(13 )水神祭編【9】



 ”召喚【手揉揉タイタン・パーム】”──


 召喚術は、最もポコロンを消費する魔法系統のひとつであり、また、繊細な魔力制御が必要な魔法でもある。その外見、言動から適当そうに見られることの多いアトラスであったが、じつは几帳面な面を持ち合わせている。

 シロの得意とする陰陽術の式符を用いた式神召喚にも近いが、決定的な違いは触媒である。召喚術は式符などをあらかじめ準備する必要はないものの、触媒として自分自身の肉体を用いるため、その体力的、精神的消費が激しく、ポコロンを大量に消費することも相まって、連続召喚は難易度が高いものという認識が一般的だ。そのため一回の戦闘で二体以上の召喚獣を使役することは召喚マスターでもない限り実質的に非効率であるとされている。

 アトラスの周囲から水のポコロンが消え、同時にその目前に二メートルを優に超える亜麻色の大きな手が、掌を上、イーサ側に指先を向けた形で現れた。

 いわゆる『巨人の手』。

 召喚の中でも比較的負担もポコロン消費も少ない、召喚獣の一部分のみを顕現させる『部位召喚』である。通常召喚と異なるのは、これが実物をそのまま異界から呼び寄せているわけではないという点。その一部分をこの世界に投影し顕現させているため具現化に近い。そのため召喚獣に意思はなく自ら動くことはできないものの、そのパワーや能力はそのまま反映することが可能となっている。


「海神の神殿アトラス、巨人の手を召喚!先制はアトラスかぁ!?」


 白ウサギの実況が会場に響く中、アトラスがその掌に飛び乗ると、巨人の手は宙に浮かんだままイーサに向けて速度を上げた。風が、アトラスの浅葱色の髪をなびかせる。


 (まずは……手を見て後退したイーサと距離を詰め、そして──ん!?)


 いつの間にかイーサの手に杖が握られていた。漆黒のシャフトの先端に拳大の黄色の宝石が埋め込まれたものだ。


 (具現化……いやちゃうな、あれは空間転移か拡張次元から取り出したんやろな)


 実は別の場所にある物品を一度拡張次元へと転移させ、そこから取り出すというサラスヴァティーオリジナルの超高位魔法ではあるが、事前に準備しおけば誰にでも扱える難易度的には低い魔法でもある、ということをアトラスは知る由もない。


「なんやイーサ、それが巨兵の雷杖きょへいのらいじょうなら一般的な冒険者の使う杖やんか。そんなもんで戦ったってこの巫舞奉納ではいくらもダメージを」


 与えられへんで、と二の句を継ごうとしたところでアトラスは言葉を呑み込んだ。


 (なんやあれ……!)


 イーサが回転させ地面に突き刺した杖から飛ばした、電撃を纏った飴玉ほどの魔法。それはアトラスにも巨人の手にも当たるどころか見当違いの方向に飛んで行くと、遠く離れた舞台の隅にぶつかり頭がすっぽり入るくらいの穴を作り上げていた。

 アトラスはぎょっと目を見開き、ひとまずイーサから距離を取りつつその周りを旋回する。


「ちょちょちょちょちょい、なんでっかあれは」


 アトラスが穴を指さして叫ぶと、イーサは目をキラキラさせながら、


「うんごめん、ハズレたよ!でも上手く飛んでったね成功!」

「ちゃうわぁ!そんなん見ればわかりまっせ、ウチが言っとるのはなんであんな大穴が開いてるかってことやねん。と言うか、どこが成功やねん!」


 イーサははっとした様子で、杖を握りしめながら目を泳がせた。

 

「も、もしかして……べ、弁償ですか穴開けたから」

「そ」


 (……もしかしてこいつ……アホとちゃうんか)


「その通りやねん!あんな穴開けたら……」

「開けたら……?」

「こ……」

「こ?」

「今晩のおかず抜きになるでえっ!」

「えぇっ!!」


 アトラスも同じようにアホであった。アホラスである。

 心底ショックを受けたのか、イーサはがっくりと肩を落とした。


 (おかず抜きは言い過ぎたかもしれへん……おかず抜きは相当へこむでウチでも!いや、それにしても……)


 そんなバカな、とアトラスは思った。あの杖に込められた雷の魔法は初歩も初歩、一般的な魔力の持ち主が使えば当たっても軽く手に握った武器を取り落とすくらいの衝撃しか与えられない。それがどうやったらあんな穴が開くほどになると言うのか。


「あんなんまともに当たったら死ぬんとちゃうか」


 引きつった笑いを浮かべるものの、体にコーティングされた魔法で守られている以上、生命に関わる危険はまったくない。しかしそうとは分かっていても、あれを見てしまった以上、中途半端な中間距離での戦いは危険である。受ければ相当のダメージポイントを取られることは明白だからだ。


 (これはやはり超接近戦しかないやろな)


