(10) 水神祭編【6】

 そこに何があるわけでもないが、シンフォノアは空を仰いだ。昨年の巫舞奉納初戦、動くことも出来ず終わった記憶が呼び起こされる。対戦相手は違えど、その屈辱は今果たされたのだ。

 いつか、このバットガールのコスプレなしでも戦えるようになりたい、出来るだろうか、いや出来る!……そんな想いを胸にシンフォノアは歓声に包まれた客席を見回す。おそらくはもう控え室にいるであろう神殿の仲間たちの姿を思い浮かべながら、彼女は心の中でガッツポーズをした。

 そうして一息ついた後、シンフォノアは踵を返し倒れたままのクロームへと歩み寄った。


「ありがとうクローム、すごく楽しかったよ」


 そう言って手を差し伸べる。

 クロームはその手をじっと見つめた後、ゆっくりと握り返し立ち上がった。


「ありがとう……それは感謝の言葉、わかる。楽しい、それは?」


 首を傾けるクロームに、シンフォノアは笑顔を返した。


「楽しいは楽しいよ。心がこう、胸のあたりがね、ワクワクすると言うか、ウキウキすると言うか、自然と笑顔になると言うか、胸が弾むような……まあ、わたしの胸は物理的にあまり弾まないかもだけど」

「胸……」


 お互い無言で自分の胸を見下ろす二人。


「胸が弾んだら楽しい?」

「そ、それはもう、楽しいんじゃないかしらね、わからないけどねプルンプルン弾むほどないし!?」シンフォノアはエキドナやロンギヌスの豊満な胸部を思い出しながらこほんと咳払いをし、「と、とにかく、楽しいことは良いことなのよ」

「良いこと……うん、そうか」


 クロームの口元が上がり、目尻が下げる。ほんの一瞬だけ、表情が柔らかくなった気がした。いや、それは紛れもなく笑顔だ。


「そうそれ!」


 シンフォノアは嬉しくなって両手でクロームの手を包み込む。


「その笑顔がね、楽しいってことなの」

「楽しい……笑顔……」


 しかしクロームの表情はすぐに元に戻っていた。


「こらあ~!」


 その時ふいに上空から落雷のように声が響き落ちた。何事かとシンフォノアが見上げるよりも早く、二人の間に割って入るようにふわりと舞い降りたのは──フォステリアだった。どうやら背中の葉っぱのような翼で空を飛べるらしく、客席から飛んできたようだ。

 フォステリアは手を握りあっていた二人を引き離すと、腰に手を当ててシンフォノアの前に立ち塞がった。


「わたしの可愛い後輩に何してくれてるのよ」


 頬をふくらませ見上げながら睨みつけるその表情がたまらなく可愛く映り、シンフォノアは思わずその頭を撫でていた。


「わあ可愛い。妖精族の巫女さんですね、実際に間近で見るとほんとにキュートですね。昨日もお見かけしましたよ」

「えへへ、それほどでもぉ……って違うわこの敵め~!」

「あ、今朝はホテルの朝食を控えめに三人前でやめたフォステリアだ」

「そうそう、やっぱり試合があるから、と言うか乙女だし体重気になるわよねぇ……って、あなたはなんでいつもわざわざわたしの食料事情を暴露するのよクローム」

「ごめんねフォステリア。ボクは負けた」

「謝るとこそこ!?……まあ、よく頑張ったわよクローム。神殿の仲間として立派に胸を張れる戦いだったわ」

「フォステリア嬉しい?」


 フォステリアは苦笑しながら、


「うーん、そうね、負けたのは悔しいけど、でもクロームの成長した姿が見られて先輩としては嬉しいわ」

「そう、それなら良かった」


 今度ははっきりとわかるくらい、クロームは微笑んでいた。フォステリアもそれを見て微笑む。


「でも、次は──」


 クロームはいつもの表情に戻り、一歩前に出て言った。


「次は負けない。さっきのアレ、背中から飛んできた鉄球はたぶん三回目の──最後のスキルを使った攻撃」


 シンフォノアはこくりと頷く。クロームの言う通りだ。鉄球が当たらなかった時のために、あらかじめクロームの背後に最後のスキルで空気を圧縮してあったのだ。そして──いわゆる二段構えの攻撃だった。


「アレはもう覚えた、だから次は負けない。次に勝つのはボク、だからまた戦いたい」

「ええそうね」


 その時は、今度こそ本当の、シンフォノアのわたし自身の姿で──


「でもきっと次もわたしが勝つわ」

「ふん、それはどうかしらね」


 フォステリアは再び二人の間に割り込むと、シンフォノアを指差した。


「次はもっと強くなってるわよ、ウチの可愛い後輩はまだまだ成長途中なんだから、力も技も──そしてお胸もね!」

「胸も……!?」


 シンフォノアの心にクリティカルダメージを与えたあと、白ウサギのシェリルによるアナウンスが入り、戦いを終えた巫女たちは舞台を降りる。

 その去り際、クロームは思い出したように言った。


「そうだ、、ボクたちはトモダチ?」


 ──え!?

