る気だったんですけど、気がめいって、その日はお茶をして帰り、翌週の、十四日の土曜日に行くことにしたんです。ただし、前もって筒井さんに、美寿子さんが居るかどうか、茂道さんが居るかどうか電話で聞いて。そしたら二人とも居ないというので、その週は鑑定に勤しんで、数冊、特に初版と記されているけれど、随分と怪しい本が数冊見つかったので―よくあるんです。初版ではないのに、昔のインクなので、水をにじませたりして、初版らしく見せたり、わざと新しいものを汚したりするものが。なので、そう言ったものをいったん大学に持ち帰り、そういう機械あるので、機械の説明や、作業なんかはこの際関係ないので省きますが、結構日数がかかるので翌週の土日は行かずに、年末最後は十二月二十九日でした。
鑑定結果がまだ出ていないので、他の本の鑑定と目録を済まそうと思って。
本当に、本腰を入れてすれば、一週間とかからないのに、なぜだか作業が進まない仕事ってありますよね? だからと言って、本気で取り組んでいないわけじゃなく、本気を出しているのに、はかどらない。とにかく苦痛だけを伴うような仕事です。
二十九日は特にそう感じました。家じゅうがなんだかひどく憂鬱だったんです。
そう、ツリーは片づけられていました。お正月飾りは、亡くなった年明けですから飾ってなかったですね。そうそう、玄関のチェストに何枚か、喪中はがきのあて先不明で戻ってきているものがありましたね。それを見て、やっぱり、公人氏は亡くなったのだと実感してました。
年が明けて、一応三が日は避け、仕事始めでもある四日、五日は大学の方でもいろいろあるので、翌、六日に仕事始めと、あいさつに行きました。日曜日でしたね。
大奥様が居まして、元気そうに笑ってました。夏生さんと六花さんが相手をしてましたから、特に機嫌がよかったんでしょう。あれが、茂道さんや、美寿子さんだとただただ険悪な言葉の応酬ですから、どんなに澄み切った気持ちのいい日であっても、雷名轟く天気と同じ気分になるんですけど、その日はとても清々しい気持ちになりました。
ですから、私の作業もはかどりましたし、筒井さんや永井さんを含めた五人でのお茶会は本当に平和そのものでした。
私の目録作りは七日には終わり、あとは怪しい本の鑑定と、大奥様に許可を得て、寄贈してくれるという本全ての箱詰めを済ませることが出来ました。
本は、八日の火曜日には大学にすべて運ばれ、その週の土曜日、十二日に行くと書斎はすっかり片付いていて、なんだか寂しいものでした。
十二日に行ったのは、六花さんが数冊、本を見つけたので来て欲しいというので出向いたんです。
本は書斎の引き出しの中にあって、何度も何度も読んだあとがありました。マザーグースです。本当に、子供用のもので、その当時の絵が描いているようですが、何度も読んで、見て、そしてその絵をなぞったりしたんでしょう、損傷が激しいものでした。価値はないけれど、多分公人氏が大事にしていたのだから、形見としてもらっておけば? と話していると、夏生さんが、普段はにこやかなのに、なぜだかその日に限って、いえ、今思えばそうではない気がするけれど、とにかくその日、六花さんが、
「そうね、お父さんが大事にしていたのだから」と言ったのを聞いた瞬間、夏生さんはその本をつかみ取り、本当にむしり取るような形で取り上げ、ごみ箱に捨てて、
「いや、あんな汚いものを形見として持っていなくてもいいんじゃないかと思ってね」と言ったんです。
六花さんは見たかどうか判りませんが、夏生さんのあの形相は憎悪というか、そういう何と言いますか、そんな怖い印象を受けました」
「だから、水色の中の黒点ですか?」
「あぁ、そうです。本当に小さい黒点でしたけど、その瞬間バっと、全て黒くなった気がしたんですけど、「もし、僕ならもっといいものを君に残しているはずだよ。お古にしたって、あれはひどすぎる」と言ったので、たしかにそれもそうだと。何せ文字が読めないところもあったり、破れもひどかったですからね、そうかもしれないと六花さんと二人で同調しました。
昼食をごちそうになった後、夏生さんは職場からの呼び出しで出て行ってしまってから、帰ろうとした私を六花さんが引き留めたんです。
書斎のごみ箱から夏生さんに捨てられた本を取り出しながら、「最近、怖いんです」って言ったんです。
