第二話 ミドルノート 4、仕事に色気は不要なのです。
紗良は社会人4年目に突入する。
26才。
OL絶好調である。
紗良の仕事への情熱に比例して、仕事の景色も様変わりしていた。
その真面目で真摯な仕事振りは、お客から評判がすこぶるよくて、紗良が配属された店舗がことごとく、売り上げトップを走り続けたのは伝説となる。
勤務地もスーパーから、百貨店、そして去年から本社の企画広報室である。
職務内容は、現場に出向いて指導したり、応援に入ったり、新企画に組み込まれたり、イベントを運営したり、CM撮影に立ち会ったりと、本部のいいように使われる、何でも屋である。
その大抜擢に上層部の引き立てがあったのではないかと噂される。
課長、部長、エリア長、専務、常務、はたまた社長まで、名前があがったことがある。
それだけ、現場採用がホンの数年で本社勤務になるのは珍しいらしいのだ。
だが、その噂もふたつの理由で立ち消える。
ひとつは、紗良の打ち立てた売り上げの記録は今もまだ抜かれていないこと。
もうひとつは、研修や現場訪問などで顔を合わせた紗良が、ひっつめの髪の薄い化粧、色気を感じさせない真面目な風貌であること。
それを見て、紗良にたらしこまれる男はいなさそう、と女は感じるのだ。
紗良は、23の誕生日のあの後、貞淑な妻の呪縛から解かれていたのではあるが、しっかりメイクのイケてる自分を装ったら、とたんに厄介なことに巻き込まれることになった。
電車のチカン、売り場をターゲットにならない男性がうろうろして、デートに誘われる、などである。
これには紗良は辟易した。
自分に残されたのは仕事だけであるので、仕事に集中したいのである。
砕けちった夢を、再度見る気持ちになれないのだ。
そのため、男避けのために、ひっつめの髪、リクルートスーツの延長、薄目の化粧に逆戻りである。
最近では加えて、伊達めがねもかけるようになるという、徹底したものである。
仕事関係に、色気は不要!
結果、男というよりは、今度は女性の同僚にやたらとなつかれるようになっているのだが、、。
今日は、都心の百貨店で有名化粧品ブランド10社が集り、この春最大の新作発表会がある。
それぞれのブランドが、一流メイクアップアーティストとモデルや女優を呼び、その場でショーのようにメイクをして、華々しく発表し、売り出す。
テレビ局やファッション雑誌も来る、この春一番の力の入ったイベントである。
紗良のA社も最近メキメキ実力をつけているメークアップアーティストの槇原空也、若手のモデルを呼んでいる。
最近入社した元モデルのさやかが助手に入っていた。
地味な紗良に、派手なさやかのでこぼこコンビである。
紗良のA社のショーの番は5番目。
午前の部の最後である。
フラッシュがたかれるなか、スッピンのモデルが、フランス人や、イタリア人などの素敵なアーティストの手に、美しく変身していく。
出来上がりの素晴らしさに盛大な拍手。
輝くモデルの笑顔。
「ありがとうございました!
