(14) 水神祭編【10】
『二』
進むカウントダウン。
タイタン・パームに押しつぶされたように見えるイーサの姿は、巨大な手の陰に隠れて見ることができない。しかし、動いている様子はない。なんとも呆気ない幕切れではあったが、アトラスは勝利を確信していた。ルーキー巫女のデビュー初戦はだいたいこんなものだろう、確か昨年は一歩も動けずに終わった巫女もいたはずだ、とアトラスは過去をうっすらと反芻。
観客も実況の白ウサギさえも言葉をのみ、ただカウントダウンが進むのを見守っている。
そして、
『0』
同時に大型スクリーンには勝者の名前が──
「え!?」
アトラスは小さく叫びを上げた。その目が大きく見開かれる。彼女の瞳には僅かながら動揺の色が浮かんでいた。
──ない!
(そんな……)
スクリーンには何も表示されていなかった。誰の名前も、そしてポイントも。これは何かの間違いだろうか。いや、俄には信じ難いが……。
(まさか、あれを防いだっちゅうのか、しかしどうやって)
スクリーンからタイタン・パームへと視線を素早く流した瞬間、タイタン・パームが勢いよく吹き飛ばされた。そして、そこには潰されたはずのイーサの姿が。
「わたし復活の巻!」
イーサはそう叫び、右手でガッツポーズをとりながら笑顔を見せた。
「バットガールのように華麗に復活だよ!」
「なんやて!?」
「えーと」
「ん?」
「バットガールのように!」
「 なんで二回言うたの!?」
「今のはね、バットガールの冒険第二巻、『バットガール危機一髪』の名シーンだよ。あとバットガールも試合に出てるみたいだからあとでサイン貰いたいへへへ」
「いや知らへんわ!」
(あかん、あの子のペースに巻き込まれたらあかん。冷静になるんや。それにしても……)
吹き飛ばされたタイタン・パームを傍に戻し、イーサと距離をとる。
(杖を使う時間はなかった、そもそも杖の魔法ならタイタン・パームはすぐに弾き飛ばされてたはずや。いやその前に、あんな方向音痴やったらそうそう当たらへん。と言うことはあの子の固有スキルか、もしくは魔法やね。でも今思えば微かに水ポコロンの動きがあったような……。おそらくは──)
「防護魔法、やんな」
アトラスが呟くように言うと、イーサは笑顔のまま首を僅かに傾けた。
「ごぼうマフィン?」
「そうそう、たまには野菜摂りたいなぁ思っとりまして今回はマフィンにごぼう入れてみましたぁ、ってアホかぁ!どんな耳しとんの、たこ焼きでもつまっとるん!?」
「えへへ、耳にたこ焼きつめるより食べたほうが美味しいよ」
「ほんまもんのアホやったか」
イーサは頬をふくらませ、
「むう、アホって言う人がアホなんだよ」
そう言って巨兵の雷杖を片手で器用に回しながら、アトラスに向かって駆けてくる。白ウサギがイーサの無事を告げ、再び会場は歓声に包まれた。
「さあ、アトラスの攻撃をなぜか防いでいた新人巫女イーサ、反撃に転じるようです!」
向かってくるイーサに、アトラスは鼻を鳴らしながら指を差した。
「ふん、伝説の戦士も言うとんで、当たらなければどうということはない、ってな。行けタイタン・パーム!」
手首を下に直立した巨人の手が、イーサを捕まえるかの如く手を大きく広げ突進する。イーサの回転させる杖の先端、宝石の部分には光が集まっていた。
「よし、そのまま捕まえろ!」
”【手揉揉】・束縛の
巨人の指先が上方からイーサに向け、覆いかぶさるように伸びる。しかしイーサは初めての戦いとは思えぬほど楽しそうに目を輝かせ、
「これは飛んで火に入る夏の蒸し風呂だよっ」
「どんだけ暑くする気やねん、それを言うなら夏のムキムキや」
「どっちも暑苦しいわこのアホゥども!」
白ウサギの的確なツッコミで会場に笑いがこぼれる中、イーサはこの時、捕まえに来る指を無視してタイタン・パームの懐、つまり手のひらの目前まで駆け抜けていた。が、アトラスからはもちろん見えていない。
そしてその刹那、タイタン・パームとイーサの間で閃光が迸った。
× × × × ×
体の軽さを最大限に生かしたスピードで上から襲いくる指をすり抜けながら、イーサは巨大な手のひらの前で右足を止めた。
「作戦パートワン行っくよお」
杖の回転もストップ、魔力を増大させる。左足を止め力強く踏み込むと同時にシャフトの上端から下端に両手で持ち直し、そのまま野球のバットの如く、タイタン・パームの手のひらに向けて力強く振り抜いた。
「ストライクぅ、ショットぉぉっ!」
そして、先端の宝石が当たる直前に杖の魔法を発動──
──『よいかイーサ、キダクの情報によれば、どうやら初戦のアトラスは召喚魔法の使い手のようじゃ。召喚魔法はポコロンはもちろんじゃが体力精神力ともに大きく削られる。あのレベルの巫女なら召喚出来たとしても一試合に二体が限界、もしぬしを侮って最初から二体同時に召喚しなければ勝機は十分にある。故にじゃ、まずはあやつの召喚したものを破壊するのがぬしの作戦パートワンとなる』
