俺たちはラブコメが分からない

第1話

「先輩、付き合ってほしいのですが」

「え、いきなり告白? ちょっと考えさせ……」

「別に先輩のことは好きではありません。小説の特訓に、付き合ってほしいのですが」


 軽いボケをばっさり切り捨てて、片岡かたおかなぎさは銀縁眼鏡を押し上げる。視線ひとつで文芸部室の体感気温が三度下がった。

 俺と片岡は同じ文芸部に所属する、先輩と後輩の関係だ。とはいえ毎日部室でだらだらラノベを読んでいる俺と、パソコンを前に執筆に打ち込んでいる片岡とでは、活動内容が天地ほど開いているが。

 その片岡がパソコンの画面をこちらに見せる。


「カクヨム三周年記念選手権が開催中なんです。運営が公開する創作のお題に基づいて、ユーザーが作品を投稿することで参加できるキャンペーン」

「ああ、確か全十回で、発表されたお題に従って投稿された千二百~四千字の作品の中から様々な賞が選ばれて賞金が与えられるキャンペーンだろ?」


 片岡は俺の認識を首肯して続ける。


「はい。第三回のお題は『シチュエーションラブコメ』で、最も多くの読者を獲得した作品に与えられる読者賞など、三つの賞にそれぞれ一万円の賞金が出るそうです」

「三部門制覇なら三万円か。高校生の俺たちにとってはちょっとした大金だな」

「それだけでなく、なんと読者にも賞金獲得チャンスがあります」

「なんと、読者にも賞金獲得チャンスが?」


 読み専ユーザーにも人参を吊るして企画を盛り上げようなんて、なかなか上手いことをするじゃないか。俺のテンションゲージが音を立てて跳ね上がる。


「期間中、レビューの『いいね』数が最も多かったレビュワーには『レビューいいね賞』として三万円が贈呈されます」

「レビューを書くだけで三万円のチャンスが!」

「はい、読者としてもカクヨム三周年記念選手権を盛り上げられますね」

「なんてことだ! これを読んでいる君も今すぐレビューを書いて賞金をゲットしよう!」

「先輩、口調とキャラがうっとうしいです」


 片岡の冷たい視線で、跳ね上がったテンションが一気に叩き落される。いや、興奮のあまりよく分からないことを口走った俺が悪いのだ。冷静になって話を戻そう。


「で、そのキャンペーンがどうしたって?」

「言ったでしょう。第三回のお題は『シチュエーションラブコメ』です。せっかくなので参加してみようと思ったのですが、その」


 一瞬言葉を止めて、きゅっと唇を曲げる。片岡は何か言いづらいことがあるとき、こんな表情をするのだ。シリアスな悩みだろうか。


「ラブもコメも縁遠い生活なので、イメージしづらくて。お脳がコメディな先輩を練習台にして感覚を掴みたいのです」

「お脳が、何?」

「先輩ならば溢れんばかりの人生経験でラブコメにも深い造詣をお持ちだろう、と言いました」


 建前としては完璧だと思う。でもそうやって言い繕う体裁があるのなら、最初からきれいな言葉が欲しかった。


「ですから、先輩……、私とラブコメをしてくれませんか。別に先輩のことは好きではありませんが」

「それ、わざわざ付け加えなくてよくない?」




 数分後。片岡はどこかから調達してきたホワイトボードを前に、シチュエーションラブコメの設定を考えていた。


「シチュエーションは、そうですね……普段の我々が想像しやすいものにしましょう」


 ホワイトボードに大きく『普段の経験の延長』と書かれる。


「ああ、つまり高校生の日常生活、みたいな」

「そうです。文芸部員の後輩と先輩、みたいな」


 片岡が自分とこちらを交互に指差す。


「それは想像しやすいというより、想像の必要もなくそのまんま、みたいな……」

「先輩に密かに想いを寄せる健気な後輩と、それに気づかない鈍感で野暮な先輩、みたいな」


 さっきと同じジェスチャをする片岡に、心臓が飛び跳ねた。


「それは……えっ?」


 聞き返す俺には見向きもせず、彼女はホワイトボードに『片想い』『鈍感』『野暮』『ばーか』と書き込んでいく。


「シチュエーションです。先輩のことは全く好きではありませんが、ラブコメですので」

「ああ、OK。マジでびびった……」


 まだ騒がしい心臓を落ち着けながら、こくこくとうなずく。早くもラブコメ主人公の気持ちが少し分かった気がする。勘違いを責めているような片岡の視線が痛い。


「本当にド鈍いですね。脳の血流がナメクジですか」

「なんて?」

「では始めましょうか。私たちのシチュエーションコメディを」

「待って、流すの? 今の暴言軽く流すの?」




「先輩、今日が何の日かご存知ですか?」


 片岡がカレンダーを指差して尋ねる。日付は三月十四日、もちろんホワイトデーだが、今の俺は後輩の片想いに気づかないラブコメの先輩役だ。こういうときはズレたことを言うものだろう。


