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 水神祭。

 水神の神殿主催で毎年夏に行われる、豊作を祈願するお祭りである。川、すなわち水の恩恵によって農業の成果は変わると言っても良い。太古より文明が河川に沿って栄えてきたのは川の恵みが何よりも重要であったためだ。

 サラスヴァティーは元々川の神である。同じ流れるものと言う意味で言葉や音楽の神として祀られてはいるが、水を司る神と言うのがその根底にある。もっともサラスヴァティー自身音楽は好きであり、また祭事も好ましく考えているらしい。言動は自由奔放ではあるが他の神々からも一目置かれており、民衆からも特に愛されている神なのだが、それを祀る神殿が決して大きくないのはサラスヴァティー自身の意向とも言われている。

 神殿の規模はともかく水神祭自体は有名で、国内だけに留まらず国外の神殿関係者も来訪するくらい大規模なものである。その目玉のひとつが幾つかの神殿の巫女たちによる、『巫舞奉納ふぶほうのう』と呼ばれるいわゆる神殿ごとの対抗戦で、個人戦かつトーナメント形式でその年のもっとも優秀な巫女を決めることになる。戦いではなく奉納なのは、あくまでも神前であり、神に巫女たちの舞を献上すると言う精神から来ているためだ。元々は神楽の優美さを競うだけのものであったが、霊的なものや魔物たちを相手にすることもある巫女の戦闘技術が発達してきたこともあり、いつしかその技術を競い合う場へと発展して行ったのだと言う。


「水神祭、楽しみだねアイリス」


 イーサがペンを指先でクルクル回しながら小声で話しかけてくる。ホームルームとは言え、担任のフォルトゥーナ先生──一時期彼氏と別れた影響で体重が増えたため男子にぽっちゃり子先生とか呼ばれていたけれど今は元に戻っている──が夏休みの注意事項を説明していると言うのに、イーサはのんきなものである。


「クリケット饅頭の屋台出るかなー」


 明日からはどの学校も夏休みを迎え、その期間中に水神祭が開催されるため村や神殿はかなり賑わうことになる。お祭り行事の例に漏れず毎年いろんな屋台が出店されるのだが、イーサの言うクリケット饅頭もそんな屋台で売られている名物のひとつである。

 クリケットは身長が人間の子供程度、二頭身の愛らしい容姿をしている種族で、犬で言えばビーグルやスパニエルのような垂れた大きな耳が特徴の、いわゆる亜人種である。知能もかなり高くクリケット語の他には人間語も含むいくつかの言語、さらには魔法までも扱える。そのため神官として従事する者もいるらしく、昨年とある神殿の神官として祭りに参加し話題をさらっていたのが記憶に新しい。そんなクリケットの顔の焼印が押された饅頭がクリケット饅頭である。中身はあんこが入っているもの、肉と野菜の入っているものなど数種類ある。ここ数年は愛玩動物のポロンをデザインしたポロン饅頭というものも販売されるようになり、アイリスのほうはポロン饅頭をふたつ買おうと密かに楽しみにしていたのだが、いやでも…最近ちょっと太ってきた気もするし…やっぱりひとつにしておこう、刹那で山と谷の感情を作り出し、アイリスは嘆息した。


「あれ、どうしたのアイリスため息なんかついて」

「あ、ううんなんでもない大丈夫だよ。それよりイーサは羨ましいな」

「え、そう?──あ」


 イーサはなにかピンと来たのか、鼻を鳴らす勢いで、


「大丈夫心配しないで、わたしお小遣い貯めてるから、アイリスにもお饅頭買ってあげるね!」

「あ、ち、違っ…お小遣いはわたしも貯めてるから大丈夫だよ。少ないけどお給料貰ってるし」アイリスは苦笑する。「そうじゃなくてほら、えーと…イーサってわたしの何倍も食べてるのに全然太らないなぁって」

「え、お小遣い足りないのかと思った。なーんだ、でもわたしそんな食べてるかなぁ?おじ様にはたくさん食べなさいって言われてるし、アイリスだって、と言うかアイリスのほうがわたしより痩せてるじゃん。モデルみたいだよぉ、ほら、昨年の巫舞奉納にもモデルみたいな綺麗な人がでてたじゃない、あの人にも負けないくらい綺麗だもん」

「え、そ、そんなこと…ないよ…」


 アイリスは顔が熱くなるのを感じながら少しうつむき加減で、ちらりとイーサを見遣る。可愛らしいつぶらな瞳に、健康的な身体。いつも優しくて、時々抜けてるかもしれないけれど、アイリスはそんなイーサが大好きだ。そんな女の子になれたら良いなと思っていた。それに比べて自分はどうなのだろう。


「あのねイーサ、ホントはね違うのわたし、ちょっといろいろと考えちゃって…。あのね、この前の剣術のお稽古で、お師匠さまにたまには肩の力を抜いても良いのじゃぞって言われちゃった…」


 イーサはいつもの笑顔のまま首を僅かに傾けたが何も言わなかった。アイリスは下を向いたまま続ける。


「ごめん、何言ってるかわからないよね。魔力の量って成長とともに増えることもあるけど、わたしの魔力の質から言ってそんなに増えないんじゃないかって、弟子として初めて修行に入る時にお師匠さまに言われたの」

