(6) 水神祭編【2】
「ふわぁ、戻ったらラヴィさんと交代だよ神殿グッズ売り場」
「イーサ頑張らないとね。わたしは神殿内の案内係、おじ様と替わらなきゃ」
「えー、アイリスも一緒に売り場やろうよぉ」
「はいはい、見学ツアー終わったらね」
「え、その頃には売り場も暇になってるんじゃあ…。あ、キダクさんぜひ一緒に」
「あら残念、わたしは書類のチェックしなくちゃいけないのよ。それとも交代する?」
「えー、紙系は学校のテストだけでお腹いっぱいですよぉ」
「イーサはクリケット饅頭でお腹いっぱいなだけでしょ」
「うわ、アイリス毒舌の巻だ」
「ならオレが手伝おうか?」
「いやダメダメダメ、シャルヴ破壊王なんだもん。この前売り物の水神湯のみ落として割ったじゃん三つも」
「うお、イーサ毒舌の巻かよ。でもまあ王ならカッコイーからいいか」
一通り屋台を巡り、アイリスたちがそろそろ神殿に戻ろうとしていた頃、その小さな事件は起きた。
人混みの中から突然ふわふわと浮かび上がった紐のついた真っ赤な風船。と同時に「あっ」と言う幼い少女の声が耳に飛び込んできた。どうやら持っていた風船を誤って手放してしまったらしい。
直後、子供の母親がジャンプをして風船の紐に向かって手を伸ばす──も、残念ながら掴むことは出来ず、風船は微かに揺れながらゆっくり高度を上げていった。
今ならアイリスでも魔法による身体強化でなんとか届く距離だが、その場所へ行くまでに数メートル、さらに人混みが邪魔していて動くに動けない。シャルヴならもっと高くまで跳べるはずだが、動ける状況でないのは同じだ。
「お母さん、風船…」
子供は恨めしそうに空を見上げて泣き始めた。母親は新しい風船貰ってこようねと宥めすかすも、子供はあの風船がいいとさらに泣き声を上げる。なんとかしてあげたいが、この状況では昇りゆく風船をただ見守るしか出来ない。
そう言えば闘技場の入口で風船配ってたっけと思い出してから、ふとイーサの姿がないことに気がついた。どこに行ったのだろう、まさかまたクリケット饅頭を買いに行ったのかしら、と周囲を見回したその時、ふいにアイリスの頭上を影が通過した。
「えっ!?」
視界のはるか上部に、まず足が見えた。
セーラー風ワンピースからスラリと伸びた脚。花柄をあしらった白のサンダルと造花をアクセントにしたハットからこぼれるおさげ。
影は、一人の少女だった。
少女が頭上を跳んでいたのだ。
しかしその少女はアイリスたちのさらに後方からジャンプしたらしく、おそらくは魔法をつかっているであろう跳躍力もすでに重力に負け始めていた。
あ、人混みに落ちる!
とアイリスが思ったその刹那、おさげの少女は宙を蹴った。まるで、そこに見えないジャンプ台があるとでも言うように。しかし実際、彼女の身体は翼を手に入れたかのように高度を上げていた。
そしてさらに一歩、
二歩、
力強く空を蹴る。
それは一瞬の出来事のはずであったが、その場にいた人々を魅了するのには十分な時間だった。誰もがその優雅な空中歩行を固唾を呑んで見守っていた。
三歩目を跳んだ時、少女の手が風船を繋ぐ紐に触れた。が、惜しくも掴むことは叶わず、少女は四歩目を蹴ってくるりと身体を反転、再び風船に手を伸ばす。今度は距離もタイミングもバッチリだ。
そして少女は見事に風船をキャッチ──のはずだった。
が、突然何かがおさげ少女の前を横切った。
そして、横から飛び出してきたその影がするりと風船を攫っていったのだ。
少女は、えっと驚きの声を上げ、その手になんの戦利品も持たぬままふわりと着地する。
風船を手にしたのは新たに登場したもう一人の少女だった。バターブロンドの外ハネボブに蒼い瞳、ショートパンツにショートブーツという格好で、全体的に黄色と白に配色された鳥の姿を模した機械的な物体の背に跨っている。デザイン的に鳥の頭部であるところの口からは棒状のなにかが突き出し、こんもりと膨らんだ背中には両手で握れるハンドルが二つ、外ハネ少女がそれを握っていることから、それが空を飛べる乗り物であることは明らかであるように思えた。おそらくは魔法により具現化したものだろう。
おさげ少女は最初戸惑った表情を見せたが、すぐに笑顔になって外ハネ少女を見上げた。
「まさかわたしの他にも風船を追ってくれた人がいたなんて…。ありがとう、金髪のあなた!」
風船を逃がしてしまった子供も、その母親も、そして周りにいた人たちも、ぱあっと表情が明るくなる。アイリスも良かったとほっと胸をなでおろしていた。
