綺麗な隣の大統領

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綺麗な隣の大統領

 その講堂に入った瞬間、思わず息を呑んだ。中には誰もいない。縦長の机に、高そうな革張りの椅子が並んでいる。わずか数人で会議をするためとは思えないほどに、そこは広かった。


「いよいよですな、笹倉首相」


 しわがれた、男の声が聞こえた。腹心の伊藤の声だ。彼がいなければ、こうして重大な日を迎えることも、そもそも自分が今の立場に立つこともできなかっただろう。


「いよいよ、両国間の閉ざされた扉が開くときです」

「そう、だな」

「総理大臣となっての初の大仕事、気を引き締めてください」


 言われなくても、緊張の糸は引きちぎれそうなくらいだった。30歳という若さで国のトップに立った僕には、成功させる義務がある。敵対関係が続いていた隣国と和解する。そう公約を掲げ、与党を倒し、第一党となった我が党にとってみれば、是が非でも今回の対談は成功させなければならない。


「それに、相手もこちらと同じような立場らしいですぞ」

「というと?」

「我が国と和解する、という公約を掲げた若者を党首とする野党が、つい最近政権を取りまして」

「ああ。そうっすね」

「口調、気を付けてください」


 未だ、両国間の溝は深い。解決しなければならない問題は多いし、相反する主張もある。いくら和解を最優先させるとはいえ、相手に有利な状況に持ち込まれるのも、駄目だ。対等、できれば有利になるようにしなければならない。当然、和解が失敗すれば、すぐに政権の座を奪われるだろう。だが、自分の立場に固執するあまり、国益を損なうことは、政治家にとって避けなければならないことだった。


 椅子に座り、息を吐く。通訳はいない。幸いにも、向こうもこちらも語学が堪能だった。念のためにつけておいてもよかったが、向こう側の要請で、二対二の対話となった。相手の要求を呑むことで、こちらの意見を通りやすくした方がいい。そう言った伊藤の意見に従うことにした。


 重苦しい空気に押しつぶされそうになった時、扉が開かれた。コツコツと靴が床をたたく音が反響する。足音は二つだ。顔を上げず、向こうが椅子に座るのを待つ。着席したのを確認して、俯いたまま、笑顔を作った。そして、顔を上げる。


「この度は、こうして会談の場を設けていただき……」


 ありがとうございました。そう口にすればいいだけなのに、言葉が出てこなかった。なぜか。その理由は単純だ。


「かわいい」

「え?」

「いえ、何でもありません。失礼いたしました」


 誤魔化すように咳ばらいをする。あまりの可愛さに、言葉が出てこなかった。相手の首相が女性であることは知っていた。若いということも知っていた。写真や映像で、いやというほど確認したはずだった。それなのに、どういうわけか、胸が詰まる。


「えっと。では、早速ですが」その綺麗な金色の髪を撫でながら、彼女は言った。

「早速ですが、議題に入りましょう」

「そうですね。では、一つお聞きしたいことが」

「なんでしょう」

「お名前は?」


 一瞬きょとんとした彼女だったが、すぐに頬を緩めた。自己紹介がまだでしたね、と優し気に語り掛けてくる。当然、お互いの名前なんて、知っていた。それでも聞かずにはいられない。隣の伊藤が、がたんと崩れ落ちているのが見える。


「私の名前は、エマディといいます。エマと呼んでください」

「笹倉憲治です。よろしくお願いします」


 手を伸ばし、握手を求める。記者もいないのに、わざわざ握手をする必要もないのだが、快く応じてくれた。


「私も、あなたと同じ気持ちなのですよ、ササクラ首相」

 席に座ったエマ大統領は、うふふと魅力的に笑った。

「そして、すべてを解決する方法を、私は知っています」

「すべて?」

「そう、すべてです」


 エマ大統領の隣に座った男性が、何やら忙しなく彼女に耳打ちしているのが見えた。伊藤と同じくらいの年齢だろうか、鼻が高く、髪は薄い。眉間に刻み込まれた皺は刺繍のように深かった。


「それではまず、一つ、重大な点を確認しておきましょうか」エマ大統領がそう切り出した。

「覚悟はいいですか?」


 来た、と伊藤が呟いた。背中に冷や汗が伝うのが分かる。そうだ。相手に見惚れている場合ではない。私利私欲で国を傾かせるだなんて、いつの時代の暴君だ。


 重大な点。いったいどの問題について言及するのだろうか。過去の戦い、国民の感情、現実の経済問題、他国の反応、どれもが重要で、避けては通れないものだ。だが、逆に避けては通れないのならば、堂々と受け止めるしかない。腹をくくるしかないのだ。


