(8) 水神祭編【4】
闘技場の地下にはVIPルームがある。使用出来るのはいわゆる神と呼ばれる者たちで、出入りの際に人目につかぬよう、その部屋に繋がる地下通路の入口は闘技場から少し離れた森の中にひっそりと隠してあった。
アンティークな調度品が多く置かれた部屋は気品とともに落ち着いた雰囲気を漂わせており、中央には大きな円卓、四方の壁面には巫舞奉納の模様を逐一映し出す大型スクリーンがそれぞれ設置されていて、今も始まったばかりの第一回戦の様子がリアルタイムで映し出されていた。
サラスヴァティーが円卓で画面を眺めながら、果実の香りがするお酒のグラスを傾けていると、
「ありゃ、ポセイドンいないじゃん」
ドアを開けて入ってきた海神ネプチューンが、挨拶もそこそこに大きな声を張り上げた。彼女は紺碧の前髪パッツンツインテールにサンゴの髪留めをした、海神の神殿に祀られている眉毛に特徴のある女神だ。
「へえ、あの堅物が珍しく遅刻──」ネプチューンはそう言って横に目を向けた。「──なわきゃないか」
入口横の壁にもたれかかって腕を組んでいたポセイドンは、何も言わずちらりと視線を投げたあと、無言のままネプチューンの前に歩み寄っていく。
ポセイドンは海皇の神殿に祀られている海神である。ネプチューンよりも長身のサラスヴァティーよりも背が高く、常に鈍い銀色の全身鎧を纏っているため顔の表情はおろかその視線さえ、いやほとんど喋ることもないため性別すら判別することは難しい。その正体を知るのは神の中でも僅かだと言われている。
「いるじゃん」
ネプチューンは遠慮のない力加減でポセイドンの胸元をバンバンと叩き、
「もしもーし、ポセイドンくんキミね、いるならいるってもう少し自己主張、と言うか存在のアピールをだね──ん、なにかな?」
ポセイドンの兜が僅かに下に傾いているので、おそらくネプチューンを見つめているのだろう。が、言葉はなかった。
「どこまで無言なんだ、倦怠期の夫婦か。まさか醤油を取ってくれってことはないよな」
「やれやれ、久しぶりに揃ったかと思えば相変わらず騒がしいのうヌシは」
サラスヴァティーはシンプルなデザインラベルのボトルからお酒を注ぎ足し、画面を見たままグラスに口をつけた。
「ん、サラ、そう言うお前は相変わらずの手酌酒じゃん。いつになったら注いでくれる男が見つかるのかねぇ」
「ふん、余計なお世話じゃモジャ眉」
「まあ、お前にこの眉毛のステキさはわからんだろな。──で、お前は一体なんなんだポセイドン。おいおいさらに詰め寄るな、言いたいことがあるなら──」
「トライデントのことじゃろ、なあポセイドン」
「ん?そうなのか」
訊いてみるがやはり答えはなく、兜のスリットから僅かに覗くその瞳にも感情の揺れはない。ネプチューンはふんと鼻を鳴らすと、
「まあ、心配するな」
とポセイドンの腕をポンと叩き、円卓へと歩きながら片手を挙げた。
「そう言えばアタシもここに来るのは久しぶりだし、ポセイドン、お前と会うのはさらに何年ぶりか忘れたが──トライデントは元気だし、ちゃんと成長してるよ精神的にもな。だから安心しときな」
ポセイドンは無言だったが兜が上下に動いたので頷いたようだった。そして満足したのか、やはり何も言わずネプチューンのあとに続いて円卓の席についた。
「そういや今年は雷の神殿が参加してるんだって?殷雷だったか……確か天空神ウラノスの」
「そのようじゃの。水の神殿がいくつか来られなくなったと聞いとるぞ。それで他の属性の神殿にも声をかけたとか」
「で、そのウラノスとやらは?」
「殷雷の神官がウラノスが来られないことを伝えてきたそうじゃ」
「へえ、失礼なやつだな。初参加だと言うのに顔も見せないとはね、なかなかの大物感じゃん」
「ヌシはそういうところこだわるのう」
「神だろうがなんだろうが、そう言うのは大切だろ。アタシらみたいに長く生きてるなら尚更さ」
「そういうもんかのう」
「そういうもんさ。なあポセイドン」
画面に見入ってたポセイドンは顔を向けたが無言で見つめあっただけだった。
「……よく考えたらお前が一番失礼だわ」
「おっはよん!」
その時ドアが開いて新たな神が飛び込んできた。蒼のメッシュが入った金髪のツーサイドアップに、白のカーディガンの下にはなぜか黒いホルターネックの水着、そしてショートパンツにニーハイソックスという組み合わせの、少女のような神だった。