仕事の引継ぎや、我々には解らないこともあるから、ストレスのせいで気が立っているのだろうから仕方ないと言ったら、六花さんが思いもよらないことを言いだして、
「先生、付き合ってもうすぐ二年経つのに、キスすらしないってどう思いますか?」っていうんです。
私、そんな経験豊富ではないですけど、20代前半の、今時の付き合いなら何となくですけど解ります。というか、キスすらしないって? って思いませんか? そりゃ、その、最後までというのは、女性側からちょっと待ってくれと言ってまだというなら解ります。でも、キスを二年付き合ってまだというのは、可笑しくないですか? だからおかしいと思う。というと、ほっぺやおでこにはキスをしてくれるそうです。でも、唇にはしてくれないし、手を握っていても、もういいだろうって離すっていうんです。どう思いますか?」
「どうって、」一華が眉をひそめている。
「そりゃぁ、いろいろ理由は考えられる。夏生を良く考えた場合」実が口をはさんできた。
今まで黙っていたので一瞬エミリの心臓がドキッとなった。忘れていたわけではないが、そう言えば居た。と再認識した感じだ。
「よく考えた場合?」それをごまかすように聞き返す
「良く言えば、悪く言えば、の良く。いい方に解釈すれば、夏生は非常に奥手で、恥ずかしがりやで、六花を大事に思っている」
実はそう言って椅子の背もたれをきしませて言った。
「悪く考えれば、不能か、六花ちゃんが浮気相手か、いや、本命かぁ、金持ちだから。あとは性的対象では無いか」白戸が続ける。
「もしくは、別の理由で先に進みたくないか」実が言った。
エミリは頷き「あ……すごいですね」エミリが小さくこぼした。「でも、あとで解ることですけどね。今は、まだ、その当時解らなかった私と一緒に、解らないままにしておきますね。
とにかく、私は六花さんが言う、本当に好かれているのだろうかとか、別に、事を急いで既成事実を作ろうなどと思っていないけど、肌を合わせたいと思うことがいけないことなのだろうかとか、そういう相談をされたんです。クリスマスや正月など旅行へ行く予定だったらしいのですが、仕事の都合でキャンセル―車で行ける場所に別荘があってそこへ行く気だったようですけど、それがだめになったのもワザとじゃないかって。
私自身そういう体験をしたことないですし、経験豊富ではないけれど、予定が急に変わることはよくあるじゃないですか、社会人ですし、大人ですから。ですからそういうことは大人ならよくあると慰めたんです。それが、十二日です。
本の鑑定結果が一五日だったか、十六日だったかに出たんですが、私用で行けなくて、二十日の日曜日に鑑定結果を報告しに行きたいと電話を入れたら、二十五日、運命の二十五日に来て欲しいと、六花さんに懇願されたんです。
二十六日の土曜は休みですから、別に仕事終わってからでよければというと、どうか、日付が変わるときに一緒に居て欲しいというのです。その頼み方がおかしかったので、どうかしたのかと聞いたら、電話では話せないというので、大学に来るように言って、私の個室で話を聞けば、なんでも、私が行かなかった間に、いろんなことが起こったようで。
まず、茂道さんが、六花さんたち、六花さんと夏生さんですけど、二人に旅行券をプレゼントしようとして、とにかく二十五日に家に居ないようにしたり、それは夏生さんが断固断るべきだと言って失敗したようですけど、あと、美寿子さんが、夏生さんを誘惑してきたりしたそうですが、失敗したことを皮切りに、事あるごとにお二人が何かしらの出来事を作ろうとして、明らかに工作しようとしてきたそうですけど、そのたびに、夏生さんが徹底抗戦で反論したので、最終的には、六花さんを罵る言葉を、今までもあったんですけど、さらにひどくなっていったようです。
そしたら、茂道さんの会社の、手抜き工事をしていたアパートの壁が崩落したとかで、大騒ぎなって、警察やら、何やら大変らしくって。
それが二十四日までに起こったことです」
「いつ、どんな風になったかまで解りますか?」
「えっと、確か……、私が最後に行ったのが十二日でした。土曜日。ですから、十四日の月曜日ですか、茂道さんの新規入所者が増えない理由が解ったらしいのです。