どこに飛ぶかわからないのであれば、杖魔法本来の利点である遠距離攻撃を捨てれば良い。それが作戦であった。つまり、ゼロ距離からのどこに飛んだとしてもほぼほぼ当たる超近距離魔法攻撃。
もちろんごく僅かではあるが角度によっては当たらない可能性もある。しかし、
──『あとは当たることを祈るだけじゃが、運も実力のうちと言うからの。なぁに心配しなくてもぬしには女神がついておる。ほれ、わしと言う超絶最強女神がの。当たらんわけがなかろう』
先ほどの係員の言葉もイーサの心に強い光を与えていた。
──『雨垂れ石を穿つと言う言葉をご存知ですか。……適切な努力を続けていれば必ず報われる、と言う言葉ですよ』
サラスヴァティーの導きが、キダクの優しい教えが、シャルヴとの楽しい組手が、そして何よりアイリスとの濃密な練習が、次々と脳裏に浮かんでは消える。掛けた時間は少なくても、積み重ねてきたものに偽りもなければ不安もない。
そうだ、それなら──
「もう当たらないわけが……ない!行っけぇっっっ!」
タイタン・パームに杖がぶつかった刹那、雷光弾が杖から放たれるのと、先端の宝石が粉々になるのとが同時だった。
宙を舞う砕け散った宝石のかけら。それが陽光を反射しダイヤモンドダストのように煌めく。
雷光弾はタイタン・パームの手のひらを穿ち、そのまま貫くとアトラスの顔のすぐ横を射抜くように飛んで行った。浅葱色のボブを数ミリ掠めたのだろう、その艶やかな髪を激しく揺らした後、客席を守る防護壁の魔法により防がれて消え、巨人の手はと言うと、大きな穴からいくつもの亀裂を走らせボロボロと崩れ去り、やがて淡い光とともにこの世界から消滅した。
イーサは笑顔を煌めかせ、小さくガッツポーズをとる。
「やったね、作戦大成功だよ」
× × × × ×
シスイが最初にサラスヴァティーに会ったのはいつの事だったのであろう。百年、いや二百年、それとももっと前だったか──。
シスイは東の小国にて、当時からすでに水属性最強の剣神として名を馳せていた。その頃の彼女は道場を併設した広すぎる屋敷にただ一柱で住み、弟子もとらず茶を点てたり散歩をする毎日で日々を無為に過ごしていた。もはや国内に敵無し、時折その噂を聞きつけ国外からも名のある剣豪が訪ねてきたが、彼女の退屈を紛らわせる者はいなかった。
そんな時だった、シスイが彼女の──弁財天の噂を耳にしたのは。元々は国外からの旅行者で何柱かの仲間と一緒にぶらりとこの国に立ち寄っただけであったと言うが、何か気に入ったところがあったのか滞在期間を伸ばし、その間に神ということもあったためかはたまたその神格かそれともその飾らない性格故か、その人気は小さな島国全体に広がっていった。そして数年後には外国の神でありながら国の南西部にある小さな島に神殿を与えられ祀られることとなったのだ。それが今の、シスイが神官として管理しているイツクシマの神殿である。
こうしてサラスヴァティーは、弁財天と言うこの国の神としての名で呼ばれるようになった。国民からは親しみを込め『ベンテン様』と。噂では彼女の仲間であるシヴァも同様にこの国の神として名を授かったとか。
シスイも当初はくだらないと思ったものの、暇を持て余している身、好奇心には勝てず渋々──誰が見ているわけでもないが嬉嬉として会いに行くのはプライドが許さないため、そう自分に言い聞かせ──どんな様子か神殿まで足を運ぶことにしたのだ。
イツクシマの神殿は世にも珍しい、海に限りなく接した神殿である。弓上に広がる遠浅の浜に境内はあり、少し離れた場所にある大鳥居、そして社殿や廻廊は満潮時には海に浮かんでいるような美しい景観となる。むろん、干潮時には道が現れ自由に歩くことが可能である。
シスイは弁財天に会う前にまず大鳥居に足を伸ばした。まもなく日が暮れる。潮が満ち始めており、社殿までの道はしばらくすれば海の蒼に染まるであろう頃合い。月光に仄かに照らされ海に浮かぶ社殿と大鳥居の景観はさぞや美しいだろうとシスイは思った。その噂も聞いたが故に、シスイはまずその景観を楽しもうと思ったのだ。
まだ満潮ではなかったが、夕日が醸し出すこの世界は彼女の心の隙間を僅かながら埋める役に立った。
「まあまあの景色ちゃうん」
そう呟きながらもしばらくその場を動かなかったシスイは、やがて小さなため息を吐いた。
「まったく無粋なこと、美しく有意義な時間が台無しなんよ」
その言葉が終わるや否や、水位が瞬く間に数十センチ上がり、大鳥居から数メートル離れた海面が槍のように突き出したかと思うとそこから魔物が顔を出した。その反動で水飛沫が高々と上がり、周囲に一時的な雨を降らす。
青白い蛸の魔物、八本の触手を持つオクトラス。