「おやおやぁ、みんなおそろいん」
腰に手を当て、片手でおでこにひさしを作って遠くを眺めるような仕草をする彼女の名はオケアノス。海流の神殿の神で、文字通り海流を司っている。ここにいる四柱の中では一番背が低いものの、平均値並の身長でありスラリと伸びた瑞々しい肌が眩しい。
「およー、サラスんはっけーん!」
オケアノスは向日葵のようにエネルギッシュな笑顔を振りまきながら、サラスヴァティーを背後から抱きしめる。
「お久しぶりーん、会いたかったよーん!相変わらずお胸ボインボインで羨ましいん」
「うむ、久しぶりじゃのオケアノス、息災で何よりじゃ。ヌシも胸周り成長しとるのではないか」
「いやーん、サラスんのエッチー。およよ、なにやらアルコールの匂いくんくん。オケアノんにもぜひ一杯」
「いやダメじゃ」
サラスヴァティーは顔をひきつらせながら急いでグラスの中身を空にする。
「えー、ケチケチサラス~ん」
「ヌシは昔酔っ払って海をめちゃくちゃにしたの覚えておらんのか。以前は海岸にあった海流の神殿は今は海の底じゃぞ。ヌシと四聖天のシンラには酒は飲ませないと言うのが神の絶対的な掟じゃ」
「がーん、オケアノん史上最大のショックを今受けましたん。もう立ち直れないんしくしく」
「平和な人生で何よりじゃな」
オケアノスはちぇーと言いながら、今度はネプチューンも背後から抱きしめ頬ずりをする。
「ネプチュんもお久しぶりーん!そのお眉も相変わらずキュートなのーん」
「お、そ、そうか……」
無理やり頬ずりされていたが、その言葉で満更でもなさそうな表情を浮かべるネプチューン。
そして最後にオケアノスはポセイドンの兜をペちペちと叩きに行った。
「ポセイどん」
と丼物と同じアクセントで発音してネプチューンから「いやその言い方カツ丼みたいになってるからな」とツッコミを受けつつ、
「うー、このメタリックボディが相変わらずステキなのん略してメタボん。でも夏は中が暑そうなのん汗ダラダラー」
ポセイドンはオケアノスを見上げたあと、微かに首を動かした。
「え、中は魔法でいつも適温サラサラお肌?さすがポセイどんなのん」
「いや何も言ってないだろ!」思わずツッコミを入れるネプチューン。「サラスヴァティーもお前もなんでその無言アーマーと意思の疎通が取れんてるんだ」
「えへへー、愛の力かなー」
「キモイなっ!」
「ま、なんにせよじゃ、これで残るはあとひとりかの」
最初のボトルを飲み終わったサラスヴァティーはアンティークの棚から、アルコール度数の高いお酒のボトルを手に取って言う。
「あー、それならー」
オケアノスは視線を斜めに上げて、指を一本立てた。
「さっき森の中で、日傘差して歩いてるあの子を追い抜いたのん」
そう言い終わるや否や絶妙のタイミングでドアが開き、その最後の一柱が姿を現した。
「こっちは気温が高こうても、蒸し暑うなくて助かるなぁ」
左手に黒の日傘をぶら下げたその神は独特なイントネーションの喋り方で優雅に微笑んだ。
東の島国からわざわざ足を運んできた、もちろん巫舞奉納初参加となるイツクシマの神殿の大神官にして、水属性最強の剣士としても名高い剣神シスイ。紫の前髪パッツンロングにまろ眉、同じく紫の袖が長いミニ丈の着物ドレスを身にまとっているが、身長はこの中では誰よりも低い。顔もどことなく幼さが抜けていないが、人は見かけによらない、いや、神は見かけによらないを体現しているのがこのシスイなのである。
「こんにちは、皆さんお揃いのようで。ベンテンも元気そうで嬉しいわ~。ウチほんまに会いたかってん」
シスイはベンテンと呼んだサラスヴァティーの前に立ち、見上げてにこりと微笑みかけた。サラスヴァティーのほうはと言うと表情を微かに歪め、棚の前で今手に取ったばかりのボトルをそのまま呷る。
「ふん、最強の剣士様とやらにそう言われたら光栄じゃのう。それよりその名前で呼ぶなとだいぶ前に言うたはずじゃが」
「あっそう。ところで──」
シスイはまるで意に介さずという涼しい表情のまま日傘で床をコツンと叩くと、そこにあったのがウエハースとでも言うようにいとも簡単に日傘の先端が床に突き刺さった。彼女は微笑んだままパンっと両手を合わせて懇願するように首を傾ける。
「そろそろ返して貰えへん?ウチの愛刀」
× × × × × × ×
物理的に体が重くなったわけではない。なにか、この感覚は──。
そうか、魔力だ!
