真夏の最小値

エリー.ファー

真夏の最小値

 二番目あたりから間違いなく、あたしは道に迷っていた。

 何もかも見えなくなる前に引き返すはずだったのが、森の中で迷子になってしまっている。

 同じところを回り続けているように感じるのは、幻覚なのか、幻なのか、それとも誰かの妄言なのか。

 自分の口から放たれた言葉がそのまま自分に戻ってきているような感覚もなく、耳の奥で静寂さが作り出す妙な音のとりこになる。

 山の奥の蛇口をひねって水を出してくる。

 それだけのことだ。

 そうすれば、そこから流れ出る水が川に合わさって水量が増し、ふもとの村を押し流すので、綺麗になる。

 お母さんに。

「あんまり、家の掃除とか好きじゃないから手っ取り早い方がいいでしょ。」

 と言われた。

 それもそうだと思った。

 学校の先生から、進路相談室に呼ばれてそこで何度も何度も説得された。学校の友達からも囲まれて、そう説得された。言ってくる言葉はみんな、同じだった。

 山の奥のじゃなくて、そのふもとにある方の蛇口を捻ってきてほしい。

 村じゃなくて、その下の町を押し流してほしい。

 そればかりだった。

 あたしは気が付くと、森の中にいて、そこで蛇口を目指して歩いている。

 どちらの蛇口がいいのかと思っていると、山の木々にはそれぞれ蛇口が付いているのが見える。そして、その蛇口を次から次へとひねっているあたしよりも小さい子がいた。

「何で、蛇口をひねるの。」

「ここに取り付けた人に開けてきてほしいと言われたの。」

「お姉ちゃんも、蛇口を開けてきてって、頼まれてここに来たの。」

「皆、そう。」

 指をさす方向には、あちこちの村から頼まれて蛇口を開けに来た女の子たちであふれかえっていた。

 あたしは少し気分が高まっていて。

 蛇口を二つとも捻って、森中の蛇口を片っ端から捻って回った。

 水は少しずつ出た。

 一人、また一人。

 そこから流れ出る水に体を乗せて森から消えていくと、とうとうあたしだけになっていた。

 水に乗ってそのまま降りていこうと考えてけれど、降りてしまえばまたどこの蛇口を開けて、どこの蛇口を閉めて、と頼まれる毎日に戻ってしまう。

 一番目の道を間違えなかったのは、あたしの真面目で。

 二番目の道を間違えたのは、あたしが自由を求めているかららしかった。

 その内、森に何度か大人たちが来て、お供えものをしていった。

 たまに、あたしのことを指さして泡を吹き、そのまま倒れて動かなくなる、子供や大人、村人がたくさん現れた。あたしはそのまま森の中に隠れたまま、村や町を遠くから眺めることにする。

 ある日、遠くの町に大きな塔ができると、村は水に押し流される前に不思議と自分から消えていった。

 あたしの森はショベルカーやダンプカーに少しずつ削られ、消えていった。

 試しに森の蛇口をひねるとそこから水が大量に流れだし、町を押し流す様にして危機は回避できた。

 けれど。

 それでも、町の塔も家々も直ぐに建て直される。

 しょうがないので、森の中から一歩も動かないまま、その蛇口を町の公園へ植え付けていった。

 気が付くと喉の乾いた子供がその蛇口を回して、口を押し付けるものだから一気に流れ込む水が、その子供の体を四倍から五倍大きさに無理矢理膨れ上がらせる。耐え切れなくなった体が水をまき散らせながら引き千切れて爆発するまで、一秒以下の一刹那。

 公園にはその子の体に溜まった水が霧散し、虹が生まれてその背景の森が、それはそれはよく映える。

「こんな美しい森が近くにあったのね、なんだか守られているみたいだわ。」

 その子のお母さんが状況に気づかないまま、呟いたその言葉を聞いて。

 どこかに蛇口をまた増やす。

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