(9)

 あと一瞬遅ければ、ゴーレムの拳はアイリスを押し潰していたであろう、そういうタイミングだった。

 後ろから突然現れた三つ目の手が御神刀に触れた瞬間、備わっていた魔法が発動。

 と同時に、刀を中心に広がる光の膜。

 それは瞬く間に球状となって三人を包み込み、ゴーレムの巨体を弾き飛ばしていた。ゴーレムは拳を振り下ろす間もなく、次の瞬間には広間入り口横の壁に激突していた。

 壁は崩れ去り、土煙が噴煙のごとく舞い上がる。やがて煙が落ち着いた時、ぽっかりと開いた穴の奥に、瓦礫に埋もれ仰向けに倒れたゴーレムの姿があった。

 沈黙。

 それは、呼吸すら忘れるほどの一瞬。

 イーサは深呼吸をし、御神刀に伸びる三本の腕を見やる。

 自分の右手と、

 親友の左手、

 そして二人の間から伸びる最後の手は──

 アイリスと目が合う。

 二人はゆっくり振り返り、そして目を見開いた。


「だ、誰…?」


 そこにいたのは、彼女たちよりも少しだけ背の高い少女。金の刺繍と白のフリルがアクセントの黒ワンピースを可愛らしく着こなし、絹のように艶やかな白髪が背中まで伸びていた。そして…

 少女は二人を交互に見て、にこりと微笑む。

 そして何より──


「か、可愛い!」


 アイリスはを見てさらに目を大きくした。

 少女の頭から三角形の、獣特有の耳が二つぴょこりと飛び出ていた。その耳元にはどこかで見たような白い花飾りが収まり、さらに背中側からは、明らかに髪の毛ではなさそうな、筆先のようにふんわりと膨らんだ毛の塊が足元まで垂れている。これを尻尾だと気づいたアイリスがしばらく触り続け、少女を困らせたことはだいぶあとの話。


「あ、あの…」


 どちら様ですかとイーサが口を開きかけた時、その少女の足がイーサの脛を蹴り上げた。

 魔法が発動したこと、ゴーレムを倒したこと、謎の少女が現れたこと、そのすべての驚きを忘れさせるほどの痛みがイーサの目尻に涙を呼ぶ。

 にもかかわらず、白髪の少女は微笑みを絶やさぬまま、


「シロは女の子なの」


 と、さらに今度はイーサのお尻に追撃をしてきた。が、かろうじてそれを避ける。避けながら、どうやらシロと言うのがこの子の名前らしい、とイーサは理解した。言われなくても見れば女の子だということはわかるのに、と思いながら。


「なんで避けるんですの」


 シロは頬をふくらませ、さらに足を繰り出すが、反射神経の良いイーサには当たらない。その垂れ気味のつぶらな瞳にめらめらと炎が浮かび上がるような気配を覚え、イーサは素直に頭を下げた。


「ご、ごめんなさい!よく分からないけど、シロちゃんが怒るようなことをわたし何かやらかしたんだよね。本当にごめんなさい」


 深く頭を下げるイーサを前に、シロはプイっとそっぽを向き、


「まあ、今回は特別に許してあげるの」


 許してるような態度ではないが、イーサは素直に喜ぶ。


「ありがとうシロちゃん!」


 満面の笑みでシロの手を両手で握りながら、ふと思い出したように、そう言えば…と周囲を見回すイーサ。


「あの白いキツネくんは一体どこ──」

「わたしがそのキツネなの!」


 シロのミドルキックがイーサのお尻を直撃した。

 この後、白狐がシロであるということをアイリスから教えられ(彼女はすでに気づいていたらしい)、なおかつキツネと──つまりは女の子なのにくん付けで呼んでいたことに怒っていたという事実を知らされ、イーサがさらに謝ること数回、シロはようやく機嫌を直してくれた。


「まあ、今回は大目に見て許してあげるの。大好きなあんこたっぷりのお団子を三つ貰えれば、えへへ」

「え、シロちゃんキツネだから油揚げが好きなんじゃあ……。あ、ごめんなさい」


 獣人とは言わゆる亜人であり、四足歩行の動物の姿に変身するものはいない。それらは獣の特性が混ざった人の総称であり、基本的には人の派生種となるからだ。だからあの白狐が実際にシロに変身したのだとしたら、彼女は獣人ではないことになる。


