(4)

 ぬいぐるみだ、とアイリスはそれを見た時にまずそう思った。

 しかし触れる距離まで近づくと微かに呼吸しているのがわかり、動物なんだと認識を改めた。イーサはこの時、大きな綿菓子が落ちてると思ったらしい。

 その白い毛に包まれた動物は丸まって寝ているため、柔らかそうな尻尾に顔が半分ほど埋まっていたが、どうやらそのシルエットは狐のようだった。

 ヴァルマからランタンを受け取ったあと、アイリスたち二人は地下へと続く階段を下りてきたが、その狐は階段から続く通路の途中で丸まって寝ていたのだ。


「ふわぁ」


 思わず間の抜けた声が出る。イーサが珍しそうに「アイリスそんな声出るんだねぇ」と目を輝かせたが咳払いをして誤魔化した。

 白い狐。

 そんなものは見たことがなかった。いやそもそも、 本物の狐ですら学校の図鑑以外では見たことがない。


 (さ、触りたい……)


 何故かは分からないが、ふわふわもこもこした物を触りたくなる欲求が身体中を駆け巡り始める。


 (やわらかそう~)


 結局我慢出来なくなったアイリスは、音を立てないよう静かにランタンを床に置いてしゃがみこむと、その丸まった背中にそっと手を伸ばした。指先に伝わるやわらかさとぬくもり。心地よい感触がアイリスの心に花を咲かせるようだった。見ると片側の耳元に、何故か白い花飾りがついていて、それがまた実に可愛らしく映えている。誰か飼い主がいて、その人が付けたのだろうか?

 気がつけば、イーサも隣にやって来てその尻尾を優しく撫でていた。


「かわいいね」

「うん」


 アイリスは頷く。自分がこういうものを好きだとは思わなかった。なんとなく新しい自分を発見したような気がした。

 そして、イーサも食べ物以外でそんな嬉しそうな顔をするのねぇと横目で見ていると、近くで見るとマシュマロみたいだねと言い出したので食べちゃダメよと釘をさしておいた。


「そう言えばなんでこんな所で寝てるんだろ、このマシュ…タヌキ」


 イーサが首を傾げる。食べ物じゃないから!と突っ込みそうになるのを堪えて狐よと訂正し、


「うーん、そもそも、この白狐さんはどこから入ったのかしら」

「壁すり抜けてきたのかな。まいっか、それよりアイリス、早く取りに行かないと、お新香」

「御神刀ね」


 そうだ、狐でほっこりしてる場合じゃなかった。頭を撫でていた手を引っ込め、アイリスは名残惜しむようにゆるりと立ち上がる。

 と、その時、白狐が目を覚ましてすっと立ち上がった。気持ちよさそうに伸びをするとこちらを見上げ、アイリスとイーサ、二人を交互に見比べた。


「あ、キツネくんおはよ!」


 白狐はイーサをじっと見たあと、何故か不満そうに顔をプイっとそむけ、通路の奥に向かってスタスタと歩いて行ってしまった。


「あ、ちょっと待ってキツネくーん」


 すると、イーサも何故かそのあとを追いかけて行ってしまう。


「え、ちょっとイーサ、待って!」


 アイリスはランタンを拾い上げ、急いで追いかけた。

 神殿の地下は壁も床も石造りで、ひんやりとした冷気が漂い肌寒い。天井はかなり高く通路の幅も人が五人は並んで通れるくらいに広い。その通路には、おそらく事前に灯してくれていたのであろう魔力による炎が、一定の間隔で壁に設置されたランプの中で燃えていた。薄暗いとはいえ、手持ちのランタンもあるおかげで視界が完全な暗闇に閉ざされることはない。

 通路は途中で何度か折れ曲がり、やがて左右に別れるT字路に辿り着いた。イーサの姿は既に見当たらない。どっちに行ったのだろう。試しに名前を呼んでみるとすぐに声が返ってきたが、反響してどちらから聴こえてきたのかは分からなかった。

 通路の灯りだけでは若干暗いはずだ。イーサは大丈夫だろうか。少しだけ心配になる。あの子、ちょっと抜けてるところあるし…。

 イーサの心配をしているアイリスだったが、実は彼女自身も不安ではあった。何か、得体のしれないものが闇の中から現れそうで怖い…つまり暗い場所が苦手なのだ。ランタンがあって良かったとアイリスは思う。


 (う~ん、わからないけど、なんとなく左に行ったような気がする…)


 迷っていても仕方がない。とりあえず直感を信じて進んでみよう、と足を踏み出した瞬間、白狐が左の通路から右の通路へ風のようにさっと横切った。そして、キツネくん待てーと叫びながらそれを追いかけるイーサが、物凄い勢いで目の前を走り去っていく。


「え、ちょ、ちょっとイーサ!」


 イーサは走りながら振り返り、


「あ、アイリス、こっちこっち。キツネくん足が早くてぇ!」

「ちょっとなにそれ」


 これはもしかして…イーサは当初の目的を忘れてしまっているのではないだろうか…彼女の屈託のない笑顔が脳裏にいくつも浮かんでは消えていく。いや恐らくそうだろう。


「もう…」


 アイリスはため息をつきながらも苦笑して、イーサの背中を追いかけた。

 途中、十字路を一つと二つの部屋を抜け(どの部屋も扉はなかった)、最終的に今までで一番広い部屋に辿り着いた時にはさすがに息があがっていた。

 息を整え、ぐるりと部屋を見回す。壁には通常の、そして天井にはシャンデリア型のランプが灯り、通路よりも格段に明るい。

 出入口は二つあった。アイリスたちが入ってきた入口とその向かい側にもう一つ。横を見ると、何故か見上げるほどのものものしい大きな石像が立っていたが、もう一つの出入口側に石像はなかった。左手の壁側にはランタンが置かれた祭壇のようなものが。そして、そこに──。


「あ、見てイーサ。あれがそうじゃない?」

「え?」


 今や白狐捕獲隊の隊長となっていたイーサは、床の白狐からアイリスの指さす方へと視線を動かし、ようやく本来の目的を思い出したようだった。

 祭壇に置かれた二つのランタンの間で、蒼白い炎に照らされている長細い棒のようなもの。


「御神刀…?」


 近づいてみると、それはやはり刀であった。柄には小さな蒼白い宝石が埋め込まれている。ヴァルマに聞いていた刀の特徴と同じだ。


「やった、見つけたね!」


 イーサは嬉しそうに飛び上がり、アイリスとハイタッチをした。そして笑いながら御神刀に手を伸ばす──と、その刹那。

 白い影がイーサの視界を横切った。


「え?」


 離れた場所にいたはずの白狐が音もなく祭壇に飛び上がったのだ。狐はちらりとイーサを横目で見たあと、おもむろに御神刀を口に咥え持ち上げる。


「ええ!?」


 驚いた二人が揃って声を上げた瞬間、今度は御神刀からピリッと小さな音が走り、一瞬だけ白く光り輝いた。

 眩しさのあまり顔を背ける二人。

 その閃光が合図だったかのように、背後から地鳴りのようなものが響き渡り、そして──

 石像が動き出した。

 

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