魔力を使いすぎた時に覚える脱力感。だとすればこれは……。バットガール──もといシンフォノアの読みは当たっていた。なぜならクロームがこう言ったからだ。
「これはボクの固有スキルで『輝きの
「つまりわたしの魔力はもうそれほど残ってない、と言うことなのね」
「うん、そうなんだ」
「こらー!『そうなんだ』、じゃないでしょー!」
観客席からまたフォステリアのヒステリックな声が聴こえてくる。
「自分からスキルの説明してどうするのよー、アホバカクロームぅ!」
「おおっとぉ、クロームなぜか相手にスキルの説明してますよぉ。これは前代未聞の珍事です!どう思いますか飛影丸さん」
「ふん、分身の術を見せてや」
「さあこれがこの後の試合にどんな影響を及ぼすのか乞うご期待です!」
『スキル 』、とは──。
基本的に魔法は、魔力×ポコロンによる掛け算にて発動するもので、消費するのはあくまで吸収したポコロンである。魔力自体は減少することはない。それに対し、それぞれが持つ固有の『スキル』は、ポコロンとは無関係にいつでもどこでも発動できると言う強みを持つ代わりに、スキルによる個人差はあるものの使う度に魔力を確実に消費してしまう。当然、魔力がゼロになれば魔法もスキルも使えない状態となってしまう。ちなみに魔力は十分な休息をとる事でその者の持つ魔力の最大値まで回復するが、魔力がゼロに近づくにつれ強烈な脱力感に襲われることになる。
「ごめんねフォステリア」クロームはちらりと観客席を見たあと、呟くように言った。「なんで説明したのかボクはよくわからない、けれど、彼女にはスキルを説明したほうが良いと思ったんだ。そうやって戦いたいと思ったんだ。おかしい、セイメイはそんなこと言ってなかったのに」
昨日ちらりと見たフォステリアの可愛らしいキラキラした目は、きっと今頃逆三角形になってるだろうな、とシンフォノアはぼんやり想像した。いや今はそんなこと考えてる場合じゃない。
「ボクはキミに攻撃を始める」
クロームが静かに宣言する。その瞬間、背後に気配を感じてシンフォノアは振り返った。目の前に浮かぶ例の鳥。あやうく声を上げるところだった。いつの間にそこにいたのか、おそらく話している間に上空まで高度を上げて旋回したのだろう。
そして、一番の問題は鳥の口から棒状のものが飛び出しているのが見えたことだ。それはどう見ても形状的に銃口のようだった。
認識すると同時にけたたましい銃声が轟き、回避運動をとるシンフォノアの左足と左の脇腹を銃弾が掠める。
(うわ、やっぱり銃だったー!)
同時にスクリーンが現れカウントダウンが始まった。シンフォノアのスキルならば防御することも可能であったが、魔力を削られている以上無駄打ちは出来ない、残る魔力はすべて攻撃に回すつもりだった。
「さあ、クローム先制!攻撃がヒットしてカウントダウン入りましたっ!」
『2』
あの程度の攻撃なら、規定のダメージには届いてないはず。それならこの三秒は捨てて次の機会を──と、しかし横に飛んだシンフォノアをクロームの鳥は逃がさない。さらに回り込んで口の機関銃を撃ち始める。
(そりゃそうか、クロームにしてみればわたしにポイントを取られればそこで試合終了だものね)
いくら強化魔法で身体能力を強化していても、機関銃の弾幕をすべて避けられるほどのスピードはない。だからある程度の被弾は仕方がないのだ。ならいっそ──
シンフォノアは意を決して走り出した。鳥は無視無視、狙うはクロームのみ!