なんでもインターネットの口コミで、茂道さんのところのアパートは手抜きだし、壁には監視カメラがあって覗かれ放題、厳重に施錠していても、夜中に知らない人が入れる隠し扉があって、レイプされるとか。という評判が載っていたそうで、それを見て人が来なくなったそうで、それは嘘だし、裁判も辞さないということを公表したけれど、そのあとすぐ、手抜き工事が発覚し、建設中の壁が崩落したり。
住んでいた女子大生の一人が、監視カメラがあったかもしれないという恐怖で精神を病んだと、裁判を起こすということを裁判所から告げられたそうです。
それが、二十日までの間に起こったようで、茂道さんは裁判所、警察署などを駆けずり回って、無罪を主張しているようですけど、でも、壁が崩落したのは事実ですから、言い逃れはできません。二十四日から警察署で任意でしょうけど事情聴取が入っているようです。いわゆる、任意の拘束期間何日いっぱいまで調べる気だと通告受けているので、二十五日の条件からすでに外されるわけです。
茂道さん、日にちをずらしてほしいと懇願したそうですが、日にちをずらそうとするということは証拠を隠す気だとか、そういうふうに取られ」
「まぁ、そりゃそうだな」実が鼻で笑う。
「逮捕という形も辞さないと言われて、しぶしぶ応じたようです。
それでも、妹の美寿子さんが条件を満たせば、兄妹ですから、何とかなると思っていたようです。ところが、
十九日でしょうね」
エミリが呆れたような、バカにしたような、あざけるような笑い声をあげ、すっかり冷めきったコーヒーを一気に飲み干し、「のどが渇いていたんですね、すみません。お茶をもらえますか?」と言った。
「美寿子さん、不倫していたんです。専業主婦なので土日は家に居なきゃいけません。でも、平日は好き放題だったようで、その十九日、私が電話する前日も愛人とホテルに居たようです。
そこへ、相手の奥さんが乗り込んできて、すごかったようですよ」
他人事のように、今度ははっきりと、バカにした顔までして、
「相手の奥さん、包丁を持ち出して、美寿子さん、頬と、腕に切り傷を負って」こらえきれずに笑い声を含みながら
「それが、奥さんの包丁から逃げようと、相手が逃げるとき、美寿子さんを盾にしたらしくって、こう、腕を掴んで、奥さんの方に放り投げたっていうんですか? それで奥さんに倒れ掛かり、その時、どうしてだかテーブルか何かに足を強打して骨折。顔面をかばって腕をついて左腕まで骨折したそうです」
エミリは、人の不幸を笑ってはいけませんけど。と言いながら笑い、お茶を受け取ると、それで口を湿らせ、ほぉと息を整え、
「でも、相手の奥さんも、相手も無傷で、美寿子さんだけが大怪我。それに加えて不倫してのことなので、美寿子さんは旦那さんから離婚させられるようで、かなりの慰謝料の請求もされるとか大泣きしているようです。
今も入院中で。つまり、二十五日の条件時にはいなかったわけです。
そういうことがあったので、六花さんも不安がったのだろうと。私は25日に行くと約束しました。
そして、運命の25日に応接室に居たのが、私と、弁護士さん、筒井さんと永井さん。それと六花さんと夏生さんだけになったんです」
「ちょっと待って、他の二人は? えっと、正式な跡取りの秋史さんと、清明さんと、それと大奥様は?」
エミリは頷き「そうですよね、忘れてました。
大奥様は頑張って起きていたのですけど、急に、十一時に眠ってしまって、そのままそこで寝かすわけにはいかないので、部屋へ連れていかれました。風邪をひかれても困りますからね。こちらは親切だったんですけど、翌朝大激怒で、大声というか、金切り声というか、百六歳ですよ? あんな声が出るんだって驚いたほどの声で、しかも、足を踏み鳴らして、弁護士さんが泊った部屋の戸をものすごい力で叩いて、それはもう、なんていうんでしょう、あれです。山姥、そう、三枚のお札の絵本に載っていた、あの恐ろしい山姥の挿絵のような姿でした。
―余談ですけど、私がイギリス文学に目覚めたのは、幼稚園だった私の手元に二冊の本があって、一冊はマザーグースです。ピーターラビットを書いたポターがさし絵を担当したやつで、とてもかわいらしい絵のやつです。もう一冊が、三枚のお札でした。私はそれ以来、日本物がどうしても怖くて、手にするだけで鳥肌が立って、朝の、そうですよ、今朝のあの姿を思い出しただけで、ほら、」