まだ子供のようだが胴体の部分だけでも体長は優に五メートルは超えるであろう。自然に生息する蛸とはそもそも体の構造が違い、胴体には凶悪そうな二つの目とその下に牙を生やした大きな口が涎のようなものを垂らしながら開いていた。触手には無機物を水のように柔らかくする特性があり、それで砂地や岩場を掘り進み獲物に近づく。おそらくこの浜の地下を掘り進んでここまで来たのだろう。大人のオクトラスの中でも数百年生き大型船を瞬時に破壊する威力と巨体を持ったものをグラン・オクトラスと呼ぶが、それに比べればまだ可愛い部類に入る。が、もちろん一般人が相手にするにはそれなりの人数と装備が必要ではある。
「ほんま困るわぁ、あんた倒してもお刺身にはできひんものね」
とは言え、シスイにとっては朝飯前、いや夕食前である。彼女は水飛沫の雨を避けるために開いていた漆黒の日傘を閉じると、それをオクトラスに向けて言った。
「三枚におろしたるさかい覚悟してや」
そして、その顔面(胴体?)を貫くために突きの構えのまま力強く跳躍──するはずであった。
が、
「へ?」
この日、シスイは弁財天に会うということで、いつもよりヒールの高い可愛らしい下駄を履いていたのだが、その履きなれない下駄とオクトラスが現れて水位が上がったことが災いした。彼女の名誉のために言っておくが、普段履いている下駄であれば水位が多少あがったところでなんの問題もなかったはずである。しかしいつもと違うことをする、と言うのは些細なミスを誘発する因子となり得る。
何度でも言うが、弁財天に会える──常におひとり様状態だったシスイにとって自分以外の神に会えると言う高揚感──と言う浮ついた心が、彼女にいつもより背を高く可愛らしく見せたいと言う、そんな感情を久しぶりに思い出させてしまったのだ。つまり、元を正せば弁財天がすべて悪い、と後のシスイは語っている。
そして──
結果、シスイは履きなれないヒール下駄のせいで水に足を取られ、砂地に躓いていた。
あ、と思った瞬間には日傘を放り出し、両手を浜について四つん這いの状態を無様にもオクトラスに晒している。最強の剣神、最低の醜態である。水面に顔をつけずに済んだのは不幸中の幸いだったかもしれない。
それを好機と蛸が思ったかどうかはさておき、自然界で隙を見せる獲物に躊躇する捕食者はいない。オクトラスは触手を何本か水面下から出すと、シスイを捕縛するためにするすると彼女目掛けて伸ばしていった。
体に絡みつく触手。ぬめぬめとした感触が体を這い回る。
そのまま抗うことも出来ずシスイの体は高く持ち上げられた。気がつけば大きく開けたオクトラスの口の前だ。そこから流れ出すぬるく生臭い空気に悪寒が走った。
シスイはその口臭に強烈な嫌悪感を抱きながら顔を上げ右手を精一杯宙に伸ばす。
「くっ……、来ませい、ムラ──」
迫る赤黒い口と海洋生物には不似合いな尖った牙。
(あかん、間に合わへん……!)
と、その刹那、
”水天術【
空気を裂くような音と水飛沫とともに、シスイの体を拘束していた触手は水蛇のようにうねる流水の刃によって切断されていた。そしてその刃の蛇は次に本体に狙いを定める。が、手傷を負わせたものの致命傷にはならなかったらしく、オクトラスは危険を察知して素早く砂地に潜り込み、そのまま逃げ去った。
宙に取り残されたシスイの体はと言うと、気がつくと誰かの両腕に抱えられ──いわゆるお姫様だっこである──支えられていた。
シスイはオクトラスが逃げ去った方向からその助けてくれた人物へとゆるりと視線を移す──女性だ。豊かな胸の奥から規則正しい鼓動が伝わる。美しく白い肌。僅かに顔を上げる。赤みがかった長い茶髪と、強い意志を感じる漆黒の瞳。額には三日月形の小さなアザが見えた。
「ふん、逃げおったか。まあ、あやつは刺身にしても美味くなさそうじゃからのう。──ところで可愛い着物のお嬢さん、怪我はしてないかの」
「へ!?」
その女性が顎を引く。夕日に照らされ朱に染まるその顔には優しさ以外のなにものも感じられなかった。シスイは純粋に美しい、と感じた。鼓動の高鳴りがその女性の胸からではなく、自分の胸から去来するものであることを察知した彼女は、頬を赤らめながら小さく頷いた。
「そうか、蛸のエサにならずに済んで良かったの。この辺りは景観が良いが、時折ああ言った類いが出没するからの、気をつけた方が良い。次からはひとりでは出歩かんことじゃな、わしも毎回助けられるとは限らん」
茶髪の女性はシスイをゆっくり下ろすと、優しそうに微笑んで言った。
「わしは超絶最強美女だ、よろしくの」
これが、シスイと弁財天──サラスヴァティーとの初めての出逢いであった。
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