二番風呂

洗井落雲

1.

「じゃあ、先にお風呂貰うね」

 と、徳村さんはタオルと着替えをもって、部屋を出ていった。

 徳村さんは美人である。そして優しい。ついでに胸も大きい。

 非の打ち所がない美女であるが、そんな彼女が、我が漫研に入部したのは一種の奇跡みたいなものだし、男4人女1人という中、地方イベントに参加するための『遠征』に参加してくれたのは、もはや奇跡を通り越して世界創造レベルの出来事である。

 漫研の遠征、その宿泊には、伝統として、地方のぼろい宿の一室が使われる。伝統というが、単に部費がないのである。部屋自体は、数名の人間が雑魚寝できる程度の広さはあるのだが、共同浴場や温泉などはなく、一般家庭にある様な、小さな風呂しかない。それはデメリットでもあり、メリットもある。時間制限があるとはいえ、ゆっくり風呂につかれるのだ。

 ……そして、今回、大いなるメリットが生まれた。

 あの、徳村さんの! 次に! 風呂にはいれるのだ!

 美女の残り湯である。美女の残り湯だぞ。美女の残り湯なんだぞ。あの徳村さんと! 同じ湯につかれる!

 プールなどとは断然違う。不特定多数の人間は入っていないし、水着越しでもない。肌と肌、直接のふれあい。これはもう、実質ベッドインだし、何なら結婚である。

 気持ちが悪い? 知ったことか。世の中には、お気に入りのアイドルが使っているシャンプーを特定し、その香りを楽しんだり飲んだりする人間がいるらしいのだ――実在するかは知らないが、それに比べたら、徳村さんの残り湯でキャッキャする俺たちなぞ可愛いものだろう。

 ……とはいえ、実際に俺たちは、はしゃいでいるわけではなかった。なにせ、自覚はある。気持ち悪いし、みっともない。それ故に、俺たちは皆、表面上は冷静さを保っていた。内心は、いかにして二番風呂に入ろうか、とギスギスしていたはずである。少なくとも俺はしている。

「さて――」

 皆が皆、お互いの出方をうかがっている中、動いたのは香山である。

「時間もあることだし、カードゲームをしないか?」

 と、カバンを引っ張って、取り出したのは世間で流行りのカードゲームだ。そのカードゲームは、ご多分に漏れず、俺たちの間でも流行していた。

「ついでに……その勝敗で、風呂の順番も決めてしまおう」

 きた。来やがった。ぶっこんできやがった。何がついで、だ。まったく話がつながっていない。

 はっきり言うが、これは香山の策略である。カードゲームを『コミュニケーションツール』として遊んでいる俺たちと違って、香山は根っからの『ガチプレイヤー』だ。カードショップの大会では何度も勝利を勝ち取っているし、大規模なグランプリでも、そこそこの成績を残している。

 つまり、本気を出した香山に勝てる人間など、この場にはいないという事だ。二番風呂に対する、香山の必死さがうかがえる。

「いや……実は俺、デッキを持ってきてないんだ」

 申し訳なさそうな声色を精一杯出しながら、俺はカウンターを放った。甘いな香山。カードがなければ遊べないのだ。これで香山を封殺できる。

 だが、香山はにやにやと笑って、続けた。

「いや……実は、構築済みデッキを購入して、持ってきたのさ。プレゼントするから、それで遊ぼう」

 ――何を。

 言っているのか。

 結論から言おう。構築済みデッキでは、香山には天地がひっくり返っても勝てない。

 構築済みデッキとは、公式が販売する『そこそこに作り上げられたデッキ』であり、これでゲームを学んで、カードを継ぎ足して強化してくださいね、という商品である。つまり、『一味物足りない』デッキなのであり、完成されたデッキには及ばない。香山は親切を装って、ハンドガンを渡そうとしているのだ! 自分はロケットランチャーどころか、ステルス戦闘機を持っているくせに!

 構築済みデッキは、一つ千円から二千円程度する。それを、こいつは、ああ、ああ! 三つも取り出した! こいつ、二番風呂のために5千円近く投資しやがった!

「いや、俺、頭悪いからさ。あんま勝てないからカードゲームは良いや」

 と、佐々木が声をあげた。ナイスカットだ。

「っつうかさ、風呂の順番とかどうでもいじゃん。じゃんけんで決めようぜ」

 ――なんという、なんという深い一言!

 解説すれば、これは香山を一撃で封殺する攻撃である。まず、『風呂の順番はどうでもいい』という言葉で、この場にいる全員にその意識を共有する。それにより、仮にそれを否定すれば、「何マジになってんの……キモイ」というカウンターを発動できるという事になり、その時点でそいつを社会的に殺すことができる。この布石を打ったうえで、佐々木はじゃんけんでの勝負を持ち掛けた。これを否定することも難しい。なぜなら、すでに『必死になる奴キモイ』という共同認識を持ち掛けているため、このじゃんけんを否定すれば即座にキモイカウンターが発動する。そいつを殺せるのだ。

 頭が悪い……とは佐々木の言だが、とんでもない。策士だ。あんた、策士だよ。まさに昼行燈を気取りながら仇討ちを成功させた……お前こそ、現代によみがえった大石内蔵助だよ……。

「まぁ、そうか。じゃんけんで決めよう」

 平静を装いながら、香山は言う。だが、暑くもないのに襟を仰ぐその手が、内心の動揺を表している。吉良”香山”上野介、討たれるッ!

