(11) 水神祭編【7】

「日傘でわしと戦う気かシスイ」


 サラスヴァティーはムラサメを鞘から抜くと、体を斜に構えシスイと対峙した。濡れたような刀身とはよく言うが、ムラサメは実際に水のように流動する薄い膜によって覆われている。これはムラサメに内包された魔法によるものである。鞘から抜くことで周囲のポコロンを吸収しつつ自動的に膜を形成し、攻撃時には所持者の意思と呼応して刃を覆う膜だけ消えるようになっていた。

 シスイはその刀身を見遣り、その幼くも見える美しい顔を少しだけ和らげてみせた。相変わらずの温い空気がそよぎ、木の葉に心地よいBGMを奏でさせている。


「昔ウチに負けたベンテンに、刀を使う必要があるとは思えまへんなあ。それに覚えてますのん、剣道三倍段、棒状のものを持つだけで剣士は──」


 瞬間、視界からシスイの姿が消えた──


「強いんどすえ」


 ──ように見えたが、無論サラスヴァティーは目で追えている。視界の左側から現れ日傘を振り下ろすその攻撃を、彼女はムラサメで易々と受け止め弾き返していた。

 押し返されたシスイは後方に飛び退き、日傘を数度振りかざす。と、そこから空を裂くようにして見えない何かが地面を削り取りながら向かってきた。が、それもサラスヴァティーはムラサメを横に一振り薙いだだけで呆気なく相殺させる。


「”紫水蒼燕流しすいそうえんりゅう飛燕ひえん】”か、久しぶりに見たが衰えておらんようじゃの。が、それも刀を使ってこその威力。ぬしはわしを馬鹿にしとるのか」


 ”飛燕”


 紫水蒼燕流中伝のひとつで、剣を超高速で振り抜くことにより発生する衝撃波を飛ばして攻撃する技である。上段から振り抜くことで下降軌道をとる”滝落とし”と下段から振り上げ上昇軌道をとる”遣らずの雨”、今のは後者だが圧倒的に技のキレがない。まるで燕が弧を描きながら上昇してくるような衝撃波は、敵の前進を止め、さらに後退を余儀なくさせるほどの威力を持つ。もしシスイが刀を使っていれば、サラスヴァティーの軽い一振りくらいで相殺できたものではない。全力で止めたとしてもダメージは受けていたはずだ。


「ベンテンがそれだけ強なったのやあらしまへんか」

「ふん、その名前で呼ぶなと何度言えば──」


 サラスヴァティーは地を蹴る。が、間合いを詰める前に、すでにシスイの姿が目前にあった。 その特殊な歩法と小さく軽い体躯の相乗効果による速さは、瞬きすら命取りになり兼ねない。

 視界の右側から突き出される日傘。


 (突き……!いや待て)


 超高速移動後の刹那の動作であったが、サラスヴァティーの目はしっかりと捉えていた。先程まで右手に握られていたはずの日傘が、左手にシフトされていることを。


 (おそらくは蒼燕流”横時雨よこしぐれ”──しかし左手じゃと!?)


 思考している時間はすなわち攻撃に隙ができる瞬間でもある。その一瞬の躊躇が、

 

 『


 × × × × ×


 サラスヴァティーとの距離を詰める前に、シスイは日傘を左手に持ち替えていた。無論、サラスヴァティーの視界からなるべく死角となるように、である。

 シスイはサラスヴァティーに剣術──紫水蒼燕流を教えているため、その技のほとんどは彼女も知るところではある。が、だからこそ普通とは少し違う動きを取り入れるだけで、刹那の虚を突くことが出来るのである。

 一瞬。

 それは生死を分かつには十分な時間。

 シスイは日傘を突き出した。サラスヴァティーの目に僅かだが感情の波が揺らいだ。


 ”紫水蒼燕流”──


 彼女は左手を僅かに動かす。同時に右手を後ろに──


 ──”【横時雨】”


 唐突に開かれる日傘。

 花のように広がった日傘の円がサラスヴァティーの視界を塞ぐ。

 その漆黒の花弁に向けて後方から力強く突き出す右手には、別の空間から呼び寄せた抜き身の長脇差しが握られていた。

 ムラサメを筆頭とする三剣一対の刀のうちのひとつ、


 『カキツバタ』


 シスイはその刀を影も残さぬほどの速さで突き出していく。

 ”【横時雨】”はひと呼吸の間に三段突きを繰り出す蒼燕流の中伝である。が、シスイが繰り出したのは実に五回。並の人間には日傘に同時に五つの穴が開いたように見えたであろう。