「ここでバットガール、鳥には脇目もふらずクローム目掛けて突進です!しかしこれは──」
当然、彼女は背中に銃弾の雨を受ける結果となった。
(痛たたたっ、痛いよぉ)
いくら緩和されてるとは言えそれなりに痛みはあるし、何より数が違う。
(背中がもげるぅ)
「でも!」
(バットガールはこんなことで弱音を吐かないよね)
”空を支配する
シンフォノアは目の前の空間に向けて足を踏み出し、数メートル先のクローム目掛け、いやその頭上を目掛け跳んだ。
『1』
くるりと体を丸めて回転、さらに半回転捻りを加えクロームの後ろにふわりと着地。
「バットガール、ここでクロームの背後をとったぁっ!」
これでクロームはシンフォノアと鳥を結ぶ直線上にいることになる。つまり鳥の銃弾はクロームが盾となって届くことはないはずだ。そして……。
(
シンフォノアはクロームの背後から、その右拳を力いっぱい振り抜く──
──はずだった。
が、拳がクロームの背中を貫く前に、シンフォノアは再び銃弾の雨に晒されていた。
それはありえないことだった。なぜ銃弾が当たるのか、考える暇もなくシンフォノアの右拳は銃弾の集中砲火を浴びて押し戻され──
『0』
無情にもカウントダウンが終わり、大型スクリーンに表示されたのは、
《クローム・96コンボ・12110ポイン》
「なんと鳥の銃弾がクロームをすり抜けたように見えましたが一体これは──!?さあ、そしてここでポイントを取ったのはクローム!これで一対一となりました!」
クロームはその結果をちらりと見遣ったあと、相変わらず無表情のままシンフォノアから距離をとる。
「ごめんね説明するの忘れてた。ボクの鳥──ガルーダベヨネットの放つ武器は、ボクの指定した対象物だけをすり抜けることが出来るんだ。ちなみにフォステリアはガルちゃんて呼んで可愛がって──」
「だまりなさいクロームぅっ!」
「へ、へえ……わざわざありがと」
つまり、クロームは自分自身を対象物と指定して銃弾をすり抜けさせたということらしい。シンフォノアは荒くなった呼吸を整えながら、背筋を伸ばして再度クロームと対峙した。これでポイントはイーブン。次で全てが決まる。今使ったスキルは一回のみだが、もはや残りの魔力はごく僅かだ。その脱力感で目眩を覚えたが、倒れそうになるのを懸命にこらえ、両足を踏ん張った。
大丈夫、魔力はゼロじゃない。幸いなことに、自分のスキルの魔力消費量は少ないし、使う魔法はダメージ系ではなくエンハンス系、しかも魔力量に頼らないエンハンス効果を生み出せる特殊な魔法だ。
でも……。シンフォノアは深呼吸をしてからクロームを力強く見据えた。
でも!
シンフォノアも心の中でエキドナとロンギヌス、そしてポセイドンに謝った。
(わたしもフェアな条件でこの子と戦いたい!もし負けたら……いえ、絶対勝ってみせます!)
シンフォノアもいつの間にか自分のスキルの説明を始めていた。
「わたしのスキルは『空を支配する
実はシンフォノアのこのスキルは風を操る部類に入り、属性としては雷である。そしてスキルは魔力の質の基本属性に拠る。しかし元々のインフォノアの魔力の質は水属性で、これは同じ神殿の巫女たちも知るところである。が、稀に二つの属性を持つ者が生まれることがあるのだ。それは遺伝によるところが大きいとされているが詳細は明らかとなっていない。この二属性の魔力を持つことを『
シンフォノアは脚に力を込める。
「クローム、わたしの魔力はもうすぐ尽きる。スキルは使えて三回かな。だから、次の攻撃を避けられたらもう打つ手がないわ。でもきっと勝ってみせるよ」
「思い出した」
クロームは横にガルーダベヨネットを呼び寄せる。
「こういうのを確か正々堂々と言うんだ。そして戦いが終わったあと二人は友達になる。トモダチ?よくわからないけど……ボクの見た絵本ではそうだった」
「ええ、奇遇ね、それわたしも読んだわ。バットガールの冒険第三巻──」
「「『二人のバットガール』」」
シンフォノアの声にクロームのそれが重なり、
二人の視線が交差する。
シンフォノアは口元を緩め、そして、今までで一番力強く大地を蹴っていた。
「行くよクローム!」
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