K社の新色パレットを使っての実演でした!」
プロの司会である。
10時開演と共に、イベントスペースのメイクショーのコーナーは、これを楽しみにしている一般客と、カメラマンと記者で人集りが出来ていた。
「神野先輩、大変です!」
さやかは慌てていた。
「モデルの女のコが、別の支店の百貨店にいっちゃってます!!」
そういうさやかの顔は真っ青である。
携帯を持つ手が震えている。
「わたし、T百貨店といえば、ここだから、支店を連絡してなかったみたい、、、」
今回、槇原空也やモデルの手配などさやかに任せていたのだった。
「モデルにここに、タクシーで来てもらっても30分はかかる。あと20分でわたしたちの番」
紗良は冷静に状況を把握しようとする。
「先輩、どうしよう!ごめんなさいっ!どうしよう」
舞台の袖でさやかはもはや半泣きでパニックである。
異常な雰囲気に気がついた槇原空也がどうした?と顔を見せる。
槇原空也は、メッシュの金髪に、アゴ髭、大きく開いた胸元。芸能人のようなハンサムな男である。
彼目当のお客も多い。
既に午後からの30分プライベートメイク相談コーナーも完売している。
「モデルが間に合わない。別のモデルをたてなきゃならなくなったの。
泣きなさんな。あと15分ある。さやか、あんたする?それとも10分で来れるモデル友達いそう?」
そういいながらも、紗良は集まったお客に、狩人のように目を走らせる。
「それとも、ここの誰かに頼むか、、」
あらかじめ決めていたモデルが来れないからといって、ショーをなしにすることはできなかった。
このショーのモデルのメイクの出来ばえ次第で、春の売り上げが大きく左右する、社の命運をかけたイベントである。
さらにショーで紹介しながら使ったものは、新商品でなくてもショー後には飛ぶように売れることもある。
それを使えばわたしもきれいになれるかも!と思ってもらえればである。
適当にというわけにはいかない。
すっぴんからのスタートなので肌もきれいでなければならない。
メイク前、メイク後のビフォアーアフターもこのイベント期間中パネルになって貼られるのだ。
雑誌に出るという了承もいる。
本来なら、元モデルのさやかが自分の失敗を自分で取り戻すことができたかも知れないが、既に目を擦り鼻をすすっている。
これではいくらきれいでも無理である。
ひとり、おとなしそうな雰囲気の女子大学生に目星をつける。
彼女に頼み込もう!と紗良は決めて、向かって行こうとしたその肩を、槇原空也は掴んだ。
「神野紗良さん、あんたがモデルになりなよ?」
ついっと眼鏡をとられる。
槇原空也は顔を寄せる。
空気が冷えるような、真剣な目をして紗良を見た。
「あんた、わかっているの?このイベントに社の命運がかかっているのよ?」
紗良も強い目で見返した。
槇原空也はゴクリと唾を飲み込んだ。
ナイフを突きつけられたような、真剣勝負である。
「あんた肌も目も、ものすごくきれいだ。なんでそう隠しているか知らないけど、僕はあんたにメイクをして、変身させたい。
僕も、このショーに賭けている。
槇原空也のメイクは一流だ!」
「神野先輩ごめんなさいっ」
とうとう、本格的にさやかは泣き出した。
前のブランドのショーが終わり、盛大な拍手。
「では、10分間の休憩を挟みます」
司会は一旦閉める。
そうしているうちに刻々と時間が過ぎる。
「わかった!モデルをやる。ちょっと待っていて!」
覚悟は決まった。
槇原空也の実力に掛けた。
自分としてはすっぴんがパネルになっても自分が恥ずかしいのを我慢すれば良いだけだった。
ジャケットを脱ぐ。
その下には艶のあるシルクのタンクトップ。
シルク製品は紗良は大好きである。
なんだがデジャブだ。
以前も変身したような気がする。
ドキドキする。
槇原空也は目を細めて、戻ってきた紗良の手をとって照明の明るい席に座らせた。
「目を閉じて。あなたは素敵だけど、ちょっとしたコツでもっときれいになる」
槇原空也は囁いた。
メイクアップアーティストというのは、女をその気にさせる天才である。
そして、そのメイクの腕は一流だった。
「先輩、ホントに素敵です、、惚れちゃいます」
さやかは泣いていた。
「後輩の尻拭いは、先輩がするの当然。
わたしも最初のうちはメールチェックするべきだったかも。
次から誤解が生じないようにしようね」
紗良はいう。
槇原空也がショーで使ったものはその日の午後の早い内に完売した。
普通のOLがプロのメイクでこんなにきれいになれるということで、イベントの紹介とともに、槇原空也が紗良をメイクする様子はテレビでもチラリと放送される。
その反響は大きくて、あの子は誰ですか?との問い合わせの電話やメールが沢山寄せられたのだった。
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