15、ズルではありません(たぶん)

「では、あまり長く引き留めても疲れるだけで申し訳ない。これで最後の問題にしよう。

お土産に差し上げようと思っていたのだが、、、」


と二階堂は微妙な空気の待ち合いへ、悠然と入る。


小さな袋をたもとから引き出して、中からにおい袋を取り出した。


ひとつずつ、二人のおばさまと紗良と山田美嘉、デジャン氏、真吾、そして亭主に手渡す。

紗良の手の中に小さな袋が落とされた。


二階堂清隆は亭主に言う。

「お父さん、このにおい袋のお香は何が使われているのか全てわかりますか?

何かに書き付けて持っていてもらえますか?」

「そりゃわかる。香屋だからな!」

二階堂清隆の父は、におい袋の香りを丁寧に聞く。

そして、胸元の懐紙にさらさらと書き付けた。

「過不足はありませんか?」

「ないっ!」

憮然と言う。


ふふっと二階堂は笑った。


そして、紗良を含んだ4人に言う。

「これが最後の香りのテストとする。このにおい袋に使った香を過不足なくすべて当ててくれ。

誰もぴったり当てられなければ、1番多く香木を当てた人と、フレグランスを作ることにする」


4人は息を飲む。

この小さな匂袋が勝負を決めるのだ。




「そ、外に出ていいですか」

紗良は断り、庭に出る。

待ち合いはいろんな人の体臭や何かで混沌としていた。


清浄な空気で深呼吸をする。

首、手首、足首、腰、肩をじっくり回して体の気や液を巡らせる。

充分10分は巡らせる時間にする。

先程の離れで吸い込んだ香りも、難癖をつけられてぎゅっと締め付けられた心も、解れていく。



ようやく紗良は手の中に握りこんだにおい袋を鼻に寄せ、目を閉じて吸い込んだ。

香りが心に浸透する。


この成分を分析しようとする前に、香りの呼び起こしたイメージがふわっと浮かぶ。それも飛びっきりセクシーな男性のイメージだ。


はたと紗良は目を開いた。

呼吸をするのを忘れてしまう。

におい袋を顔から離す。


「これは、これは何、、」


急に心臓がドキドキし始めた。

嗅覚は記憶や感情、本能を司る原始的な大脳辺縁系に直接入るという。


この香りは紗良の本能的な、生きる欲望を呼び起こす香りだった。

官能を高め、そして快感を引き出す香りだ。


そして、香りがまざまざと思い出させたのは、男の広い胸。体。押し付けた自分の頬の感じ。

ベッドで紗良を抱くその男の逞しい体。

愛されたくてたまらなくなる。


「うそっ。、、まさか」


ようやく紗良は思い出した。

三年前に自暴自棄になってバーで知り合った男とベッドインして、一夜を過ごしたことを思い出した。


その顔、その声、その体。


この匂袋のにおいを嗅いでみれば、あの男のにおいと全く同じであると確信できる。

この匂袋は二階堂清隆が独自のレシピで作成したもの。


「二階堂清隆は、あの時の男!」


ようやく紗良は気がついたのであった。


そして、紗良が全く気がついていなかった一方で、二階堂清隆は、自分があの時の女であることに気がついていた?


「神野さん、そろそろいいですか?」


声が掛かる。

慌てて紗良は書き付けた。



全員が待ち合いに戻る紗良を待っていた。

草履を脱いで部屋にあがる。

何より、二階堂の視線を痛いほど感じる。


「お父さん、答えをお願いできますか?

そして、皆さん記入したものを手にしてください。書かれているものが言われたら手をあげてください。

書かれていないものが言われたら手を降ろしてください。いいですか、、、?」


「よっしゃ」

亭主は胸から懐紙をとり出し開いた。


「伽羅、、」


紗良、山田美嘉、B社とD社のおばさまの4人の手が顔の横に上げられる。


「安息香、、丁子、、、」


そこで山田美嘉の手が下ろされた。

美嘉は悔しそうに顔を歪める。

香りは複数が混ざると、とたんに複雑で深い香りに変容し、もとの素材がわからなくなるものである。


亭主は構わず続ける。


「桂皮、、」

他にもいくつか続く。

手が下ろされていく。


「アンバーグリス、つまり竜涎香、以上!」


そして全員の視線がまだ手が顔の横に上げられている一人に集まる。

紗良だった。


最初に難癖を付けたおばさまが、紗良の手から紙を奪って、自分の目で確認する。


「全部書かれている、、」

紙を持つ手が小刻みに震えている。

彼女たちの完敗だった。


におい袋の中身の全ての香木がわかったのは紗良だけだった。


勝負は決まった。


「よろしくA社の神野紗良さん」


二階堂清隆は、紗良が三年前に肌を重ねた女であると気がついていた。

だからこそ、勝負にこのにおい袋を利用したのだ。

同時に覚えていない紗良の記憶を呼び起こさせた。


どうしてこの声で思い出さなかったのだろう。深くて心地よく響くこの声はあの男のものだった。

差し出された手を握る紗良の手は震える。

顔をあげられない。

顔をあげれば、真っ赤に上気した顔が見られてしまう。求めるように彼を見つめてしまうかも知れない。


二階堂清隆のにおい袋は、紗良の中で愛の行為としっかりと結び付いてしまっていた。


「よろしくお願いいたします」


ようやく紗良は言った。

文句の余地がない、紗良の一人勝ちであった。


紗良は、とうとうフレグランスプロジェクトの成功の鍵を握る実力の調香師、二階堂清隆を勝ち取ったのだった。


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