「えっと、円周率の日だっけ?」

「面白くないボケですね。ホワイトデーくらい即答してください」

「片想いの相手に辛辣過ぎない? もうちょっと設定に乗ってほしいんだけど」


 俺の指摘を完全に無視し、片岡は両手をこちらに差し出す。本当に恋心のかけらも感じられない、片岡そのものの片岡だ。


「ということで先輩、バレンタインのお返しをお願いします」

「いや、俺はホワ……」

「もちろんさっきの答えはただのギャグで、気の利く先輩は後輩へのお返しを用意していますよね。分かります」

「厚かましい。片想い中とは思えないほど厚かましい」

「普段通りですから」


 言いながら、両手の指をくいくい動かしてプレゼントを要求している。普段通り。こいつはこういう奴だ。


「これ、もうシチュエーション設定した意味ないんじゃないか?」

「じゃあこうしましょうか。先輩はホワイトデーのお返しを用意していない、という設定で、この場を切り抜けるまでラブコメを続ける」


 いいことを思いついた、というように手を合わせて首をかしげる片岡。割と無茶振りだ。さっきからこいつに振り回されている気がするが、一度引き受けた以上はとことん付き合おう。


「えー……、じゃあ、片岡」

「渚でお願いします」


 寸劇を再開しようとしたところに、妙な設定を要求される。


「名前呼び? そこ変える必要ある?」

「設定ですから」

「普段通りでいいんじゃない?」

「いえ、設定ですから」


 彼女はこちらを見もせずに繰り返す。意味が分からないが、向こうにこだわりがあるのならそれに合わせよう。


「じゃあ、渚。ホワイトデーのお返しって三倍返しとか言うよな。ぶっちゃけ、お前のバレンタインチョコっていくらぐらいだった?」

「無粋ですね。まあ、大体一万八千円ぐらいでしょうか」

「高いな!? 確かに美味かったけど、そんな超高級品だったの!?」


 片岡は首を振り、ホワイトボードに代金の内訳を書き並べ始める。


「材料費が千六百円、包装が四百円、練習と実際の調理に十六時間ほどかかったので時給千円として人件費が一万六千円です」


「手作りかよ」

「気づかなかったんですね」


 何度目かの冷たい視線が心に刺さる。これはそういう設定での寸劇のはずなのに。

 委縮する心を奮い立たせて、俺は自分の中のラブコメ主人公性を呼び覚ます。鈍感な無自覚ラブコメ野郎はこの程度で傷ついたりしない。してないんだ。


「だ、だったら『作るときにこめた想いはプライスレスだぞ』とか言ってくれていいのに」

「うわ。部室の気温が下がったみたいですね。寒気がしました」

「ひどくない?」


 俺の抗議は鼻息ひとつであしらわれる。


「さて、先輩。値段を知ってしまった以上はその三倍のお返しを用意しなければなりませんが」

「風習が曲解されている」

「学生の身に五万四千円の出費は痛いでしょう。今回は特別に、私の欲しいものを用意できたら許してあげますよ」


 完全に彼女のペースで話が進む。わざわざ片想い設定なんてつける必要なかったんじゃないか。


「お前の欲しいものって何だよ」

「渚でお願いします」

「今、名前で呼ぶ必要あるか?」

「設定ですから」


 彼女はぷいと顔をそむける。大事な設定は無視するくせに細かいところにこだわる奴だ。


「その、渚の欲しいものって何だよ」

「真心がこもっていれば何でも構いませんが、強いて言うなら……、蓬莱の玉の枝」

「かぐや姫かよ」

「もしくは月面人迎撃兵器」

「だからかぐや姫かよ、過激派の」

「不老不死の霊薬は」

「かぐや姫が渡す側だよ」

「不老不死の三倍ってどれだけの価値になるんでしょうね」

「別にかぐや姫からのバレンタインプレゼントじゃないよ!?」


 こいつは何がしたいんだ。ひとしきり突っ込んでから嘆息する。


「っていうか、欲しいもの決まってないなら何でそんなこと言い出したんだよ」

「決まっているけど言いたくないだけです。欲しいものがバレなければ先輩への貸しを作ったままにできるでしょう?」

「タチ悪っ!?」

「さあ先輩、私のために永遠に彷徨さまよってください」

「ラスボスみたいなこと言い出すなよ……」


 設定を遵守するのも面倒になってきたので、俺は鞄から紙包みを取り出して渚に突きつける。そろそろこの寸劇を終わらせたい。


「ほら、これ……、一応用意してあったホワイトデーのお返し」


 渚がまた何か混ぜ返すより早く、俺は言葉を続ける。


「蓬莱の玉の枝じゃないし五万四千円にも全然足りないからさ、残りは借りで、毎日少しずつ返すよ。年単位でかかりそうだけど」

「先輩……、あの、それって」

「設定とか関係なく、これはもともと用意してた奴だから。遠慮せず受け取れって」


 渚はなおも少し躊躇ってから、ゆっくり紙包みに手を伸ばす。


「はい。えっと……、ありがとう、ございます」




 お返しの紙包みをしっかり抱えたまま、片岡がため息をつく。


「結局、シチュエーションラブコメのことはよく分かりませんでした」

「俺も分からない」

「ですから先輩、また今度改めてお願いします。設定は『二人で遊園地に来た後輩と先輩』で」

「お前、何言ってんの?」

「渚でお願いします」

「もうその設定は終わりでいいでしょ」

「それと、先輩のことは、全く好きではありませんからね」


 顔をそむけた片岡の表情は分からない。

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俺たちはラブコメが分からない @yakiniku_tabetai

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