画面の向こうにいる彼と
秋田健次郎
画面の向こうにいる彼と
かれこれ1時間以上
”0人が試聴中”
という文字が画面の左下に居座っている。
最近流行りの新作FPSの実況配信でかつ女性配信者なら無名でも最低10人くらいは見てくれるだろうという予想が甘かった。プレイが上手い訳ではないがやたら大きなリアクションで毎回最低でも1万人は集める某大物配信者に憧れ、キャプチャボードやらマイクやら決して安くはない買い物をして準備した結果ただプレイ画面を世界中に垂れ流すという虚無が生まれてしまった。もう止めようかと思ったその時、画面の左下の文字が
”1人が試聴中”
に変化した。
これが何を意味するか分からない人のために説明すると1人がこの配信を見ているということである。私は高ぶる心を抑えながら
「こんばんはー」
と声を出してみた。マイク(4000円)の初仕事である。あまりの嬉しさに肝心のゲームプレイがぐちゃぐちゃになっているがそんなことはこの際どうでもいい。
”こんばんは”
生まれてから何万回と見てきたはずの文字列が二宮和也の直筆サインより価値のあるものに見える。
「ゲームあんまり上手くないですけど、よければ見ていってくださーい」
まるで熟練配信者の余裕ある挨拶のようになってしまったが、心拍数がもうすごいことになっている。突然謎の緊張に襲われ、ついには止まっている敵にさえ弾丸が当たらなくなってきた。
”いい声ですね”
「あっ、いやぁ、初めてい、言われました。」
見ず知らずの人に生まれてから一度もされたことのない褒め方をされると人間は声が出なくなるのだと知った。結局この日は最後までこの人とマンツーマン状態での配信が続いた。
「また明日も9時くらいから配信すると思うのでぜひ来てきださーい」
”乙でした”
その日の夜はまるで翌日にデートを控える彼女のごとく眠れなかった。
「こんばんはー」
”ばんは”
彼は私が配信を始めてから2分後くらいにやってきた。この視聴者が男か女かについては分からないがアイコンがエレキギターなので勝手に男認定している。それからしばらくはコメント拾いという名の会話を続けていた。もちろん、私が「あなたは男性ですか?」と聞けば簡単に真実を知ることは出来たがあえてしなかった。やり取りの大半は好きなゲームやプレイ内容についてで年齢だとか住んでる所だとかについての話はなかったし、多分お互いに避けていたんだと思う。
ほぼ毎日夜の9時から11時くらいまでの配信を行う日々を1年近く続けていた。1年経ちトークスキルもそれなりのものになったはずなのに視聴者は依然として彼一人だった。初めの頃は一日でも配信をしないと彼が来てくれなくなるかもしれないと思い、何がなんでも毎日配信を行っていたが最近は一日程度休んだところで彼は裏切らないだろうと思い始め用事があるときは普通に配信を休んでいる。
彼もたまに配信を見に来ない日がある。そんな日はおとなしく私一人でゲーム画面を世界中に垂れ流すという徒労に励む。
確かに私の配信は大手配信者の一万分の一しか視聴者はいないし、きっと配信者というのは多くの人に見てもらおうと努力するのが正しいのだろう。それでも私はこの関係が永遠に続けばいいのにと彼のコメントを拾いながら心の中でひそかに願う。
画面の向こうにいる彼と 秋田健次郎 @akitakenzirou
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