 (手応えは五つ・・・・・・)


 シスイは五段突きが全てヒットしたことを確信。

 日傘をゆっくり閉じる。

 さわさわと、木の葉のざわめきだけが世界に残る。

 日傘の陰から現れたのは、眉間、喉、胸、両腕の五箇所から血を流し立ち尽くすサラスヴァティーの姿──

 カキツバタで貫いた事により刀身に付着したサラスヴァティーの血液に視線を落とし、シスイは小さく息を吐きだした。

 を静かに見遣る彼女の目に、感情の揺らぎが漂うことはなかった。


 × × × × ×


 控え室のドア越しに舞台の歓声が聴こえている。続いて、実況を務める白ウサギの決着を告げる声が。

 終わった、一回戦が。次は──


 (わたしの番だ!)


 イーサが軽く両頬を叩いて気合を入れると同時にドアが開かれ、係員の女性が舞台に上がるよう告げてくる。彼女は力強くはいと返事をし、先導する係員の背中を追うように舞台へ通じる廊下をゆるりと歩み始めた。

 鼓動が高鳴る。胸に手を当て、対戦相手のことを思い浮かべる。相手はアトラス。昨年の新人巫女で確か二回戦まで勝ち進んでいたはずだ。イーサも観戦していたので薄らとではあるが記憶に残っている。序盤から攻めまくるタイプだったように思うが、もしかしたら違う巫女の記憶かもしれない。


 (自分がどれだけ戦えるようになったのか試すチャンスだよねこれは。アイリス、わたし頑張るよ!ししょー、観ててね!)


 そのが大変な状況であることを知る由もないイーサは、鼻唄を歌いながら通路を歩いていく。興奮してる為か、その頬は微かに上気していた。


「なんだっけこういうの、えっと、孤島噴煙?」


 その呟きを聞き逃さなかったらしく、一歩先を歩いていた係員が振り返る。その顔は確実に笑いを噛み殺しているようだった。


「島の火山でも噴火しましたか」

「え、あれ、ちがいましたっけ」

「もしかして孤軍奮闘ですか」

「あ、たぶんそれですね、えへへ。孤軍噴煙」

「煙は出さなくてもいいと思いますよ。それにちょっと今使う言葉ではないような気も。それにしても、新人巫女さんはたいてい緊張されるものなんですけれどね」


 あなたのような方は珍しいです、と若き係員は微笑んだ。


「それに、とても楽しそうですよ」

「はい、楽しみです!」


 イーサは顔を輝かせる。サラスヴァティーからの指導、シャルヴとの組手、アイリスとの練習試合、そしてキダクからのアドバイス。それら全ての成果が今まさに試されようとしているのだ。どれだけの事が出来るようになったのか、それを考えるだけでイーサは胸が踊るようだった。

 係員は通路の出口で立ち止まると、


「『雨垂れ石を穿つ』と言う言葉をご存じですか」


 そう訊いてきた。イーサは少し考え込み、


「甘だれ・・・・・・わたしは焼肉なら辛口のほうがいいです!」


 係員は目を丸くするも、優しそうに微笑んでイーサの背中をそっと押し出した。


「適切な努力を続けていれば必ず報われる、と言う言葉ですよ。さあイーサ時間です、楽しんできてください。あ、でも煙は出さないようにね」

「はい、ありがとうございます!」


 そう微笑みながらもイーサは心の片隅で何か引っかかるものがあった。

 あれ──?


 (この人、わたしのこと知ってる・・・・・・?)


 ウィンクをして送り出してくれた係員の顔を不思議そうに何度も振り返りながらも、イーサはすぐに気を取り直して舞台に駆け上がる。

 舞台の中央にはすでに対戦相手のアトラスが腕組みをして待っていた。イーサは一礼をする。と同時に白ウサギのシェリルが待ちきれなかったとばかりに高らかに叫んだ。


「さあ、一回戦の興奮が冷めやらぬ中、間もなくAブロック第二回戦の始まりです!」

 

 

 

 

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