幕間
(2)
世間一般的には休日の朝、ヴァルマは執務室の窓から外を眺めていた。山の麓にある神殿の外には広大な森が広がり、神殿の周囲では植えられた桜が、はにかんで少し上気した少女の頬のように控えめなピンクに染まっている。
黒髪の巫女キダクは、昨夜のお酒の影響もなくいつも通りの涼やかな笑顔を浮かべたまま神殿に現れ、今は鼻歌でも歌いながら新しく加わった二人の幼き巫女とともに神殿内の掃除をしているはずだ。お酒とサラスヴァティーに振り回されていたラヴィは、明らかに不調を訴えるような表情でそこのデスクに突っ伏していたが、つい先程重い身体を引きずるように地下の後片付けへと向かって行った。壊れた壁の修復とゴーレムの残骸の回収は村の大工に頼まなければなるまい。お金はかかるだろうが、シロが原因と言えなくもないのでサラスヴァティーになんとか払わせるようにしよう。まあ、長期旅行と酒のせいできっと金はないだろうが。貧乏な神など威厳もなにもあったものではないが、観光客はそんなことは知らないので、永遠に気づかれないで欲しいと願うヴァルマである。
彼は酒を呑まないが、実はまったくの下戸というわけではない。が、強いわけでもなく、サラスヴァティーに知られるといつまでも呑まされ続けるハメになるので下戸ということにしているだけである。これは亡くなった父親と同じ轍は踏むまいと子供の頃から決意していたことであったが、神と呑み明かせるほどアルコールをものともしなかった父親とサラスヴァティーの楽しそうな様子は、多少羨ましく思う時もあった。
ふと背後に気配を感じて振り返ると、いつの間にかその神が立っていた。
「やれやれ、神様にはノックする習慣がないようですな」
常にお酒は水と言いはる彼女はケロリとした様子で、いつも通りの自信に溢れた笑顔をうっすらと浮かべていた。
「それと──」
ヴァルマはデスクに置かれたガラスの花瓶に目を向ける。生けてあったヒヤシンスとチューリップは花瓶から水と一緒にこぼれ落ちていた。
「そこから出てくるのはご自重していただきたいものですね。花を生けてくれたキダクにも申し訳なくなります」
「おお、すまんすまん、次は花瓶をノックするかの」
サラスヴァティーは意に介した様子もなく花瓶に花を戻してから、その香りを楽しむように鼻を近づけた。
「ふむ、春は良いのお」
サラスヴァティーは行ったことがありなおかつそこに水がありさえすれば、例えどんなに遠く離れている場所でも水から水へ瞬時に移動することが出来る。つまり、彼女はその花瓶の水から出てきたというわけだ。
「ところでサラ様、帰って来たということは、あの子が例の?」
おそらくその件で来たのだろうとあたりを付け、ヴァルマは話を促した。サラスヴァティーがシロ・クロを連れて神殿を旅だったのがちょうど五年前──。それ以前にも年単位でふらっといなくなったり、父親が現役の大神官だった頃も同様にいなくなることがあったと言う。
目的は人探しだと亡き父からは聞いている。百年前の大戦以後、数年おきにずっとこれを繰り返しているらしい。そう、彼女は百年もの間、ある人物を探し歩いていたのだ。
サラスヴァティーは嬉しそうに目を輝かせ、執務室を一瞬で明るくした。
「そうじゃ、やっと見つけたのじゃ!」
「おお、やはり。それは良かったですね、おめでとうございます 」
これで貧乏神からは脱却ですね、と言う言葉は呑み込む。
「ちょっと男勝りに見えるが可愛いかったじゃろ 」
まるで我が子のように喜ぶサラスヴァティーであったが勿論彼女の子ではない。彼女がずっと探し求めていたのは転生していたはずの神だ。かつてともに戦った、神々による四つの塔をめぐる百年前の戦争──魔塔大戦で命を落とした戦友。噂ではあの紅焔の塔の王、魔神プロミネンスを封じた戦士であると言う。
ヴァルマは昨日会った金髪ツインテールの少女──シャルヴを脳裏に浮かべた。
「イーサから聞きましたが、ゴーレムを一撃で倒したとか。それはもう目を輝かせて普段よりも興奮しながらあの子は話してましたよ。ものすごくカッコよかったんだよおじさま、って」
「ふむふむそうじゃろそうじゃろ、もっと言って良いぞ。ほれもっと言うがよい」
いやカッコよかったのはあなたのことじゃない、と思ったがこれはいつの間にか口に出ていた。
「なんじゃとこのもうろくヒゲじじい」
サラスヴァティーはヴァルマの頬をつねって、
「わしもカッコ良かったじゃろ。いや…まてよ、強くて可愛いからの、つよかわじゃなわしは」
ヴァルマは負けじと神の頬をつねり返す。
「どこでそんな若々しい言葉を覚えてきたんです、あなたはすでに棺桶からも見放されたババ…ただの超年増神ですぞ」
「ほう、神に向かって年増じゃとヒゲじじいが。超は超でもわしは超絶最強美女じゃ」
「ええ、超絶最強貧乏ですよねわかります」
「貧乏のなにが悪いんじゃあ、この腹黒神官め!」
「すみませんでした心から謝罪します、あなたはババカッコイイでした」
二人がお互いの頬を強くつねりながら不毛な言い争いをしていると、執務室のドアが開いてキダクが顔を覗かせた。
「大神官様、掃除終わりましたのでこのあとイーサとアイリスに──何してるんですかお二人とも」
若干引き気味のキダクを前に、神は気まずそうに小顔マッサージじゃと小声で答えた。
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