君がどんなに遠い夢を見ても

数波ちよほ

君がどんなに遠い夢を見ても

 あの人はいつか言っていた。

 今度一緒に桜を見ようねって。また桜の咲くころに会えるからって。


 でも正直、その言葉が子ども騙しだってことぐらいさすがに僕にもすぐわかったよ。別に笑われたって構わない。僕はそれだけ好きだったんだ、あの人のことが。


『――君がどんなに遠い夢を見ても、君自身が可能性を信じる限り、それは手の届くところにある。ね、魔法の言葉』


 魔法を夢みてもうどれくらい経ったろう。いい加減子どもじゃないんだし、そろそろ夢ばっかり追ってないで前を向かなきゃ。そんなことはわかってる。わかってるけど、あのときの彼女のさくらのように優しい微笑みが今でも忘れられないんだ。


「君が、どんなに遠い夢を見ても――」


 え? いまなんて?


「あ、それへルマン・ヘッセの言葉ですよね。私も好きなんですよぉ。でもどの本だったか全然思い出せなくて。『車輪の下』でしたっけ?」

「え、そうだっけ。『デミアン』じゃなかった?」

「うーん、まぁどっちでもいいですけど。私にとっては魔法の言葉に変わりありませんから」

「聞かれから答えたのに。相変わらずだよね」


 そう言って、背の高いスラッとした男性はクスクスと笑った。

 彼は川沿いのフクロウ商店街にある古民家カフェ『二番煎じ』の店長で、みんなからはマスターって呼ばれてる。


 ちなみにカフェここは僕のお気に入りのお店。


 マスターのオムライスは絶品なんだ。いつも新しいメニューに挑戦しようとは思うんだんだけど……。結局、僕はまた今日もオムライスを食べている。だって、美味しいんだもの。

 お気に入りの隅のソファー席からこっそり人間観察をするのが好きなんだけど、今年は大雨で桜が早く散ってしまったからかお昼時を過ぎたカフェはいつもより静かだった。

 しょうがない、まぁそんな時もあるよね。別にそんなことで落ち込んだりしないよ。僕ももう大人だからね。静かな時間だって時には必要さ。

 そんなわけで、午後のカフェには僕とマスターとカウンター席に一人、巻き髪でミニスカートの女性客がいるだけだった。


「ちょっと聞いてくださいよマスター。もう酷いんですよぉ」


 そう言って女性がカバンから拳サイズのモコモコした人形のようなものを取り出すと、今度はそのモコモコをしきりに指で叩いているように見える。まったくもって意味がわからない。一体なんだろう……? 

 でもこれ以上近づいても怪しまれるだけだし、観葉植物越しにカウンターの様子を覗くのはこれが限界か。


「このまえ田中さんから初めてL◯NEが来たんですけど、なんかプロフィール画像もホーム画像も全部フクロウの画像で、しかも全部アップし過ぎで羽毛しか写ってないんですよ。一体どれだけ自分の羽毛好きなんだって話ですよ。そのあとの送られてくる自撮り画像だってぜんぶ羽毛羽毛羽毛」


 僕は混乱していた。もしかして夢でも見ているのだろうか。日本語のはずなのに、彼女の言っている意味が僕にはさっぱりわからない。しかもあのモコモコはスマホなのか……? 

 もしかしたらパラレルワールドってとこにでも迷いこんだのだろうか。あ、それにもしかしたら彼女が一人で興奮してちょっと混乱しているだけなのかもしれない。


「可愛いじゃん。俺、田中さん本当に好きなんだよね。もう見てるだけで頬がゆるむっていうか。もうさ、あのフサフサの毛並み、キラキラの瞳、もう男の俺でも一瞬で惚れるっつーか。もう顔中スリスリしたいわ~」


 どうしようどうしようどうしよう……。


 僕はさらに混乱した。田中さんて誰。夢ならどうか早く覚めて欲しい。あぁ、でもその前に、あの人の顔を一目見たい。声は記憶の中の彼女に瓜二つだった。巻き髪とミニスカートはちょっと意外だけれど、あの声にあの魔法の言葉。もしかしたら……。


「そう言えばこの前さくらちゃんに教えてもらった小説投稿サイト――」


 さくら……!


