(12) 水神祭編【8】

「なんや、まだ子供やんか。それにしても、ルーキーのくせに先輩より遅れてくるなんてなめとんの?」


 ところどころ装飾を施し全身にフィットした浅葱色のライダースーツを身にまとった対戦相手のアトラスは、腕組みをしながら斜に構え、すでに舞台中央に立っていた。独特の威圧感が醸し出されている。何故かはわからないが、なんとなく裾の長いセーラー服にバットを持たせたら似合いそうだなとイーサは思った。


「わわっ、遅くなってごめんなさい!」


 白ウサギによる対戦者の紹介が行われる中、イーサは素直に頭を下げ、アトラスの顔を見上げた。イーサよりも二十センチは高いであろうその身長を支えるボディラインは細すぎず健康的で美しい。胸周りはサラスヴァティーやキダクほどにはないが、それでもイーサよりは女性的な稜線を描いている。


「今日はよろしくお願いします!」


 イーサは再び丁寧に頭を下げる。

 アトラスはつんと澄ました表情を作り、片目でイーサを見下ろしていたが、いきなり謝ったイーサを見ると、


「うん、まあええで」


 と徐々に表情を崩していき、最後には優しそうに口元を緩めていた。


「初めてやから緊張してへん?大丈夫?それにしても、よう見ると可愛いわ、ウチの妹並みに可愛いわぁ。自分、何歳なん?飴ちゃんあげよか」

「十歳です!」

「あらぁ、若いねんな。ウチなんかもうおばちゃんやんけ、かなんなぁ」


 明るい薄浅葱色のふんわりボブに澄んだ茶色の瞳。一見おとなしそうなその表情を力強い軌道を描く細い眉がキリッと締めている。


「アトラスさんはおいくつなんですか」

「あちゃあ、何言うとんねんこの子は。そうくるん?」


 アトラスは天を拝むように片手で顔を隠しながらも、「十六や、もうおばちゃん。ほんまに嫌やわぁ」


「え、そ、そうかな……」


 白ウサギのシェリルによる紹介が終わり、ドロシーの激励が飛ぶ。そして、飛影丸は相変わらず最後までセリフを言えないまま、対戦者たちの空気はなぜかふんわりしたまま、試合開始の鐘は鳴らされた。


「それでは巫舞奉納Aブロック第二回戦、アトラス対イーサ、はじめーっ!」


 その刹那、目の前に対峙してたはずのアトラスの姿が消えた。


「──え!?」


 無論、実際に消えたわけではない。イーサが単に目で追えてなかっただけである。


 (後ろ……!)


 気配だけはつかめたイーサは瞬時に身体全体に力を込める。がその直後、首の後ろに鋭い衝撃と痛みを覚え、視界にノイズが走った。

 シェリルの実況、湧き上がる歓声。そして自分の倒れる音を聞きながら、目の前に現れたカウントダウンを見る暇もなくイーサの視界は瞬時に暗転していった。


 × × × × ×


 カキツバタから滴り落ちる鮮血。

 サラスヴァティーの身体──カキツバタが貫いた五箇所の傷から流れ落ちる赤が地面を染めていく。

 輝きの消えた瞳。薄く開かれた唇。色褪せゆくサラスヴァティーの身体は、そしてゆっくりと崩れ落ちていく──

 それらを無感動の瞳で見遣りながら、シスイは呟いた。


幻雫げんなね……」


 その途端、文字通り色褪せていったサラスヴァティーの身体は、ただの水となって地面に零れ落ちていた。カキツバタに付着した血のりも赤を失い、無色透明の水となって、ついと流れ落ちる。

 振り返れば、そこには刺し貫いて殺したはずのサラスヴァティーが涼しい表情を浮かべて佇んでいた。なるほど、とシスイは思う。確かに開いた日傘はサラスヴァティーの目からシスイの姿を、カキツバタの存在を隠したが、それはまた逆も然り。日傘の向こうで彼女は、水で作り出した分身と瞬時に入れ替わっていたのだろう。あの程度の水量ならば具現化することは容易い。


 ──”水天術【幻雫】”

 具現化、もしくは操作した水を使用して実体を伴った幻を作り出す魔法。作り出した幻は操作して動かすこともできるが、一定以上の衝撃で水に戻ってしまう──


「水を操作するお得意の水天術──水を使うた身代わり、相も変わらずおもんないわあ」


 シスイは片手を口に当て、あくびを噛み殺した素振りを見せる。


「ぬしこそ、いつも通りえげつないのう。刀は使わないと言ったそばから、日傘の陰から連続突きとはの。わしでなければ死んでおったぞ」

「おおきに、褒め言葉として受け取っとくわ。まあでも、この程度で死んでるようでは、四聖天に次ぐ水の最強神なんて名乗れへんものね」

「そんなふうに名乗った覚えはないがの」


 サラスヴァティーはムラサメを鞘に戻す。そして、そのまま何も無い空間に押し込むと、刀は音もなく消え去った。


「わしはただの超絶最強美女、それだけじゃ」

「ただのねぇ……。先代水の四聖天だった水天のヴァルナ死後、次期水の四聖天に最も近いと言われながらも我関せずを貫き通してる……」

「ふん、わしが水の四聖天などおこがましいわ。そもそも、わしにはポコロン変換強化能力はないからの」


 水天のヴァルナに縛られすぎなのとちゃいますか、とシスイは思ったが口には出さない。どうせのらりくらりと躱されるだけだ。まあ、それは人のことは言えないが。のらりくらり躱すのはシスイの十八番である。