がしかし──
外ハネ少女の一言で彼らの表情は再び曇ることになる。
彼女が風船を見たあと、首を少しだけ傾げてこう言ったからだ。
「これはボクが捕まえたからボクのもの?」
誰もが呆気にとられる中、外ハネ少女は地上に降り立ってからも同じセリフを、あまり抑揚のない喋り方で誰にともなく口にした。
「そ」
それは違う、とアイリスが言うよりも早く、おさげ少女が先に口を開いていた。その垂れ気味の可愛い目は優しさを湛えたままであったが、口調は毅然としていた。
「わたしは
「ボク?」
外ハネ少女は再び首を傾ける。
「ボクは…
抑揚が乏しく、思っていることを整理せずにそのまま口に出したような感じだった。
「付喪神…って何ですかキダクさん」
アイリスが小声で訊くと、
「簡単に言うと、想いの強くこもった物品が長い年月を経て神として生まれ変わったものよ」
と教えてくれた。なんでも、生まれたばかりの付喪神には物品だったころの記憶もほとんどなく、感情も乏しいままで、喜怒哀楽が備わるまでたくさんの経験と時間が必要らしい。
「つまり赤ちゃんみたいなもの、ということですか」
「うーん、端的に言うとそうかもしれないわね」
それならば、あの喋り方も風船への対応も納得できるような気がした。それは空を跳んだ巫女、シンフォノアも理解したようだった。彼女は笑顔を取り戻して、
「あなた付喪神なの。奇遇ですね、ウチの神殿にも付喪神の巫女がいるんですよ」
ところがクロームは特に意に介した様子もなく、そもそも彼女に興味がなかったのか風船を両手で押したり形を変えてみたりしている。それでもシンフォノアは辛抱強く続ける。
「けれどもクローム、この風船はあちらのお子さんの持ち物で」
クロームがちらりと親子を見やると、子供が不安そうにこくりと頷いた。
「これは空を飛んでいた。捕まえたのはボク」
「そう、そうね。捕まえたのはあなたで間違いないわ。でも、持ち主はあの子なの。間違えて逃がしてしまったのよ」
「間違え……そうなの?」
クロームはそこで初めて興味を持ったようだった。彼女は風船を両手で抱えたまま、子供の前にしゃがみ込む。
「それは問題。そこにあるべきものはあるべき場所へ、セイメイも言ってた。ボクはボクの還るべき場所を探す、だからこれがキミのものなら、キミの元へ還るべき」
そして、ようやく風船を子供の前に差し出し──
とその時、
クロームはそれが割れるものだとは知らなかったに違いない、だから少々力を入れすぎていたのだろう、風船は子供に届く前に軽い破裂音とともに四散していた。
「あ」
という声が周囲から一斉にもれた。親子は少しだけのけ反ったもののそれほどの驚きを見せはしなかったが、その後のクロームの行動には目を丸くしていた。と言うよりもその場の全員が付喪神の予想外の動きに驚きを隠せなかった、という方が正しい。
クロームはまず、
「爆弾!」
と叫んで子供を抱き寄せたのだ。そしてその無事を確かめてから立ち上がると、親子とシンフォノアに自分の後ろに隠れるように言いつけ、さらにその場の全員に伏せるように付け加えた。
「気をつけて、敵の攻撃!」
その表情は相変わらず感情に乏しかったが誰よりも真剣な眼差しで左右を見渡していた。
無論、割れたのは風船で敵などいないのだが、クロームはそれを爆弾だと思ったらしく 臨戦態勢を解こうとしない。シンフォノアはと言うと、彼女は先程までとは打って変わった緊張した表情──と言うよりも何故か赤面していた──で、子供とクロームと周囲を交互にキョロキョロと見回していた。
周囲はしばらく静まり返っていたが、やがてざわつき始め──
そんな不思議な状況の中、イーサは戻ってきた。
「お待たせ!」
おそらくユカタの裾をたくしあげて走ってきたのだろう、息を切らせながらも子供のそばでいつもの笑顔を見せるイーサの右手には、紐のついたピンクの風船が握られていた。闘技場まで走って貰ってきたに違いない。
「イーサ!」
彼女はアイリスに気がつくと小さく手を振る。そして、子供に風船を手渡した。
「はいこれどうぞ。赤がもうなくなっててピンクだけどごめんね」
その後どうなったかと言うと、クロームが「それはさっきの爆弾、つまりキミが敵」とイーサに向かって行こうとするのをシンフォノアとキダクが止めに入り、五分以上かけて状況を説明して(風船の仕組みに三分費やした)、やっと事態は収束を迎えたのだった。