そう言って泡立った腕をまくって見せた。はっきりと鳥肌だった肌に、顔色が一瞬で青ざめたのを見て実が、面白いねぇと言いながら感心した。
「大奥様はもちろん、遺産の条件を満たすために居たわけですから、この年寄りを身包み剥いで追い出す気か。と弁護士に詰め寄っていましたが、全ての遺言は三十日に公開するので、としか言わず、大奥様を永井さんが抑えている間に弁護士さんは帰っていきました。
その日一日中怒声が聞こえていました。あんな元気な百六歳ですから、多分、まだまだ生きる気がします。
あと、……秋史さんと、清明さんですけどね、入院してるんです」
エミリが彼らにだけは同情を示し、少し眉をひそめた。
「私は、六花さんから二十五日に来てくれと言われたので、解ったと言って二十日に電話を切り、二十五日、終業直ぐで向かいました。
夕飯の時間に間に合い、筒井さんが用意をしているので、それを手伝って気付いたんです。
茂道さんと美寿子さんはご用がおありなので居ないのは解っていましたが、秋史さんと清明さんの分がないので、筒井さんに尋ねると、
二十三日に、公人氏の墓前に供えて欲しいと、遠方の知り合いだという方から、お線香と、お菓子が送られてきたそうです。有名なお菓子です。工業大量生産品です。ありきたりな、饅頭だったと思います。それを、その場にいた人、六花さん、清明さん、秋史さん、筒井さん、永井さんが食べたそうです。
その夜になって、清明さんが具合が悪いと言い出し、一時は呼吸が止まったりして救急搬送したようです。すぐに原因が解らなかったけれど、とりあえず胃の洗浄などをしたり、いろんな検査から、アナフィラキシーショックを起こしたようだというのです。食べたものにそんなもの等入っていなかったんですが、実は、お供えとして送ってきたお菓子がそば蜂蜜を練りこんでいたんです。
ただ、清明さん自体、そばアレルギーだと知らなかったようで、そばの色が嫌いなので食べなかったようですけど、実はそばアレルギーであって、そば蜂蜜のせいでアナフィラキシーショックを起こしていたと解ったんです。
そりゃ、先方はそんなことなど知らずに送ってきているのですから、責められないのですけど、大奥様が、「もしかするとあたしを殺そうとしたのかも」と言い出し、大騒ぎをして先方に電話をしたら、現在使われておりませんというし、調べてみたら、インターネットって便利ですよね、地図上で家があるかどうかわかるじゃないですか、家なんかないんです。役所に調べてもらったら、そんな番地は存在しないと。近しい場所は田んぼなので、家なんかないと言われたようなんです。
ぞっとしますよね。そうしていたら、茂道さんが倒れこむように入ってきて、警察に捕まる。というようなことを言って、すでに二十四日です。私が行く前日です。
茂道さんはその日の十一時に連れていかれました。まるで台風のようでした。茂道さんが寝泊まりしていた部屋は、ベッドぐらいですし、他に何かを隠そうものなら、大奥様の怒りを買うので、あの家に隠すようなことはしないだろうと思うのですが、警察はその日家探しをしたそうです。
その日の夜。清明さん、茂道さん、美寿子さんが居ない食卓で、同じものを食べていたのに、今度は、秋史さんが腹痛を訴えたんです。
なんでもニシンの燻製がよくなかったようですけど、筒井さんいわく、同じ入れ物に入っていた、同じものを皿に移したので、秋史さんだけがひどく食中りに遭うのはおかしいというのです。
ですけど、秋史さんのニシンは確かに腐っていたようで、見た目で判断できなかっただけだろうということになったんです。
秋史さんの食中りはひどくて、救急車で運ばれ、胃の洗浄までしたんです。清明さんのことがありますからね。そして様子を見るということで、二日間の入院検査。
美寿子さんがそのあと大けがを負ったと連絡が来たようで、結局、二十五日に揃ったのが、私と弁護士と、大奥様は、途中で寝に行ったので、筒井さんと永井さんと、六花さんと夏生さんになったわけです。
当然。遺産条件は公人氏の血縁ですから、六花さんと大奥様の二人になるわけです。それが―」
エミリはそこで言葉を切り、美寿子に対して憎悪をにじませていた顔よりもひどく嫌悪をにじませ、眉間にしわを作り、唇をぎゅっと結んだ。
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