 シンフォノアは驚いて振り返る。わたしがシンフォノアであることに気づいていた──いつから?

 いや、そんなことはもう関係ない、か・・・・・・彼女は優しい瞳をクロームに向けると、にっこり微笑んで手を大きく振った。


「もたろん!ずっと、ともだちだよ!」


 【巫舞奉納】

 Aブロック第一回戦

 勝者・海皇の神殿 バットガール


 × × × × ×


「愛刀・・・・・・じゃと?あれはわしが貰い受けた刀のはずじゃがのう」


 サラスヴァティーが不敵な笑みを浮かべても、シスイは涼しい表情を崩さぬまま、冷静にコツコツと日傘の先端を地下室の床に突き立てている。


「そらおかしいわぁ。あらベンテンが勝手に持ち出したものではおまへん?」


「ふん、おかしいと言えば、あのイツクシマの神殿はぬしがわしから騙し取ったようなものじゃろ」


 シスイは驚いた表情を浮かべると、ショックを受けたように三歩ほどよろよろと後退し、他の神たちを見回した。


「みなはん聞きました?清純を絵に描いたようなウチに向かって、騙したなんて言うてますよ」


 しかしシスイの性格は皆知っているので、誰も口を挟まなかった。

 はあ、とシスイはため息をひとつ落とし、


「騙したなんて人聞きの悪いどすなぁ。あら正々堂々と決闘の末にうちが手に入れたんどす」

「挑発されて頭に血が登っとったわしも悪かったが、剣のみでの決闘──とは聞いてなかったの」


 シスイは心外そうに口を尖らせた。


「そら心外やわぁ。決闘の際に渡した同意書には、ちゃあんとそう書いておましたで」


 サラスヴァティーは眉を顰め、僅かに声を強めた。


「あんな小さい字で長々と十枚以上ある同意書なんて、あの状況で読むわけがなかろう」

「そら読まへんベンテン悪いわぁ」

「なんじゃと」


 二人の交錯した視線から火花がいつ散ってもおかしくない空気が醸し出され、ようやくネプチューンがその重い口を渋々開いた。無論、ポセイドンは無言だったし、オケアノスはその無言アーマーの陰から二人の様子をこっそり覗いているような状態だったので、自然とネプチューンが口を挟むしかなかった、というのが本音であるだろうが。


「まあ、読まなかったサラも悪いし、そんなやり方をしたシスイにも非はあったんだろう。どちらにしろ、詳しいことは知らんが何かやり合う気なら、地下室を出たらどうだ?巫舞奉納の第一回戦も終盤ぽいし、ここで何かやらかして上の舞台が壊れちまったら水神祭が台無しだ」

「ふん、それもそうじゃのう」


 シスイはつまらなそうにあくびを噛み殺したあと、


「まあなんであれ、ウチは刀を返して貰えるなら構いまへん」


 三柱を地下室に残したまま、二人は森に出る。


「わしに勝ったら刀は返そう。その代わり、勝てなかったらこの件は忘れるんじゃ永遠にの。ぬしは神殿、わしは刀を手に入れた、それでおあいこじゃ」


 深い森の奥で、木漏れ日をその身に浴びながらサラスヴァティーは振り返った。

 蒸した草の匂いと、温い風。湿度を帯びたサラスヴァティーの髪が微かに揺れる。


「ええどすよそれで。せやけどウチに負けたベンテンに勝てる道理があるとは思えまへんなぁ」


「どうかの」どこまでも涼し気なシスイを一瞥するとサラスヴァティーは左手を横に伸ばし、小さく叫ぶ。その──刀の名前を。「ませい!」


 その刹那、ざわっと音を立て、周囲の空気が左手周辺に吸い込まれていった。

 そして、その何もない空間から刀の柄が飛び出してくる。サラスヴァティーは現れた鞘の鐺を握ると、何もない空間からそれをゆっくり引き抜いた。

 それは天下六名剣としても名高い妖刀──

 シスイはそれを見て目を細めると、日傘をサラスヴァティーに向けて言った。


「元気そうで何よりどす。ほな返して貰うなぁ、その復讐の剣、を」

 

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