新しい風船を手に入れた子供は笑顔を取り戻したし、結果はどうであれ風船を取り戻すために奮起した二人の巫女と、子供のために走ったイーサにはみんなから拍手が送られ、シンフォノアはそんな拍手の雨に打たれつつも赤面したまま、そそくさとその場を後にしたのだった。
一方クロームは後からやってきたフォステリアと呼ばれる可愛らしい同じ神殿の巫女に引きずられるようにして連れていかれたのだが、引きずられながらも子供にこんなことを言っていた。
「もしその爆弾が爆発したらいつでも呼んで。ボクは敵と戦う」
爆発してからでは遅い気がするとアイリスは密かに思ったが、子供はうんと強く返事をし、笑顔で「お姉ちゃんありがと!」と手を振った。
もちろんクロームは無表情のままだったし、そのありがとうをどの程度理解していたのかはわからなかったが、子供につられていつの間にか振っていた自分の手を不思議そうに見つめた後、「ありがとう……この言葉は少し温度がある?」と首を傾け、また問題起こしてと呆れ顔だったフォステリアに、「うんそうだね」と微笑みかけられていた。引きずられながら。
「もう次からはわたしのそばを離れないでねクローム。あと、戦い以外での魔法禁止!き、ん、し、わかった?」
「うん、わかった。次からは屋台のクリケット饅頭に夢中で周りが見えてないフォステリアのそばを離れない。フォステリアは三個食べてた」
「その情報いらないから」
「間違えた、四個に訂正」
「うるさーい!」
それを見ながら、大食いならウチのイーサも負けてないよね、と思うアイリスだった。
× × × × × × ×
頬を赤く染めながら走り、シンフォノアは近くに待機していた仲間と合流した。
「ふわぁ、恥ずかしかったぁ。夢中で風船追ってたら、たくさんの人に囲まれてましたよぉ」
「やれやれ、ここから見てたけどアンタたちコントでもやってたのかい」
「ひゃあ、見てたなら助けてくださいよぉ」
「だいたい、アンタあがり症だって言うのに、あんな衆人監視の中しかもそんな格好で空駆けて、パンツ丸見えだったんじゃないのかい」
「ひゃっ!」
シンフォノアが今更のように赤面してお尻を押さえると、エキドナはやれやれと笑ってみせた。
「アンタはここぞという時の集中力は凄いけど、その分周りが見えなくなる傾向があるからねぇ」
「うぅ……言葉もないです」
「まあ、それはそれとして、なかなか面白い見せ物だったよ、ねえロンギヌス」
ロングの赤髪をサイドアップにし、ベリーダンス衣装のような妖艶なドレスに身を包んだエキドナは派手な扇で扇ぎながら、口の端を僅かに持ち上げた。
その隣でいつもの無表情を貼りつかせたロンギヌスは、
「うんそうだな、どこが面白いかと言われたらわからない」
「なんやそれ」
シンフォノアがツッコミを入れようと手をロンギヌスの方に向けるが、ロンギヌスはさっと避け、
「シンフォノア、そんな遅い攻撃では当たらないぞ」
「いや違うからもぉ、ツッコミだから今のはロンギヌスったら」
「そうか、それはすまない。ところで今の喋り方はなにかの呪文なのか。そもそもツッコミとはどんな攻撃なんだ」
「うん大丈夫、気にしないで」
先程のクロームと同じくロンギヌスも付喪神である。元々は槍だったらしい。クロームよりは先輩であるがまだまだ成り立てであり、言わば付喪神一年生である。プラチナブロンドのショートボブに、女性のラインを強調したあまりにも露出度の高い鎧、そしてマント。戦場以外では完全に浮く格好だが、本人はそんなことに頓着していないようで、おそらく裸でいろと命令されたらその場で全部脱ぎ捨てるに違いない。
「そういえばあの子、クロームって言ったかい」
エキドナは扇をパチンと閉じ目を細めた。
「殷雷の神殿なら雷属性の可能性が高いね。だとすれば水属性の魔法は不利……だけどあの子、空飛ぶ乗り物を具現化する魔法を使ってたよねぇ。それなら天を駆けるアンタとは相性が良さそうじゃないか、ねえシンフォノア」
シンフォノアは凛とした表情に戻り、こくりと頷いてから小さくガッツポーズをしてみせた。
「ええ、空中戦なら負けませんよ。明日は必ず勝ってみせます!」
× × × × × × ×
そして翌日、水神祭二日目。ついに『巫舞奉納』が始まる。
Aブロック第一回戦
バットガールVSクローム──開戦!
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