 全員の同意のもと、じゃんけん一発勝負になった。じゃんけんと言えば運ゲーと思われがちだが、俺はこの日のために徹底的に対策を練ってきた。

 まず重要なのは、最初はグー、から始めるという事だ。最初にグーを出すことにより、次の手をかなり絞ることができる。というのも俺たちは全員緊張しているため、力強くグーを出すことは間違いない。そしてその結果、筋肉は硬直し、一気に手を開くことが困難になるのだ。故に、パーは出にくい。というか、出ない。となると、グーか、中途半端なチョキが場には残りやすい。よってグーをそのまま出せば最低1名、運が良ければ勝ち抜ける――。

「あ」

 と、平田が声をあげた。

「俺さ、地元だと最初はグーってやったことないんだよ。やりづらいから、じゃんけんぽんの一発にして」

 なにを――。

 言っているのか。

 この……このクソ野郎! 俺を、俺を狙い撃ちにしたというのか!? これでは、俺が対策を施した『最初はグー』戦法が利用できない。そして、これに異議を唱えることは、『風呂の順番に必死キモイ』という共同意識故に封じられている!

 平田がにやりと笑った気がした。コイツ! コイツ!

 やむを得ず、じゃんけん一発勝負となった。こうなれば、必死に、必死に観察するしかない。相手の手を見るのだ。そして、全員とは言わない。見るのは、ひとり。少なくとも、一人に勝てれば、負けることは無いのである。

 ターゲットは、香山だった。何となく気に入らないからだ。

「じゃあ、いくよ。じゃんけん」

 平田の声掛けで、全員が一斉に、手を振る。見る。見る。おれは香山の手を見る。

 現段階では、手はグーだ。わからない……と思うかもしれない。だが、手に込められた力の具合により、おおよその見当はつく。香山は……脱力している。手が、開き気味なのだ。全部開く。間違いない。パーだ。奴は、パーを出す。

「ぽん!」

 と、言う言葉と共に、俺はチョキを出した。香山はパー。勝った。読み勝った。すぐに周りに視線を移す。

「あれ、負けか」

 平田が声をあげる。その手は……パー! 大石”佐々木”内蔵助は、チョキだ。

 勝った! 生き延びたのだ! だが、次の相手は大石”佐々木”内蔵助だ。油断はできない。俺は大石”佐々木”内蔵助と向き合うと、

「じゃあ、いくよ、最初はグー!」

 といきなり叫んだ。これは、『あ、いつもの癖で最初はグーって言っちゃったよえへへ』と、ごまかせる故である。大石”佐々木”内蔵助は、つられてグーを出す……物言いはつかない。

「じゃんけん……」

 いったん手を引っ込める。次が勝負だ。考えろ。考えるんだ、俺。内蔵助は、何を出す? 思い出せ、思い出すんだ。奴の手。奴の目。奴の動き……。

 電のごとく、天啓がひらめいた。そう、最初はグー、その時の奴の手、確か奴の手の、小指がぴくぴくと震えていたのだ。なぜだ? それは、力が入っていないからだ。小指の力までを抜いている……という事は、小指を動かすという事。つまり、手を大きく開く、パー! パーだ! 俺は確信した。大石”佐々木”内蔵助。お前は最強の敵だったよ。見事に吉良”香山”上野介を討ったんだからな。だが、大石”佐々木”内蔵助、忘れるな。お前は最終的に、幕府により切腹を命じられたのだ! 最後に立つのは幕府! この俺よ――!

「ぽん!」

 手が、

 開いた。

 俺は、チョキを。

 佐々木は、パーを。

 勝った! 勝ったのだ!

「お、勝ったよ。じゃあ、次は俺が風呂貰うわ」

 冷静さを装いながら、俺はそう宣言した。内心は雄たけびを上げ、外を走り回りたい気分だった。

 その時、がらり、とふすまが開いた。勝利の女神が、にっこりと笑っていた。

「お風呂ありがとう、とてもいいお湯だった」

 女神が、笑う。俺の勝利を、祝福してくれている。

 世界が、輝きに満ち満ちていく。

 おめでとう。おめでとう。この世のあらゆる生命が、俺を称えてくれている。そんな錯覚。すさまじい幸福感――!

「あ、お風呂のお湯、ちゃんと入れ替えておいたからね。綺麗なお湯につかって、今日の疲れをしっかり落としてね♪」

 俺は泣いた。

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