(3)

 とは言え平日の学校と休日の巫女としての仕事もあり、弟子としての修行をする時間を考えるとかなりハードな毎日であったから、イーサとアイリスにとっては決しておめでたくはなかったかもしれない。しかし二人は、神の弟子として修行出来るという予期せぬ展開に純粋に喜んでいたし興奮もしていた。彼女たちの父親代わりでもあるヴァルマとしては嬉しくもある反面、心配でもあったようだが、少女たちの可能性を摘み取ってしまうことにならぬよう、陰ながら見守ることにしたようだった。無論、魔塔大戦に巻き込まれるのは危険であると最後まで頑として首を縦に降らなかったヴァルマであったが、危険な敵とは当然自分たちが戦うので心配はいらぬとサラスヴァティーに説得され、渋々了承したのであった。

 サラスヴァティーはと言えば、新しい弟子たちにも師匠と呼ばせては満悦な笑みを振りまき、実際のところ誰よりもおめでたく思ってたのはおそらく彼女なのであろうと思われた。


「ほれ、もういっぺん師匠と呼んでみせるのじゃ」

「ししょー!」

「お師匠さま!」

「うむうむ、良い響きじゃのう。アイリスの『お師匠さま』もなかなか新鮮で偉くなった気分じゃの」

「なんだよー、俺だっていつも師匠って呼んでるじゃん」

「シャルヴのはもう聞き飽きたわ」

「なんだよこのバカ師匠!」

「ぬおっ、神の美しい臀部に飛び蹴りをするでないこのバカ弟子が。形が崩れるじゃろが」

「いいじゃん、どうせ言い寄ってくる男もいないんだし」

「何を言うとるのじゃ、見よわしのこの美しさと神々しいオーラを。みんなこの超絶美貌に腰が引けて寄ってこんのじゃ」

「そうだよな、触らぬ神に祟りなしって言うし…」

「祟らんわ!」


 サラスヴァティーは一度、イーサとアイリスに訊かれたことがあった。


「ししょーはなんでししょーって呼ばれると喜ぶのアホみたいに」

「イーサ、ダメよそんな言い方良くないわ。お師匠さまは時々アホ面になるかもしれないけど決してアホじゃないもの」

「さらっとひどいこと言っとるぞアイリス…。まあ…なんと言うかのう…昔、とある友人に剣術を習うことになっての。そやつに『教えてやるから師匠と呼べ』みたいなことを言われてのう…ああ、今思い出しても腸が煮え繰り返ってくるわ」

「うわぁ、ししょーのこめかみピクピクしてる」

「良いかアイリス、この先例え誰かに本格的に剣術を習うことになったとしても、東方の小国に住むシスイという性悪女だけには決して習うでないぞ。あやつ、見た目は可愛いが中身はとんでもない女でのう、何度嫌がらせをされたことか。なにが『大丈夫よ剣の才能なくてもわたしの百万倍努力すればわたしの足元くらいには届くから頑張ってねオホホ』じゃ!しかも棒読みじゃったわ!」


 後にアイリスは語る。この時のサラスヴァティーは今まで見たこともないほど悔しそうに歯ぎしりをしていたと。


「だから師匠と呼ばれるとあやつを見返した気分になって気持ちが良いのじゃふはは」


 後にイーサは語る。この時のサラスヴァティーは誰よりも器が小さく見えたと。

 だが実際問題として、とサラスヴァティーは考える。塔の魔物たちと戦うことを考えるのならば、やはり将来的にはアイリスをシスイに任せるのがベストの選択肢に思えた。少なくとも剣術において、黄道十二柱の一柱でもあったシスイに勝る者は思いつかない。

 そもそも、サラスヴァティーの得意とする戦い方は剣術ではないのだ。あくまでも戦いの幅を広げるための剣術習得である。水ポコロンを使用する魔法を得意とする水属性の神々の、おそらくは頂点の一角を担っているであろう彼女の得意とする戦型は、『水天術すいてんじゅつ』と呼ばれる水そのものを操る魔法だ。その中でも複雑な魔法陣を舞の動作によって置換、簡略化することに成功した『龍神ノ神楽たつがみのかぐら』と呼ばれる水天舞闘術は彼女オリジナルのスキルである。

 器用でバランスの良いアイリスには剣術の基礎、そしてイーサにはこの『龍神ノ神楽』を教えるつもりでいる。と言うのも、魔力の制御が得意なアイリスには近接戦闘の剣プラス支援魔法による中・近距離の戦型が、膨大な魔力を持つイーサには圧倒的な攻撃力を活かせる水天舞闘術によるオールレンジの戦型が適していると見たからだ。何より、イーサの魔力の質と彼女自身に備わっている、おそらくはサラスヴァティーしか気づいてないであろうあの特質。

 あの時──

 神殿の地下で彼女たち三人が御神刀の魔法を発動したあの時、サラスヴァティーはイーサの周囲で他属性のポコロンが水ポコロンに強制的に変換、さらには強化までされていたことに気がついたのだ。あれはまさしく…


 ”


 ポコロンは魔法を発動させるうえでもっとも基本的かつ重要なファクターである。必要となる属性のポコロンが少なければ魔法は本来の効力を失うばかりか発動自体も危うくなるが、他属性のポコロンを必要ポコロンへと変換することが可能であるならば、その不安要素は考慮の外とすることが出来る。戦闘においてこれがどれほどのアドバンテージになるかは計り知れない。さらにその上位互換がポコロン変換能力であり、これは神ですら持つ者が少ないと言われているほど稀有な特質で、残念ながらサラスヴァティーにも備わってはいない。

 この特質を持っているとされているのが火・雷・森・水属性それぞれの頂点である『四聖天しせいてん』と呼ばれる四柱の神々──イヴ、シンラ、セツナ、そして最後の一柱、『水天』のヴァルナ──。

 もっともヴァルナは魔塔大戦よりもはるか昔の戦いにおいて死に、水属性の四聖天は永らく不在となっていた。もしもイーサが神であったなら、四聖天になることも夢ではなかったかもしれない。

 その稀有な特質があればこそ、より多くの水を操ることが可能なイーサには『龍神ノ神楽』が一番適していると判断したのだ。

 結局のところ、このサラスヴァティーの読みは正しかったと言える。

 元々吸収力の高い子供たちのこと、一ヶ月もすればイーサも魔杖の扱いが比較的安定し(つまり魔力の制御力の向上である)、三ヶ月後にはキダクに教わっていた巫女神楽を覚えると同時に『龍神ノ神楽』の基礎をなんとかこなせるようになっていた。アイリスは持ち前の器用さを発揮して巫女神楽はもちろんのことマスターし、サラスヴァティーの我流剣術ではあるもののその基本的な部分を三ヶ月で習得、及び二つの魔法を扱えるまでになっていた。


「わしの教え方が天才的じゃからの」

「アイリス天才なのー」

「イーサも…頑張る天才…です」

「いやシロにクロ、これはわしの教え方が天才的…」

「サラ様は天災なのー」

「天の…災害…です」


 季節は変わりいよいよ夏。

 少女たちの住む村ではまもなく豊作を祈願する『水神祭』が始まろうとしていた。

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