 当たれば致命的。こう相手に思わせることは、まさにイーサ側の思惑通りであったと言って良い。そうやって相手の思考を、選択肢を狭め、自身に有利な展開へと誘導することが戦闘では確実な勝利を呼び込む布石となる──もちろんこれはサラスヴァティーの教えである。

 が──

 アトラスは杖の第二撃が来る前に再び距離を詰めた。

 それも勝てるだけの実力があり、なおかつ実力が戦略に結びついてこそのことだ。

 巨人の手から飛び降りたアトラスは、イーサの正面に立ち、拳を構えた。巨人の手はイーサの背後へとその巨体を回り込ませていく。


「悪く思わんとってな。行くでイーサ」


 息を大きく吸い込み、小さなイーサに向けて右の拳を繰り出す。イーサはギリギリのところで避けるも、その脇腹に向けて間髪入れず左の拳をアトラスは放った。


『三』


 二人の顔の左斜め前でカウントが表示される。イーサは体を丸め両腕でガードしたが、その衝撃で数歩後退した。


「さあ、カウントダウンやでイーサ。そして──」


 下がったイーサの背後、その上空にはアトラスのタイタン・パームが待ち構えていた。


 ”【手揉揉】・紅葉レッドスタンプ


「これで終いや」


 タイタン・パームの巨体(巨手?)がイーサの頭上から勢いよく落ちてくる。

 会場から歓声が沸き、白ウサギの実況が飛んだ。イーサは一瞬の出来事に体が硬直したかのように動かない。


「これは早くも決まったかぁ~!」


『二』


 そして、土煙を上げながらタイタン・パームは轟音とともに舞台に落下した。


 × × × × ×


「あら、どうしました?」


 控え室の並んだ通路を、下を向きながら思い詰めたような表情で歩くアイリスに、係員は声を掛けた。


「あ!」


 アイリスは驚いて顔を上げ、係員を見ると恥ずかしそうに頬を赤らめる。


「あ、いえ、なんでもないんです大丈夫です」

「お手洗いの場所でもお探しですか」


 所在なさげに、と言うよりは不安そうな影を落としてアイリスは通路を何度も往復していた。それを数分前から通路の角から見ていた係員は、彼女がトイレなど探していないことはわかっていたが、会話のきっかけを作るために優しく訊く。


「いえ違うんです、わたし方向音痴ではないですから……」


 そう言った彼女の視線は再び自分のつま先に向けられてしまい、語尾は消え入りそうなほど弱々しい。


「あら申し訳ありません。そう言えばお友達のイーサさんはお手洗いの場所を訊かれたあと、教えた場所とは反対の方向に走っていかれましたね」


 すると、アイリスの表情に光が差すのが見えた。幾分表情が和らいだようだ。


「イーサは極度の方向音痴ですから」

「アイリスさんの試合はまだだいぶ先ですよね、お友達の試合はご覧にならないんですか」


 すると、またアイリスの視線が下がる。なるほど、と係員は内心頷く。


「まだ試合は始まったばかりですよ」


 そう言ってにっこり笑って見せた。


「ええ、でも……はい、もしイーサが負けたらとか、試合だと言うのは分かってるんですけれど、酷い目にあってたらどうしようとか……」

「心配なのね」


 アイリスはこくりと頷く。


「本当にお友達のこと好きなの伝わってきますよ、妬けちゃうくらいに」


 係員が微笑むと、アイリスは夕陽を受けたように頬を真っ赤にしてぶんぶんと首を振った。


「ちち違います、そう言うのではなくって……あの……イーサは大切な……本当に大切な家族なんです」

「それなら尚更、直接その目で見て応援してあげては?」


 アイリスは少し考え込んでいたが、やがて顔を上げると、力強く頷いて見せた。


「はい、そうします。わたし、イーサのこと応援しに行ってきます!」


 アイリスはありがとうございますと係員に深くお辞儀をしたあと、通路を駆けて行った。


 (本当に優しい子ね……)


「行ってらっしゃい、そして頑張ってねアイリス」


 係員はその背中にそっと呟くと、振り返って足を向ける。イーサとアイリスふたりの絆を見て自分の家族のこと──特に妹たちのことが脳裏に浮かんだが、微かなためいきとともにそれをかき消す。

 ひとつ目の角を曲がった時、係員の体は薄い光の膜に包まれ、その制服も髪型も、そして顔さえも一瞬のうちに変わっていた。

 伝統的な東方の島国の巫女服に、艶のある長い黒髪。

 彼女は控え室のドアを開けた。

 その部屋のプレートには、『』と──


「さて、イーサはどうなったかしらね。あの子、だいぶ強くなったから大丈夫だと思うけど。少し抜けてるところがあるから、そこは心配ね」


 係員の姿を捨てたキダクは、優しそうに目を細めるとその長い髪をかき上けた。

 

 

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