少年は、遥か彼方に言葉を遺す

かきはらともえ

『少年は、遥か彼方に言葉を遺す』


     ☆


 ぼくはここにいるべきではない。

 人間が彼女たちにした罪を、償わなければならない。

 生き残ったぼくには、きっとその責任がある。

 きっと、ぼくは二度とここに戻って来られないだろう。

 それでも、ぼくは戻る。


 ぼくがいるべき世界に。

 ぼくがあるべき世界に。


 これからはきっと、辛いことばかりだろう。きっと悲しいことばかりだろう。だけど、だからこそ、ぼくと一緒に歩んでくれた彼女たちに、ぼくがこんなふうに思える日々を与えてくれた彼女たちのために。


 人間がしてきたことを、償う。


 彼女たちにした約束は守れないだろう。そもそも償いなんてできないかもしれない。

 それでも、彼女たちに救われたぼくは、ぼくにできることをする。

 ぼくは、戦う。彼女たちにはできなかったかもしれない。


 それでも、ぼくにはできる戦いがある。


     ☆


 空の彼方へと小さく、消えて征く少年くんを、わたしたちは見送る。

 あの少年くんがここにやってきて、もう何年になるだろうか。

 随分と長い眠りから覚めた彼は、外に出てもやっていけるのだろうか。

 外の世界は、まだ無事なのだろうか。そんな不安がわたしの胸に芽吹く。

 でも、そんな不安は、何よりも彼自身が抱えていることのはずだ。彼が何よりも抱いている不安のはずだ。


 それでいてなお、ここから旅立つのだ。


 それは、わたしたちにはない、あの少年だからこそ、人間だからこそ持つ勇気というものなのだろう。


「■■■。心配いらないよ」


 少しずつ、色褪せていく空を見上げながら、■■は言う。


「あの子なら、きっと誰にも負けないよ」

「そうだね――」


 交わるはずのなかったわたしたちを繋いでくれた少年くん。

 ここに閉じ込められたわたしたちを、繋ぎ合わせてくれた少年くん。

 ひとりの少年を、わたしたちは応援する。

 彼のいう償いなんかではない。


 彼のこれからの人生を。

 これからのスタートを、わたしたちは応援する。


 わたしは、忘れない。

 最果てで、ひとりぼっちだったわたしのところに、降ってきた彼のことを。


「――あなたは、なに?」

「…………」

「――ひょっとして、人間ってやつ?」

「…………」

「――ねえ! どうして何も言わないのよ!」

「…………」

「――何か言いなさいよ!」


 眠りについていた彼を抱きかかえたあの日のことは今でも忘れない。


 あの少年がやってきてから、幾年の時間が経っただろうか。

 それから彼女たちは、ここにやってきた。次々とやってきた。

 まるで閉じ込められるように。


「――――やれやれ、どうしてわたしがこんな寒い場所に来なければならないのよ」

 ■■は文句を言った。


「――――お姉さん、ちょっとここ居心地悪いわあ」

 ■■は嫌味っぽく言った。


「――――何よ、わたしが何をしようが勝手でしょ」

 ■■は高圧的な態度を取った。


「――――言わせてもらいますけどね、あなたのような分際で一度でもわたしと肩を並べていたあなたのことを許したことはありません」

 ■■はわたしの存在を否定した。


「――――ぼくは別になんでもいいけど、センスないよね。ここ」

 ■■は別によくなさそうに言った。


「――――わたしの場所からじゃ見えなかった星が見えるじゃない。いいわね、ここ」

 ■■■は社交辞令を言った。


「――――あなたなんてね、一度海に溺れてきなさい」

 ■■■は敵意を向けて言った。


 ずっと、ずっと、ずっと、ずっと。

 みんな、争い続けていた。啀み合い続けていた。


 だけど。

 こうして、みんな並んで空の彼方に消えて征く少年を見送るようになれた。


 あの少年は、わたしたちの八つの信頼と応援が背負っている。

 きっと、並々ならぬ重さだろうけど。


 それを背負える人類は、きっと、きみだけだ。


     ☆


 蒼く澄んでいた空は、少しずつ深い蒼に染まりつつある。

 名残惜しさに思わず、きた道を振り返りそうになるが、なんとか堪える。きっと、今振り返ったら耐えられない。挫けてしまう。


 だから、ぼくは。

 これから向かう先だけをひらすら見つめる。


 ぼくには言葉がある。

 ぼくは、これから戦う。


 言葉で、戦う。


 ぼくはこれから言葉を戦いのために使うだろう。


 だから、そうではない言葉を。

 最後に贈ろうと思う。


 戦うためではなく、彼女たちへの感謝の言葉を。

 これはきっと嘘になる。

 そんな言葉を、ぼくは彼女たちに告げる。


「またね」


 さよならは、言わない。

 さあ、ここからがぼくの戦いだ。


     ☆


 こうして、少年は大地に立つ。

 太陽系の惑星たちからの応援を受け、人類によって繋ぎ止められた彼女たちへの償いを胸に、これより地球を目指す。


 最果ての天体が、少年と出会い芽吹いたもの。

 それは、惑星が抱くはずのなかった感情であって、彼女が少年に向けていた感情の正体を知ることは永遠に、ない。





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少年は、遥か彼方に言葉を遺す かきはらともえ @rakud

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