「もしかして…」


 アイリスがシロの耳を見つめながら呟くように言う。


「シロちゃんて、”妖狐”なのかな」


 おおっとシロは驚き、正解なの!と嬉しそうに胸を張って見せた。が、残念ながら発展途上の胸周りが強調されることはなかった。


「お母様はね、すっごい妖狐なの」


 とシロは嬉しそうに続ける。


「お姉様とはしばらく会ってないけどすっごいし、妹もすっごい可愛いの」


 とりあえず、すっごいんだってことは理解できた、とイーサは思った。

 妖狐とは長い年月を経て魔力を得た狐が、人の姿に変化することができるようになったもので、子供の妖狐でもその魔力は並の人間ではかなわないと言う。


「ゴーレムを倒した魔法は、やっぱりシロちゃんが?」


 アイリスが訊くとシロは少し考えてから、


「あれは御神刀の魔法で、シロはされを発動させるきっかけを作っただけなの。ポコロンも魔力も十分にあったし、すでにコン…コンテ…ロールケーキ…食べたい…」

「コントロール?」

「そう、コントロールもされてたし、シロはただ背中を押しただけなの」


 その割には自慢げに口元を緩め、鼻を鳴らす勢いのシロであったが、イーサは自分のお尻が可愛いので、指摘の代わりに疑問を返した。


「シロちゃんは御神刀に魔法が備わっていたことを知ってたの?」


 今度は本当に鼻を鳴らすシロ。


「そんなの当たり前なの、だってあの刀は元々サラ様のものなの。それと──」


 シロの視線が急に背後に向けられたことに気づき、二人は同時に振り返る。


「──ゴーレムは倒してないの」


 その言葉通り、壁の穴の奥に横たわっていたゴーレムが、今まさに立ち上がらんと動き始めているところだった。アイリスが横で身構える。

 イーサは納得した。確かに御神刀の魔法はアイリスが予想した通りの護る魔法であって、決して敵を倒す魔法ではなかったのだと。


「そもそもゴーレムは、命令を遂行するか魔力が尽きるか破壊するか、そのどれかじゃないと止まらないの」


 シロは淡々と言うが、イーサは再び心臓の鼓動が早く脈打つのを感じた。こんなことなら早く逃げておくべきだった…。アイリスはもう走れない。どうする?


「ねえシロちゃん、もう一度御神刀の魔法使えるかな?」


 イーサの言葉にシロは首を振る。


「ちょっと難しいの。あの魔法は光属性の防護魔法で、強化石に長い時間かけて溜まった光のポコロンはほとんど使っちゃったの。それに、この地下に豊富にあるのは水のポコロンなの」


 そのフィールドの状況によって、大気に含まれるポコロンの種類には差が出るのが一般的である。川や海、水の流れが多くある場所なら水、樹々の多い場所なら森、という様に関連したポコロンの割合が多くなる傾向にある。火山の近くや気温が高い場所ならば火であるし、曇天下や風が強かったり、気温の低い場所では雷が増える。実は世界中で最も多いのが闇のポコロンで、他の五つのポコロンよりも全体的に割合が高いと言われている。なので闇魔法を使えるようになるのが最も効率が良いとされるが、高い魔力量と制御力を必要とする為、その使い手は意外と少ない。

 ここには沐浴場がある為、水のポコロンが多いのだろう。魔力制御に長けた者ほど、周囲のポコロンを感知しやすくなる傾向にあり、アイリスも微かにではあるが、水ポコロンを多く感じる気がすると頷いていた。


「でも、どうしようアイリス、御神刀の魔法が使えないと…」


 ゴーレムが壁を崩しながら立ち上がっていた。その目が赤く輝き、再び歩を進み始める。だが、シロだけは動じる様子も見せず、むしろ得意げな表情で胸を張った。


「今日は杖を持ってきてないけど…大丈夫、心配ないの、シロにまかせるの」


 そう言って高く掲げた指の間には一枚の紙が挟まっていた。何か小さな文字が書き込まれていたが、イーサには読めなかった。

 シロは高らかに叫ぶ。


「式神召喚!なの!」


 その瞬間、手に持っていた紙が光を放ち始める。やがて手を離れたそれは徐々に輝きと大きさを増していき、光が消えると同時にその空間には、シロよりも一回り大きな一匹の白いワニが浮かんでいた。

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