「覚悟なら、できています」

「そうですか、なら聞きます」

「はい」

「ご趣味は?」


 ガシャン、と派手な音が響いた。エマ大統領の隣の男性が、椅子から転げ落ちている。大丈夫だろうか。


「趣味、ですか?」

「互いの価値観を確認することは、何事においても大切ですよ。これから、ともに歩んでいかなければならないんですから」

「まあ、そうですけど」


 腑に落ちないが、別に趣味を伝えたところで不利になることはない。そう自分を納得させ、口を開いた。


「趣味は、釣りですかね」

「どんなところがいいのですか?」

「結構釣りって、待ち時間が長いんですよ。その間に、色々なことを考えられますし、実際に魚が釣れると、達成感を得られます」

「素敵ですね」


 伊藤が、素敵じゃない、と文句を言っていた。国のトップが貴重な税金を使って、釣りの話をするなど、確かに素敵ではない。そんなことは分かっていた。だが、なぜか口は止まらない。


「大き目のバスを釣った時なんて、近くの漁師の方が誉めてくれたんですよ。まあ、その時は首相ではなかったんで、気が付いてもらえなかったのですが」

「それは悲しいですね。私も、ある方のために大統領になったというのに、気づいてもらえなかったんですよ」

「ちょっと、お二人。待ってください」

「そのバスっていうのが」

「待って!」


 僕たちの会話を遮るように、エマ大統領の隣の男性が声を荒らげた。目を見開き、肩で大きく息をしている。綺麗な黒いスーツも、どこか歪んでいた。


「バスなんてどうでもいいんですよ。国の話をしてください」

「さっきからしてるわよ」エマ大統領が、つまらなそうに言った。

「我が国には、バスを釣れるお方が必要なの」

「何をおっしゃるのですが、大統領!」


 それは、ぐうの音も出ないほどの正論だった。確かに、バスを釣る話など、両国間の間に何の影響もない。国民に「あちらの国の首相はバスが釣れるのよ」と伝えれば、「それはすごい! 尊敬しちゃう!」と熱狂してくれればいいのだが、残念なことに、そこまでバスマニアが密集した国ではなかった。むしろ、そんな国だった場合、国交を結びたくない。


「分かりました。それでは、次の議題に入りましょう」しぶしぶと言った様子で、エマ大統領は話をつづけた。

「覚悟はありますか?」

「あ、あります」


 ほっと胸をなでおろしている男性を見ながら、答えた。彼の目は、先ほどのようなきょとんとしたものではなく、鷹のような、鋭いものへと変わっていた。和解によって、自国がどう変わるのか、考えているのだろう。侮れない。言葉の一つ一つに注意をしなければ。


「次の質問は。そうですね。子供のころの一番の思い出は何ですか?」

「パスワード確認の質問かよ!」


 注意すると決めたばかりなのに、つい咄嗟に言葉が出てしまった。伊藤が、口調、と早口で言ってくる。


「どうかしました?」

「いえ。なんでも。思い出、ですか」

「はい」


 どうしてそんなことを聞いてくるのか、まるで分らなかった。が、答えるしかない。


「そうですね。昔、近所に住んでた外国の少女と遊んだことですかね」

「外国の少女、ですか」

「ええ。こうして和解への道へと進んだのも、その子のおかげかもしれません」


 子供のころ、たまたま町で出会った少女。どこの国から来たか分からなかったけれど、一日中遊び回っていた。お互いの国が仲良くなれますように、と願った記憶はある。結婚の約束もした気がした。


「その子、口癖が変だったんですよ」

「どんな感じですか?」

「それが、思い出せなくて」

「なるほど」


 それは悲しいですね、と彼女は心底残念そうに言った。

「分かりました。ありがとうございます」

「えっと、はい」

「では、本題へと入りましょうか」


 伊藤が肩を落とすのが分かる。僕も同じ気持ちだった。意味の分からない質問をされたとはいえ、相手のペースに引き込まれている。これはよくない。


「本題、ですか」

「最初に言ったじゃないですか。すべてを解決する方法があるって」

「は、はい」

「過去の戦い、国民の感情、現実の経済問題、他国の反応。そして私たちの願い。それを叶える唯一にして最高の方法があります」


 伊藤と僕は顔を見合わせた。緊張で、背筋が伸びる。妥協案を示してくるのか、それとも強硬案を貫いてくるのか、それによって、今回の会談の運命は決まる。そう思っていた。だが、彼女の提案は、予想だにしないものだった。


「それは、私たちが結婚すればいいんですよ」

「は?」

「政略結婚です」


 いつの時代の話なんだ。そんなの無茶に決まっている。疑問は尽きなかった。だが、なぜだろうか。満更でもなかった。


「なにをおっしゃるのですか大統領!」

 向こうの男性が声を荒らげた。

「相手の気持ちを考えずに!」

 

 突っ込みどころはそこではない。


「大丈夫ですよ」

「何がです!」

「ササクラ首相は私に惚れています」


 男性がきっとこちらを見つめてくる。伊藤が何やら呟いているが、何も聞こえなかった。


「そして、私もあなたと同じ気持ちなのですよ、ササクラ首相」

 綺麗な髪をもう一度撫でた彼女は、子供の頃からね、と笑った

「私と結婚して、両国をよくしましょう」。 


 そこで、ようやく昔の少女の口癖を思い出した。それは、今もどうやら変わっていないらしい。


「「覚悟はありますか」」


 昔の少女と、今のエマ大統領の姿が重なる。答えなど、子供の頃から決まっていた。


「あります」

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