「え、そうなのそれは初孫」

「初耳ね」


 サラスヴァティーはこうも言っていた。イーサの魔力の質は、心身の成長とともに増えていくタイプであると。


「頑張っても意味ないのかな……」


 ぼそっと呟くが、イーサはちゃんと聞いていたようだ。


「そんなことない、そんなことないよアイリス。ししょーは言ってたよ、毎日の積み重ねは嘘をつかないって。サボってるのを例え神様が見てなくても、自分の心と身体は見ているんだって。だから、自分で頑張ろうと決めたことは、毎日頑張らなきゃいけないんだって」

「でも、だってお師匠さまは…」


 イーサはにこりと微笑むと、椅子に背をつけてだらんと力を抜いた。


「うーん、たぶん、こういうことじゃないかな」


 そう言ったイーサは脱力したように手足を投げ出し、よだれを垂らしそうなくらい口を開け、なぜか幸せそうに遠い目をしていた。


「えっと…イーサ?」


 やがて正気を取り戻した彼女は、#自然薯__じねんじょ__#だよと嬉しそうに言った。


「山芋?」

「あ……えと、なんだっけ、し、しぜん…」

「自然体?」

「うわアイリス天才」

「あ、ありがとう。読み方違うのによく間違えたね」

「あのね、ししょーが自然体が一番大切なんだって。わたし、ぬしはいつも自然体で羨ましいのう一歩間違えばただのアホじゃがのって言われたよ。つまり、アイリスもこうやってボーってすればいいんじゃない?ほら見て、こうだよ──」

「あ、その顔はもう大丈夫。それに、わたしその顔になるのは…なんかイヤ…かも」


 イーサはショックを受けたような表情を一瞬だけ見せたが、すぐに口元を緩めた。


「大丈夫、アイリスはアイリスだよ。わたしはいつものアイリスが大好きだし、いつも頑張ってるアイリスを尊敬してるもん」


 さらっとそんなことを言えるイーサを、アイリスは心底羨ましいと思う。


「ししょーだって最初に言ってたじゃん。それぞれに合わせた戦い方を教えるって。それってつまり、アイリスはアイリスらしくってことじゃない?」


 あ──


 ──『魔力は少なくても心配無用じゃ、ぬしだけの戦い方を覚えれば良い。そのための剣じゃ』


 そうだ、わたしは…。


 ──『ぬしは生まれつき特殊な力を持っておる。それがぬしの大きな力となろう。じゃから、魔力のことなぞ気にする必要はないのじゃ』


 わたしは忘れていた…。


 ──『アイリス、たまには肩の力を抜いたらどうじゃ。ぬしは、ぬしの良いところをもっと自分で知るべきではないかの。わしのような超絶天才女神に比べればそれは劣るのは当たり前じゃが、失敗しても出来ないことがあっても良い、それが人間というものじゃろう。不完全だからこそ美しいのじゃ』


 アイリスはゆっくりと息を吐く。


 ──『これからぬしらはわしの弟子として修行を始めることになる。いずれ神殿の巫女として魔物や霊的なものとも戦うことにもなろう。が、その前にひとつだけ問うておく。ぬしらはなんのために戦う?──いや、口に出さんでも良いぞ。良いか、今後どんな戦いに身を置こうとも、今のその気持ちを忘れるでないぞ』


 わたしはわたしらしく。

 アイリスはイーサを見つめ微笑んだ。

 もう二度と、あんな想いはしない。戦い方を知らなかったとはいえゴーレム戦で結局なにも出来なかった自分。この先、どんなことがあっても、今度こそ自分の力でイーサを守る。わたしは、そのために戦うんだ。だから、魔力が少なくたって構わない。自分に出来ることをするだけだ。

 ふいに、ごほんと咳をする音がした。

 いつの間にかフォルトゥーナが二人の傍に立っていた。


「あ」


 二人の声が揃う。


「先生のお話、聞いてくれてたかな二人とも」


 アップにした金髪と、優しそうな垂れ気味の目。生徒たちに人気の先生が腰に手を添えて仁王立ちをしている。


「特に、アホ顔してたイーサ。先生、今なんて言ってたかしら?」


 イーサの前に顔を突き出すフォルトゥーナ。


「え、えっと…先生、自然体でいたほうが良いと思う。あまり怒ってるとお肌によくな」


 あらありがとう、とフォルトゥーナは微笑み、次の瞬間その微笑みに氷を追加した。


「はい二人とも夏休みの宿題追加ね。水神祭のレポートを書いてくること、以上ホームルーム終わり!みんな、楽しい夏休みをね!」


 一部始終を見てクスクスと笑っていたクラスメイトたちは一際元気な声を出しながら教室を去っていく。

 フォルトゥーナに背中を叩かれながらアイリスもイーサも学校を出た。増えた宿題に口を尖らせるイーサを笑いながら後ろから抱きしめ、アイリスは見上げる。

 そこには夏と新たな挑戦の始まりを祝福するかのような、どこまでも突き抜ける青空が広がっていた。

 (ありがとう、イーサ)


 そして一週間後、水神祭は開演の幕をあげる──。

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