 水の四聖天であった水天のヴァルナは死んだ。。しかも禁を破って死んだのだ。だから何時、どこに転生するのかは誰にもわからない。水の四聖天が永らく不在なのはそういうわけだ。そもそも通常の神の死に方ではないのだから、本当に転生してくるのかすら確証はないと言うのに。

 遥か昔の話になるが、サラスヴァティーのいる水神の神殿は元々水天のヴァルナが祀られていたのである。それを──


「あぁ、ほんまにおもんないわぁ」


 心の奥底でピリピリとひりつく想いを無理やり檻に閉じ込めると、シスイはその代替行為のように日傘を地面に突き刺した。その衝撃で地面に亀裂が走り土石が舞い上がった。



 シスイは低く呟く。その言の葉は森を流れる風のゆらぎとともに消えていった。おそらくサラスヴァティーには届かなかったであろう想いとともに。


 (この心のゆらぎも消えればええのに!)


 シスイはカキツバタをサラスヴァティーに向け静かに叫ぶ。


「行くで。ウチが勝ったら──」


 そして、今までの何倍も強く、速く、地を蹴った。


「……てもらう!」


 × × × × ×


 はっ、と意識が戻り、イーサは自分が地に伏していることを自覚した。


 (何が……起きたの……?)


 確かアトラスと話をして、試合が始まって、アトラスの姿が消えて──

 記憶が戻るたびに周囲の音が明確になっていく。会場のざわめき、シェリルのアナウンス……ぼやけた視界の焦点が定まる。

 と、目の前に誰かの足が見えた。浅葱色のスーツにパンプス……これは!

 イーサは状況を一瞬で把握し、急いで起き上がる。と同時に後方に数メートル飛んでアトラスと距離をおいた。


 (そうだ、わたしすぐに攻撃されて……それで気を失ったんだ)


 初めての正式な試合であったが、イーサの頭は冴えていた。むしろ、練習でアイリスと戦った時よりも冷静かもしれない。


 (どうなったんだろ……わたしどのくらい気を失ってたのかな)


 すでにカウントダウン表示はない。アトラスを警戒しつつ、会場の大型モニターをちらりと一瞥する。が、特に何も表示されてはいなかった。


「八分と五十二秒」

「え!?」


 アトラスがイーサを視界に捉えたままモニターを指さして言う。


「イーサ、あんたが気ぃ失ってた時間やで」


 (そんなに!?)


 再度モニターを見遣る──確かに、アトラスの言う通りそのくらいの時間が過ぎていた。残り時間は十分と少し。まさか、もうわたし負けた……とか!?しかし、モニターに勝敗を告げる表示はなかった。


 (どう言うことだろ、わたし攻撃受けてないみたい)


「安心してええで、あんたが気ぃ失ってた間、ウチは何もしてへんから」イーサの内心を汲み取るかのようにアトラスは言う。「本来なら気ぃ失ってる間に攻撃して、試合を終わらせることもできてんで。これでわかったやろ、自分の実力が」


 (あんなに練習したのに、何もしないで終わるところだった……これがホントの試合なんだね)


 イーサは深呼吸をすると、頬を叩いて気合を入れ直した。


「うん、わかった!」

「なら、もう棄権しぃ。今の実力差なら、これ以上やっても同じやで」

「うん、ありがとうアトラス!でも棄権しない!」

「そうやろそうやろ、じゃあ白ウサギさん、お聞きの通り試合はもう終い──へ!?」


 アトラスはうんうんと頷いて舞台外のブースに視線を送るも、すぐに驚いてイーサを振り返った。


「今なんて!?」

「わたし試合頑張るよ!係員の人も応援してくれたもの」

「うん……そやね、せやけど実力差が……」

「大丈夫、甘だれより辛口のタレ!」

「いや、なんで急に焼肉の話になんねん!」

「うーんと……」


 イーサは考え込むようにこめかみに指を当てる。


「確か、適切な努力をすれば……むく……むく、ムクドリ」

「それを言うなら報われるやろ!」

 アトラスは心なしか疲れた表情を浮かべ、はあとため息をひとつついてみせた。

「雨だれ石を穿つ、やな、たぶん」

「あ、それだよ!アトラスさん天才!」

「そりゃおおきに」


 アトラスは一瞬目を瞑ってから、イーサに力強い視線を送った。


「どうしてもやる言うわけやね、ならもう手加減できひんよ」

「手加減なんて、そんなのわたしに失礼だよっ」


 イーサが珍しく頬を膨らますと、アトラスは意外そうな表情を見せてから笑った。


「せやね、悪かったわ。せやけど、もう残り時間は少し。どうや、一本取った方が勝ち、負けた方は潔く棄権する言うのは」

「うん、わかった!」

「戦う乙女に二言はなしやで」

「おう!」


 アトラスはまた笑った。そして急に表情を引き締めると、イーサを見据えたまま大きく息を吐き、ゆっくりと両手を合わせた。


「最初から全力で行くでイーサ」


 アトラスの魔力が溢れ出す。周囲の水ポコロンが彼女に集まって来るのがイーサにもわかった。


 ”召喚【手揉揉タイタン・パーム】”

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る