 これはもう折をみて話しかけるしかない。


「あ、カクヨムですか?」

「そうそう、さっそくタイトルで悩んじゃってさー。あれみんなどうやってつけてんの? もうありきたりのヤツしか浮かばないんだけど。いっそこの前さくらちゃんが言ってた――」

「『異世界転生したつもりが江戸時代でしかも全然日本語通じないでこざる!』ですか?」

「そうそう、それにしようかと思って」

「あれ、マスター、ライトノベル好きだったんですね」

「え、読んだこともないよ」

「は?」

「やっぱダメかな?」

「そりゃあダメですよ。ライトノベル真剣に書いてる人にも失礼ですよ。むしろ全人類に失礼だから却下です。あ、でも中身はどんなの書いてるんですか?」

「刀を腰に下げて、『待ってろよ桜、絶対に助けるからな!』って感じで、悪党をやっつけて、チャンバラシーンをバンバンと」

「え、時代劇ですか。戦闘シーン書くのめっちゃハードル高いですよ。というかなんで桜」

「そうなの? 結構いい線いってると思うんだけど。せっかくなら呼び慣れてる名前のがいいかと思って」

「勝手に人の名前使わないでくださいよもぅ。それでどんな感じなんですか? というか名前使うからには絶対、桜さん助けてくださいね」

「あたりめーよ。命にかえても守ってやる」

「時代錯誤も甚だしい返事ですね」


「あの、さくらさんっ……!」


 僕は思わず飛び出した。せっかく初恋の人に会えたというのに、こんな話黙って聞いてなどいられない。


「うわ、どうしたサトル。びっくりすんだろ」

「サトル……?」


 僕の名前を優しく呟いたお姉さんは、服装こそ違うものの、やはり初恋の人そのものだった。 

 彼女はふわふわの巻き髪をなびかせて、優しく微笑み僕に振り返る――はずだった。


「えーと……サトル……くん? どこかでお姉さんと会ったこと、あったかな……?」




 ……なんという仕打ち……! 




 そんなはずあるわけない。あるはずないんだ。だって――。


「学校帰りにでも会ったんじゃねーの。サトルこの春から中学生だろ?」


 僕は何も言葉にできず、マスターの声に力なく頷いた。


「あ、じゃああの桜並木で会ったのかな。確か通学路だよね……?」




 ……夢なんて……夢なんて……!




 気づけば僕はがむしゃらに桜並木を走っていた。

 お会計ちゃんとしたっけ? あぁ、そうだ、今日はマスターが特別にってご馳走してくれたんだった。何だか今日はやけに夕焼けが綺麗だなぁ。

 走り疲れた僕はふいに立ち止まって空を見上げた。


 流れるようなピンク色の雲が鮮やかで綺麗だなぁ。あ、もう一番星が光ってる。でも、なんでだろ……。


 雨なんて一滴も降ってないのに、僕にはあの小さな小さな一番星が、まるで水面みなもに浮かぶ微かな星の光のように、揺らめいて見えたんだ。――



 *



「ところでサトルのことほんとに覚えてないの?」

「うーん、実は……覚えてます」

「え、酷くない? まだ小さな子どもに」

「ここに引っ越して来たときに会ったんですけど。ほら、あの桜並木の下で。そしたらいきなりプロポーズされちゃって」

「ガチで? サトルやるな」

「つい泣いてる姿見たら可哀想になっちゃって、それで約束したんですよ。また今度一緒に桜見ようねって。しかもちょうどそのときサクラ色のおしとやかなワンピース着てたから、なんか今さら夢こわすのもワルいなって、思って、たんですけど」

「なるほどねー」

「サトルくん、またカフェ来てくれますかね」

「そりゃ来てもらわなきゃ困る」

「なんですかそれ」

「さくらにプロポーズするとは見込みがあるじゃねぇか」

「また誰だかよくわからない言葉づかいですね」

「おうともよ」

「まったく。さぁ、そろそろ帰りましょうか。冷えてきたし」

「どこへ?」

「とりあえず。――あったかい、あのカフェへ」






Es ist der O(≒It is the place ところ)rt, wo(≒where) die Hand  (手)   reicht, 

solange(≒as long as 限り) Sie glauben   (信じる)  , die Möglichkeit    (可能性)    ,

Selbst wenn man     ( ≒even if たとえ)    eine sehr (≒very) weit (遠い)  Traum  (夢)  .



君がどんなに遠い夢を見ても

君自身が可能性を信じる限り

それは手の届くところにある


            

――Hermann Hesse (ヘルマン・ヘッセ)


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