吸血鬼と毒林檎

響華

吸血鬼と毒林檎

「ええ、それじゃあいつものをどうぞ?」


 少し湿った一室で、一人の女性が透き通った声で言う。

 腰の長さまで伸びた、月そのもののような金色の髪。見る者の心に入り込むかのような、怪しげに輝く紅の瞳。慎ましくも、まるで芸術品の様に整った身体。

 男女問わず魅了するであろうその見た目は、薄暗いこの部屋の中でさえ――あるいは、このような暗い部屋だからこそ際立つ美しさを持っている。


「はい、お嬢様。本日も大変麗しく。お嬢様の輝きの前では、夜空に浮かぶ星や月でさえも自らの態度を恥じ、謙虚にその身を隠すことでしょう。」

「はい、今日もありがとう。まったく……あなたはいつもよく平気で照れくさいことを言えるわね?」

「事実ですから」


 幸せそうな笑顔を浮かべて男は答える。

 今、この部屋にいるのは二人だけだ。女性は一度ため息をつくと、


「――それで? そろそろ私に血を吸われて吸血鬼になる用意はできたかしら?」


 妖艶に、そして愉快そうに笑いながら、見下すような目で女性は言った。

 口から見えるものは、二本の鋭い牙。並の人間ならば進んで身を捧げてしまうであろう吸血鬼の誘いに対して、人間の男は跪きながら言葉を発する。


「申し訳ございませんお嬢様、前にも申し上げた通りそれはできません」


 そうして顔を上げると、


「でも、血液の交換はとてもいいことだと思います。ええ、だからどうでしょう、ここは逆に僕がお嬢様の血を吸うというのは!」


 数割の話を逸らす意図と、大多数の欲望が含まれた言葉を投げかけた。


「……ありね」

「えっ」


 そして帰ってきた言葉に思わず動きを止める。


「どうする? 御伽噺の中みたいに、首元にかぷって噛みついちゃう? ああ、でも人間には牙はないのよね、どうしましょう?」

「あ、あの、お嬢様……?」

「あっ、あなたの好みで行くなら指先をちょっと切って血をなめとってもらうのがいいかしら? ……ところで」


 すっ、と静かな動きで吸血鬼は男の方へと近寄る。

 そして、耳元で囁くように言った。


「吸血鬼の血を吸うのは求愛行動の一つなのだけれど――そういうつもりで言ったのよね?」


 ぼんっ、と頭の中で音が鳴った気がして、男は吸血鬼の女性から離れると壁に背中を付ける。

 顔を真っ赤にしながら、見るからに動揺している様子でこちらを見つめる男が面白くて、吸血鬼の女性はくすくすと笑いながら一言。


「まあ、冗談だけれども」


 と、おどけた調子で言った。


「……すごく焦ったのですが!」

「そうね、すごく新鮮で可愛かったと言っておきましょうか」


 ニヤニヤしながら言われて、男は羞恥の混ざった様子でうろうろする。

 そんな中で、吸血鬼は静かに呟いた。


「人が吸血鬼の血を吸えば、身体が耐え切れなくて死んでしまうわ。もし……もし、それで吸血鬼になるんだったら話は早かったのに」


 そういって彼女は足元に落ちていたものを――を持ち上げる。そしてそれをへと叩き付けた。

 吸血鬼の力をもってしても、その格子はびくともしない。


「何度も言ってるけれど、男の吸血鬼の方が女の吸血鬼より力は強いの。あなたが吸血鬼になれば、この格子はきっと壊せるわ。そうすればあなたはここから逃げ出せる。それは、ただここでじっと処刑の時を待つより有意義なことだと思わない?」

「そうですね、お嬢様」

「そう思うなら、早く私に血を吸わせてほしいのだけれど」

「それはできません。何度も言っていますが、僕の血液は毒になっています。ですからお嬢様が僕の血を吸えばお嬢様は死んでしまうでしょう。そうなってしまえば、私にはもう生きる意味なんてないのです。」


 静かな笑みとともに、男が言った。


「あなたは、いつも笑顔でいられるのね」

「やっと聞いてくれましたか! はい、お嬢様と居る時が私にとっては一番の幸せなので!」


 しんっ、と静まり返った。

 ここは城の中だ。窓はない、他に人はいない。二人の為だけの地下牢だ。

 吸血鬼は、一人の忠臣とともに捕えられた。城も、土地も、娯楽も、名も、宝石も、すべてがなくなった。しかし、今ここには――


「あなたを愛してる。だから、わたしを犠牲に生きて」

「お嬢様を愛してます。だから、死ぬときは一緒です」


 処刑の日まで、あと――。

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吸血鬼と毒林檎 響華 @kyoka_norun

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